Obsession



自動ドアをくぐってすぐ、私は普段と違う地面の様子に気付き空を見上げた。分厚い雲に覆われた灰色の空からは大粒の雨がざあざあと大きな音をたてながら地に落ちている。その雨量に呆然としながら、私は朝の自分を呪った。
いつもより大分遅い時間に目を覚ました私は大急ぎで朝の支度を済ませ家を出た。そのせいでその日の天気予報を見ることができず、傘を持って来ていなかった。今更天気予報を見ると、雨は深夜まで降りやまないようだ。
心の中で大きく溜息を吐きどうしたものかと思案していると、私の背後で自動ドアの開く音がした。

「あれ、なまえちゃんやん。なにしてんの?」

その声に振り向くと、隊服ではなく私服を着た生駒くんがそこに立っていた。彼は私から雨の降る外に目を移し、大げさに「大豪雨やな。明日には川が出来るわ」と乏しい表情で言った。

「帰ろうと思ったんだけどね、傘を忘れちゃったんだよね」
「…実は俺も傘持ってへんのよ」

やってもたわ、と軽く言って生駒くんは私の横に立った。自動ドアの少し横のひさしの下、人の邪魔にならないところに二人で立つ。

「私はここで雨足が弱まるのを待とうと思うけど、生駒くんはどうするの?」
「俺もここで一緒に待つわ。ラウンジでもええんやけど、それやと雨の加減がわからんやろうしな」

それから暫くの間、他愛もない話をしながら雨足が弱まるのを待つ。私の話すことに生駒くんがボケたり、生駒くんのしょうもないけどおもしろい話を聞いたりして。気付けば結構な時間が過ぎていた。地面にあたって跳ねた雨水が私の足を濡らしていたが、今の今まで気付かなかった。
私が自分の足を見ているのに気が付いたのか、彼も同じように視線を落とすと、少し申し訳なさそうな顔をした。

「すまん、足濡れてもうてるな。こんなところで話さんと、大人しくラウンジで待っとった方が良かったかもしれん」
「この雨だし仕方ないよ。ここで待つって言ったのは私だし、気にしないで」

鞄を持ち直し空を見上げると、まだ分厚い雲に覆われてはいるが雨足は初めより緩くなっている。これなら走って駅まで行けるかもしれない。そう思い生駒くんへと向き直る。

「さっきより雨足が弱まったから、今のうちに走って駅まで行こうと思うんだけど、生駒くんはどうする?」
「え、でもまだ雨降ってんで? さっきよりまし言うても、結構濡れるんと違う?」
「でも今を逃したらまた雨が酷くなるかも…。そうなる前に帰らないと」

そう伝え鞄から取り出したハンカチを申し訳程度自分の頭に被せる。生駒くんはなにやら考えるように険しい顔を更に険しくしていたが、その姿に「じゃあね」と声をかけ走りだそうとした。彼は「ちょお待って」と私の手首を掴み、それを阻止する。いきなり手を掴まれた反動で後ろに倒れそうになったが、斜めになった体を生駒くんが受け止めてくれたおかげで事なきを得た。

「びっくりした…。どうしたの?」
「すまん。いや、本当にすまん…」
「なあに?」

珍しく眉を八の字に下げた生駒くんは背負っていたリュックを下ろし、中からなにかを取り出した。それは黒い布地の折り畳み傘だった。

「え、傘あるじゃん!」
「ほんまにすんまへん…」

彼は顔の前で両手を合わせ申し訳なさそうに頭を下げた。折り畳み傘を持っていたなら、彼はなぜ帰らなかったのだろうか?その疑問を、私は直接ぶつけることにした。

「傘があるならなんで先に帰らなかったの?」
「それは…」

言い淀む彼に無言で先を促すと、観念したように口を開いた。

「なまえちゃんと一緒に雨宿りしたかってん…。一応ずっとリュックに折り畳み傘は入れててんけど、持ってるって言うたらなんでこいつ傘持ってんのに帰らへんねや?ってなるやん」

そのなんとも可愛らしい嘘の理由を聞き、つい「なんだそれ」と小さく呟くと、違う意味に捉えたのだろう生駒くんは子犬のような顔をしてもう一度「すまん…」と謝った。私はその腕を軽く小突き、彼に笑顔を向ける。

「じゃあさ、雨足が弱い今のうちに、その傘で一緒に帰ろうよ」
「…それは、所謂"相合傘"ってやつですか…?」
「そういうやつです」

にっこり笑ってそう告げると、生駒くんは表情こそ変わらないものの大層嬉しそうに折り畳み傘を広げた。それは折り畳み傘にしては大きいが、二人で入るとなると少し窮屈なサイズだった。

「あかんわ、どうがんばっても折り畳み傘や。なまえちゃんの大事な肩が濡れてまう」
「こうするから大丈夫」

私は傘を持っている生駒くんの腕に自分の腕を絡め、体を密着させた。そうするとぎりぎりではあるが二人とも傘に入ることが出来た。
「ほらね」と言うも返事がないことを不思議に思い彼の顔を覗き見ると、意外や意外、いつものポーカーフェイスはどこへ行ったのか、顔を真っ赤にした生駒くんがそこにいた。くっついている体から熱が移ってきて、私は暖かい気持ちで胸がいっぱいになるようだった。
促すように彼の腕を引くと、ひさしの下から雨のカーテンの中へと足を踏み出す。

「駅に着いたら、近くのカフェに寄って行かない?」
「…そらええなぁ。なんやみっくちゅじゅーちゅが飲みたい気分やわ」
「ミックスジュース?」
「みっくちゅじゅーちゅ」
「……え?」

傘にあたる雨の音も、跳ねて足にかかる雨水も、いつもはただ鬱陶しいだけのものだった。だが、今だけはそれも悪くないと思えるような午後であった。







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