Obsession



腕時計を確認すると針はもう約束の時間を指しており、これはまずいと駆け出した。ヒールが地面を蹴る音がやけに大きく聞こえる。こんなことならもっと早くに準備を始めればよかったと後悔をしながら待ち合わせ場所へと急ぐ。

息を切らしながらも到着し周りを見渡すと、街路樹を背に仏頂面の男がぼうっと車の通りを眺めていた。私は乱れた髪も気にせずその人物に駆け寄った。

「た、達人くんごめん、遅れた!」
「おぉ、めっちゃ息切れしてるやん」

綺麗な髪がぼさぼさになってんで、と手で乱れた髪を整えてくれる彼に申し訳なさが増す。

「本当にごめんね。…すっごい仏頂面だけど怒ってる?」
「顔は元からやん。全然怒ってへんよ。女の子が準備に時間かかるんはしゃあないしな」

そう言って彼は私の髪を整えるのをやめて手を下ろした。鏡を鞄から取り出して確認すると、走ったせいで乱れた髪は綺麗に元通りとなっていた。
嬉しくなって「ありがとう」と伝えると、彼は表情はさほど動いていないが自信満々な顔をして、「バーバー生駒、本日開店」と声を上げた。反応すると長くなるため、達人くんには申し訳ないが今の発言を聞こえないふりして約束していた映画の時間を確認する。

「映画、あと三十分で始まるけどどうしよっか。少し早めに行っとく?」
「せやな。いい席取られへんくても嫌やし、行こか」

映画館に到着してまずは発券機でチケットを購入する。そうしたら次は食べ物と飲み物だ。映画館で売っているポップコーンは普通のものよりも特別に美味しい気がするのはなぜだろう。
二人並んでレジカウンターの上にある電光メニューを見ていると、後ろから聞きなれない声がかけられた。

「あれ、イコさんですやん」

振り向くと、そこにはバイザーを被った男の子がいた。優し気な笑顔を浮かべた彼は達人くんと私を交互に見ている。

「おぉ、隠岐。お前も映画見に来たん?」
「見終わったとこですわ。というか、もしかしてその人が噂の彼女さんです?」
「そうやで、なまえちゃんや。可愛えやろ」

すると、私がなにも言わないことに気付いて達人くんが私の顔を覗き見た。正直今の私はそんな彼の姿など目に入っていなかった。
私の前で不思議そうに微笑んでいるバイザーの子は背が高く細身、カラスの濡れ羽のような黒髪に優し気な垂れ目、右目の下の泣きぼくろで色っぽさまで兼ね備えている。

「びっくりするほどイケメンだぁ……」
「えっ」

口を衝いて出たのはそんな言葉だった。
私の唐突な発言に驚いたのか、バイザーの彼は口元に笑みを浮かべたまま困惑したように私を見ている。そんな彼にお構いなしに、いろんな角度からその整った顔を眺める。どの角度から見ても整っていて隙がない。

「凄い…。これはもう関西が生んだ宝だ…、国宝級だ…」
「いや、それはさすがに言いすぎですって」
「せやろ? 隠岐はどこに出しても恥ずかしくないイケメンやで」
「イケメンちゃいますて。イコさんもノらんとってくださいよ」

付き合いきれないといった様子で苦笑いをしているイケメンの彼は「そろそろ行きますわ」と私と達人くんに軽く会釈をした。私はその整った顔をもう少し見ていたかったと惜しんだが、達人くんは「また本部でな」と快く彼を見送った。

「いやぁ、良いものを見た。目が少しよくなった気がするよ。凄いイケメンだった」

思いがけない眼福にそう呟くと、達人くんはバイザーの子が見えなくなったのを確認してから不意に私の手を握って口を開いた。

「俺は?」
「なにが?」

唐突な質問の意図が分からず聞き返すと、深緑の瞳と目が合った。表情は相も変わらず仏頂面のままなので、なにを考えているのかか読み取れない。

「俺を見ても目ぇ良くならへんの?」
「…うーん」

なにを言わんとしているのか察して、考えるふりをして達人くんの顔をまじまじと見る。これでもかと言わんばかりに時間をかけて見つめていると、彼は「そんな見られると穴が開いてまうわ」と自分の隠すように顔の前で両手をひらひらと振った。

「達人くんはイケメンじゃないからなぁ」
「え」

明け透けにそう伝えると、彼は振っていた手を止め心底傷ついたというような顔をした。「もう立ち直られへん」と可燃ごみ箱と不燃ごみ箱の間の僅かな空間へ入り込もうとする彼を止めて声をかける。

「達人くんは男らしくてカッコいいって感じ」
「えっ」
「さっきの子は爽やかなイケメンって感じだったけど、私は達人くんの方が好みの顔かな」
「なまえちゃん…」

先程とは打って変わって、彼はとても嬉しそうな表情をしている。私の想像が正しければ、表にはあまり出さないが私がバイザーの子をイケメンだと褒めたため軽く焼きもちをやいたのだろう。
私の恋人はなんて単純でおもしろいのだろうと思っていると、館内アナウンスが聞こえてきた。そろそろ映画の上映時間が迫ってきているようだ。私は達人くんの手を引いてフード売り場へと向かう。

「もう映画始まっちゃうよ。ポップコーン買って行こう」
「よっしゃイコさんに任せとき。十個でも二十個でも買うたるわ」
「塩とキャラメルのハーフね」

本当にポップコーンを大量に買おうとする達人くんを止めながら、私は香ばしいポップコーンの香りに躍らせるのだった。







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