低温火傷


 


人間の肉体は二時間かけて焼かれるものらしい。
「昼食にしましょう。二時間後に火葬場に戻ってきて。大人は大人で話すことがあるから、ゆうちゃんが運転してあげて、きいくんをどこか食べに連れてってあげて。いい?」と言うリカコちゃんに従い、おれとゆうは火葬場からそこそこ離れたサイゼリヤにやってきた。「お煙草はお吸いになられますか?」とたずねるスタッフになんと答えようか迷った瞬間、ゆうが間髪入れずに「喫煙で」と言ったから、そのとき、ゆうも吸うのだと知った。
 ゆうの名前は由鶴彦とかいてゆずひこと読むのだが、おれは幼いころゆうくんと呼んでいた記憶が色濃く残っていたから、十も歳上の相手だとわかっていながら、きょう十数年ぶりに再会したときに「久しぶり、ゆう」とするりと口から出てきたので、そのまま呼ぶことにした。呼べてしまったといったほうがきっと正しいのだろう。
 席につくと、ゆうは黒いパッケージのアメリカンスピリットを取り出して火を着けた。それを合図に、あるいはつられたのか、おれも気づけば握りしめてくしゃくしゃにしていたセブンスターを取り出して吸い始めた。
 さすがに食欲はない、と意見が一致したので、ほうれん草のソテーとふたりぶんのドリンクバーを注文した。ゆうはふうと細長い煙を吐き出すと、スマートフォンをいじって、液晶をおれに見せてきた。
「こいつ知ってる? サンシャイン池崎」
「名前くらいは」
「ここ最近で一番笑ったわ」
 本当に名前だけは知っていた。リカコちゃんが芸人を好きらしく、メッセージによくそういった芸人のネタを取り入れてくるからだ。
「ネタを見ないとなんとも言えないわ」
 おれが言うと、ゆうは「あとで見て」と返して、また細い煙を吐いた。アメリカンスピリットは長持ちするのか、何度も吸って吐いてを繰り返しているわりには減りが遅かった。
 ほうれん草のソテーが来た。「なんか胃に入れとかなきゃな」と言ってフォークを手にするゆうに続いておれもソテーに入っているベーコンをつついた。口のなかにベーコンを放り込むとひどい異物感があって、吐き出してしまいたくなったけれど、薬を飲むように嚥下した。
 十数年のあいだなにをしていたのだとか、どうして連絡のひとつも寄越さなかったのだとか、リカコちゃんとどういう確執があったのかとか、言いたいことや聞きたいことは山ほどあった。おれがそんなことを考えていると、ゆうの左手の薬指に光る指輪が目に入った。
「結婚したの」思わずたずねると、ゆうは「うん、まあね」とだけ言って、「先月、こどもが生まれたんだよ」と続けた。
「リカコさんはそれ知ってんの?」
「母さんに? 言ったよ。きのう母さんの家に泊まったから、そのときに」
「そうなんだ」
 おれはドリンクバーに行こうとして持ち上げかけた腰を下ろした。写真ないの? と訊くとゆうは、んーと言ってスマートフォンを操って一枚の写真を見せた。病院らしき場所で、奥さんであろうきれいな女性と、赤ん坊と、おそらく自撮り棒を手にして撮影しているゆうが写っているものだった。おれがなにか言おうとすると、「まあおれの話はここらへんで」とゆうは照れているのかなにか知られたくないことでもあるのか、そうして話を終えた。おれは改めて立ち上がるとドリンクバーに向かって歩いた。

 会ったこともないじいちゃんの骨は雪のように白くて太かった。そのうえ全身の骨がだいたい残っていて、骨なんて見る機会はそうそうないけれど、これはからだが健康だった証拠なんだろうと、しみじみしながら遺骨を箸で拾った。「脚のほうから入れ物にどうぞ」と言われて、そのとおりに箸で白い骨をつまんでいると、向かいで同じようにしているリカコちゃんが顔を赤くして涙ぐんでいた。リカコちゃんが、じいちゃんに会ったのはじいちゃんが危篤だという知らせを聞いてから――つまり二十五年ぶりだと話していたから、どういう心境なのか簡単には想像できない。けれどじいちゃんはこうして親族に見送ってもらえているし、おれたちのこころにはじいちゃんが生き続ける。それでいいんじゃないか、と思った。箸を持つ手が震えだしたリカコちゃんの背中にゆうが手を置いて、何度もさすってやっていた。

 じいちゃんは肺以外はいたって健康そのものだったらしくて、だからあれだけ骨が残ったのだろうという話をした。おれの母とリカコちゃん姉妹はいろんな手続きがあって忙しいらしくて、あっというまに別れの時間がきてしまった。母とリカコちゃんはおれと父を近くの駅まで送り、とにかくおれがきょうここへ来たことを「ありがとう」とよろこび、労った。
「きいくん本当にありがとう。本当にうれしかった。ありがとう。大好きだよ」
 駅の西口前で、リカコちゃんはそう言うと、おれを強く抱きしめた。父は軽く会釈すると改札口へ向かって、おれもそれに続いた。
 ゆうは気がつけば火葬場からすがたを消していた。電車に乗って揺られていると、父は「ラジオ聴くわ」と断りを入れ、イヤホンを付けて目を閉じた。おれはつぎつぎと現れては去っていくビルの群れや、住宅街らしい景色をぼんやりと見ながら、ゆうと連絡先くらい交換しておけばよかったとすこし後悔した。おそらく次に会える機会も葬式くらいだろう。よろこばしい再会ではないけれど、人間の死をして以て、やっと会えるような、そういう存在なのかもしれない。せめて生きて会えたらいいんだけども。快速特急は加速をゆるめることなく進んで、おれとゆうを引き離していく。そうだ。せめて生きて会いたいものだと、おれはだれにでもなく想った。(2017/8)





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