花の涙

 目の前で、女の子が眠っている。
「……」
「あの〜……、もしもーし……?」
 ——それも、立ったまま。すこぶる気持ちよさそうに。

 チョコレートみたいな茶色のロングヘアが、かくかくと傾く首に合わせて揺れている。それにヒヤヒヤしながら、声をかけても、顔の前でそっと手を振ってみても反応は無い。
 着ている白いブレザーの制服は、この辺りでは有名な名門校のそれ。胸元のリボンの色からして、多分私と同じ高校三年生だが、別に知り合いという訳でもなく……それこそ先程、ちょっと肩がぶつかって、互いに「ごめんなさい」と一言謝罪を交わした程度の関わりだ。名前すら知らない。
 ただ、駅のホームでたまたま隣に並んでいたというだけのお姉さん。……それなのに、ふと彼女が立ったまま寝ていると気がついて、その体が傾きかけた時、うっかり咄嗟に抱きとめてしまって、それからずっとこの状態である。
(……どうしよう)
 はっきり言って、私には体力も腕力もないので、この子を抱えてどこかに運ぶことはできない。かといって、ここに置き去りにするのも違う気がする。そんなこんなで電車を二本ほど見送ってしまったけれど、いつまでもここにいる訳にもいかず……なんとか起こそうと声をかけていたのだけれど。
「……起きる気配、ないですね」
 相変わらず、とても気持ちよさそうにすやすや眠っている。立ったままここまで熟睡できるというのは、眠りの浅い私からすると逆に羨ましいくらいではあるけれど。どうしたものかと考えていると、ふと、女の子の肩に小さな花弁が数枚ついているのが目に留まる。
(……花)
 心の中で一言呟いて——もしかしたら、と。あるひとつの可能性が思い浮かぶ。
 まだ肌寒いこの季節。自然に咲く花は数少ない。けれどもし……花の咲く場所が、大地に根ざした自然の中でないのなら。
 浮かんだ可能性を裏付けるように、淡い色の小さな花が、ぽろり。彼女の目尻からこぼれ落ちた。もう一粒……涙のしずくが、花へと変わる瞬間をこの目で捉えて、思わず、小さな吐息が口からもれる。

 ——花を綺麗だと思ったのは、本当に久しぶりのことだった。


「——ティア!」
 どれくらいそうしていただろうか。背後から、何やら大きな叫び声がして、思わずびくりと肩を震わせる。振り返ると、声の主であろう男の子と目が合って、彼はまっすぐこちらに駆け寄ってきた。
 警戒するように顰められた、燃えるような紅い双眸。それが私の前で立ち止まり、女の子を見て、それから私を見て、「あっ」と目を見開く。
「……あんたは」
「へ?」
「ああ、いや。すみません。俺の妹なんだ」
 その子、と未だ私の腕の中でスヤスヤ眠る女の子を指をさされる。ほっとしたと同時に、なるほど、とちょっと納得してしまった。確かによく似ているなと思ったのだ。チョコレート色の深い髪色も、その綺麗な顔立ちも。
「そうなんですね! 良かった。突然ここで寝てしまったみたいで、どうしようかと思ってたところで……」
「」
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