噛み痕

彼はいつも強気で自信家で、弱音を吐いてるところなんて見たことが無かった。偉そうな事を言うだけの実力も備わっていて、戦いの腕や頭脳も、私より幾分も上だ。今まで一緒に任務をこなす中で、私は何度も彼の強さに救われてきた。彼の強さを信じていた。デイダラが負ける訳ない。デイダラと一緒なら、どんな敵とも戦っていける。そう信じて疑わなかった。だけど…、今は違う。息絶え絶えのデイダラを肩に担いで、私は夢中で森の中を歩いていた。まだ追手の気配がする。私たちを探しているのだろう。

「デイダラ…、お願いしっかりして…!」

項垂れるデイダラに、私は泣きそうになりながら何度も声を掛けた。荒い呼吸だけが聞こえる。まだ生きてはいるが、このままだとどうなるか分からない。絶望的な状況であることは間違いなかった。もしかしたら…デイダラが死んじゃうかもしれない。初めての状況に、辛いのはデイダラの筈なのに私の方がパニックで。自分がどこに向かっているのか、最早方角も分からないままに、森の奥深くを目指してふらふらと彷徨い歩く。主力の彼がこうなってしまった以上、敵と交戦するのはまずい。とにかく追っ手を振り切らないと。私一人であの敵を相手にする事は難しい。


そうして、どれだけ歩き続けただろうか。男一人を担ぎながら、道の悪いデコボコした山道をひたすら歩いてきて、私の足取りも既にふらふらだ。幸い、森の覆い茂った草木が私たちの存在をうまいこと隠してくれて、未だ敵には見つかっていないが、それも時間の問題だろう。敵の気配はそう遠くはない。恐らくまだ私たちを探している。迫り来る追手に気持ちばかりが焦ってしまうが、どこかで休まないとデイダラの体も心配だ。転々と続く、彼の血が森の獣道に染み込んで。ずるずると重たい男の体を引きずったまま、何か無いかと覚束ない足で彷徨い続ける私の耳に、微かに聞こえたのは、水の音。…近くに水場がある…!私は大きな木の幹にそっとデイダラの体を預けると、携帯していたボトルを手に水場を探し歩いた。

草木を掻き分け、湧き水をボトルに汲んで、来た道を引き返す。ようやく手にした水を持ってデイダラの元に戻ってくると、彼の顔は先程に増して真っ青になっていて、思わずぎょっとした。負傷してたくさんの血を流している筈だ。ろくに手当ても出来ないままここまで引きずられて、相当体力を消耗している筈。肩に担いでいる時は、それでも何とか荒い呼吸を繰り返していたが、今はそれすらも確認できない。死んでしまったのかと慌てて駆け寄って、ぺちぺちと頬を叩く。デイダラ、デイダラと何度も悲痛に呼び掛けると、呼ばれた彼がうっすらと目を開いた。

「……るせぇ、傷に響く……」
「デイダラ……!」

その声を久々に聞いたような気がした。いつもなら、私をからかって馬鹿にしてくるその声も、今だけは聞けることに心底安心している。良かった、生きてた…。ホッとして彼の前に座り込む私に、デイダラは力を振り絞るように手を伸ばした。冷たいデイダラの手が、私の頬を撫でる。血の気がない。まるで人形のように冷たくて、それがまるで、デイダラが死に近いことを物語っているかのようで、怖くて堪らない。添えられた手に己の手を重ねて、ぎゅっと握る。私の体温が、少しでも彼に伝染るように。

「…なんて顔してんだ…」
「だって……デイダラが死んじゃうかと思って…」
「……情けない顔すんな…。オイラはまだ…生きてる……」

消え入りそうな、掠れた声。その枯れた声を聞いて、自分が水を持って来たことを思い出した。ボトルを差し出しながら、飲める?と問いかけるが、デイダラは意識が朦朧としているのか、何の反応も示さない。虚ろな目だけがボトルを追っている。…飲みたくても飲めないのかもしれない。私は勢いよくボトルの蓋を掴んで、それを開けた。水の入ったそれに口を付けようとして一瞬迷った後、すぐに首を左右に振る。こんな緊急事態に、私は何を戸惑い、迷っているのか。恥ずかしがっている場合じゃない。掴んだボトルを咥え、水を口に含んで。不思議そうにこちらに視線を送るデイダラの頬に手を添えて、そのまま唇を重ねた。

口移し。何とか水を飲ませてあげようと必死にそれを実行したが、慣れないせいでうまく水をデイダラの口内に移せないのがもどかしい。彼の口端から水が溢れているのを見て、なかなかうまくいかないことに焦っていたが、ゴクンと彼の喉仏が動いたのを見ると、ホッとして口を離した。

「デイダラ…、飲めた…?」
「………ああ…」
「良かった…」
「………まだ残ってるか」
「あ、うん。あるよ、待ってね」

再び水を口に含んで、デイダラに移す。それを何度か繰り返すと、デイダラの顔色も少しだけ良くなった様な気がした。気のせいかもしれないが、でもデイダラの表情も心なしか軽くなっているような気がする。とりあえず今やれる事をやって、暁のメンバーに何とかして連絡を取らなければ。腰に付けていたポシェットから、応急処置用の道具を取り出すと、デイダラが羽織っている外套に手を伸ばした。ぷち、ぷち、とボタンを外している間も、彼は傷の痛みに魘されて苦しそうにしている。やがて露わになったデイダラの体は、私の想像よりも遥かに酷い深手を負っていて、思わず絶句したのだった。こんな傷を追いながらも、まだ生きていることの方が不思議な位だ。

(こんなの…応急処置で誤魔化せるようなレベルじゃない……)

先程デイダラに情けない顔をするなと怒られたばかりなのに、またもやジワリと目に涙が浮かんで、それを乱暴に袖で拭う。そもそもデイダラがこんな状態になったのは、私の油断が原因だったのだ。敵は一人だと思い込んで高を括っていた私が、潜んでいたその仲間に囲まれて、為す術を失ったから。四方八方から投げられた鋭いクナイに覚悟を決めて、固く目を閉じたのはいいものの、来るはずの痛みが来ず。恐る恐る目を開けた先には、私を庇って全身にクナイを受けたデイダラが立っていた。後は今の通りだ。私を庇って倒れたデイダラを背負い、必死に敵から逃げ延びて。…私が油断しなければ。きっとあの程度の敵、彼なら朝飯前だった筈なのに。クヨクヨと後悔ばかりしている私に、デイダラは淡々と告げる。

「オレを抱えてじゃ逃げられねぇ。いつか捕まって、2人とも死ぬ」
「デイダラ……」
「……行け」

それは、一番聞きたくない、残酷な命令だった。勿論、デイダラの判断は正しい。このままここで見つかって、二人とも死ぬのは一番最悪なパターン。なら私だけでも生き延びて、暁の救援を呼んだ方が現実的である。だけど、そんなの無理に決まってる。怒られようとも、何と言われようとも、デイダラを犠牲にして生き延びようなんて。

「嫌だ!デイダラを置いて行くなんて…!」

自分に血が付くのも構わず、デイダラにしがみついた。嫌だ嫌だと子供のように首を振り、泣き喚いた。お願いだからそんな事言わないで。私を一人にしないで。そうやって駄々を捏ねれば、彼も別の方法を考えてくれるかもしれない。そんな僅かな望みも賭けて。だがしかし、感情的になって言葉を並べる私とは対照的に、デイダラはただ前を見据えたまま、冷静に頭を働かせていた。ここを切り抜けるには、それしかないとデイダラは分かっていた。

「デイダラを置いて行くくらいなら、ここで一緒に死んだ方がマシ…!」
「馬鹿な事言ってんじゃねぇ…、言う事を聞け。時間稼ぎならしてやる。その間に暁の連中に連絡するんだ」

そんなボロボロの体で、どうやって時間稼ぎをするというの。デイダラの、嘘付き。…彼は自分の命をもってして、私を生かそうとしているんだ。自分から死にそうにないこの男が、芸術の為じゃなく、ただ私を生かす為だけに自分の命を使おうとしている。いつもは減らず口を叩いて、私にああでもないこうでもないと文句ばかり言う癖に。でも何だかんだで、いつも守ってくれて。今もこうして、命を懸けて私を逃がそうとしている。彼は毎回こうだ。自分のことは二の次で、私のことを第一に考えてる。不器用でデリカシーなくてプライド高いけど、私のことを守ろうとするその気持ちは本物。それに比べて私は、デイダラに偉そうなことを言う癖に、いつも足を引っ張ってばかり。助けて貰うばかりで、彼の役に立ったことなんて、一度でもあっただろうか。

「ななし、覚悟を決めろ…。もうそれしか方法は…、」
「……方法なら、あるよ」

意を決した私は、デイダラを真っ直ぐ見つめた。方法なら、まだある。デイダラも本当は知っている。だけど彼は私のことを大切に思うあまり、それを選べずにいる。私の手は迷いなく、ぷつ、ぷつと自分の外套のボタンを外した。するりと服が肌を滑ってずり落ちて、肩まで露わになる。それによって蘇る、過去のトラウマや恐怖心を無理矢理押し込めた。

「おい…、」
「…噛んで、デイダラ」
「……」
「私には、噛むと傷が癒える能力がある。…デイダラも知ってるでしょう」

私の体を噛んだ者の、傷を癒す。特殊で強力な癒しの術。私はこの力を買われて、暁に誘われた。この力のせいで私は、故郷の人間には奴隷のように扱われ、毎日毎日戦争で傷付いて帰ってくる男たちに、噛まれ続けたのだ。そんなボロボロの私を迎えに来たのがデイダラだった。彼は、震える私に言った。「お前の力なんて、オイラには必要ない。オイラを傷付けることができる奴なんて、滅多にいねぇからな、うん」私を道具としてじゃなく、人間として初めて扱ってくれたのは、デイダラ。そして、私のこの力を嫌い、恨んでくれたのも、デイダラ。私がこんな力を持って生まれたせいで、たくさんの我慢と辛さを強いられてきたから。私の代わりに、デイダラが、私の運命に怒ってくれていたんだ。私は、そんなデイダラに救われていた。



「……オレはその力は使わねぇ」
「デイダラ、私今初めて、自分の力に感謝してる。…これで貴方を救えるんだって」



いたぞ、あそこだ!と男の声が響いた。どうやら見つかってしまったようだ。タイムリミットは近い。私は、動けないデイダラに抱きつく。…生きるか死ぬか。どちらの結末になっても、私はこの人と運命を共にする。私を迎えに来てくれた、デイダラの手を取ったあの時。この人と一生を共にしようと、そう決めたのだから。一気に騒がしくなる周囲に耳を傾けながら、私はデイダラの温もりに体を預けて目を閉じた。耳元でデイダラが囁く。



「……いいんだな」
「…うん」



私の決意が伝わって、彼も腹を括ったようだ。デイダラが私の首筋に顔を埋める。金髪がさらりと首を掠めて擽ったい。首元に掛かる彼の吐息が温かくて、体が一瞬で熱くなる。



「…動くなよ」
「う、うん……っ」



ぬるりとデイダラの舌が肩を這って、大袈裟な位体が震える。「あっ…」と思わず声が漏れた。恥ずかしくて死にそうだ。そのままデイダラは、舌を這わせたそこに歯を立てて噛み付いた。痛みと快感が同時に押し寄せて、ぶるりと震える。ぎゅう、と彼にしがみ付く手に力を込めて、長くて短いこの時間が終わるのを待った。敵が周囲を囲む頃には、私たちは癒しの力による眩しい光に包まれていた。






「喝!!!!」




けたたましい轟音と共に、光は消えて行く。無残にも吹っ飛ばされていく仲間に驚きながら、敵の残党は光の先を睨んだ。そこから一つの人影がゆっくりと歩いて出てくる。もくもくと立ち上がる爆炎が徐々に晴れて、その姿を鮮明に映し出す。先程までボロボロだったその男が、完全に復活を遂げていたのである。


「よぉ、よくもやってくれたな。もてなしの礼だ、オイラの芸術の餌食にしてやるよ!うん!」


デイダラが、C2ドラゴンと共に私の前に立つ。いつもの頼もしい背中だ。私を守ってくれる、強くて大きな背中。その背中を見守りながら、首筋に残った傷跡を優しくなぞる。蘇る先程の感触に頬を赤らめながら、再び彼の背中に視線を移して。昔はトラウマだった歯型も、デイダラが付けたものとなれば別。どうかいつまでも消えずに、永遠に残ってくれたらいいのに。