指先フランボワーズ
ガタン、と揺れて動き出す。立っていた人が少しバランスを崩して、慌てて吊革を持つ。
きみなら転んでいたかもね、なんてからかうように言うと、転ばないよ!と頬を膨らませながら抗議された。この間、平坦な道でつまずいていたのに?という言葉はそっと胸にしまって、彼女の頭を撫でる。
「……そんなので、私の機嫌がなおると思わないでよね」
「そっか、それは残念だ。温かいカフェオレを奢ってあげようかと思ったけど、そんなに怒ってるならいらないね」
カフェオレ、奢ってくれるの?彼女の瞳が輝く。どうしようかな、だって物でご機嫌をとるなんて、よくないよね。そんな見えすいたことをしたら、きみも怒るだろう?
う、と彼女は言葉を詰まらせる。今日は寒いから、温かいカフェオレはいつもより美味しく感じるだろうなあ、という言葉は彼女へのトドメだ。
駅前にできた新しい喫茶店を気にしていたのは彼女の方だ。お洒落な喫茶店だね、行きたいなあ、と彼女は言っていた。
「物で釣るなんて卑怯だと思います」
「なんで敬語なの」
「だって、精市くんがこんなにずるい人だとは思ってなかったんだもん」
「嫌いになった?」
再び、彼女は言葉を詰まらせる。感情が表情に出やすい彼女の気持ちを読むのは、簡単なことだ。
嫌いなわけないよ。彼女の表情からはそんな感情が読みとれる。わかりやすいなあ、そんなに素直だと誰か悪い人に騙されてしまうんじゃないかと心配になる。俺が守ってあげないと、というのは思い上がった考えだろうか。
「……仕方がないから、カフェオレとケーキで釣られてあげる」
「さすが、俺のお姫さまは優しいね」
プシュ、と音がして電車が止まる。俺たちが降りる駅は、まだもう少し先だ。数人が降りて、また数人が乗ってくる。
「お姫さま、って。精市くんは恥ずかしいことをさらっと言っちゃうよね。なんか、私だけ照れてて馬鹿みたい」
「きみを照れさせるために言ってるんだから」
「精市くんってば、悪趣味だね」
くす、と彼女は笑って、悪趣味だ、と繰り返す。そんなにおかしいかな。好きな人が自分の言葉で照れたり喜んだりするのは、誰だって嬉しいと思うんだけどなあ。
そもそも彼女は、俺を美化している節がある。俺は、彼女が思うような綺麗な人間ではなくて、ただの一人の男だというのに。ああ、でもそう思われているからこその、無防備さや素直さなのかもしれない。そうだとしたら、それを失うのは少し惜しい。
「あと何駅?」
「六駅かな。眠いなら寝ててもいいよ」
そうする、と言って彼女は目を閉じる。電車の揺れは心地よくて、眠気を誘われる。ただ、ここで俺まで寝てしまっては乗り過ごしてしまうだろう。
うっかり寝てしまった、なんてことにならないように、鞄から本を取り出す。窓の外を見ると、程よく緑のある街並みが流れていた。
こつん、と肩に何かが触れる感触がして、それが何かを察した途端に、心臓が暴れ出した。余裕がある、なんて思われているけれど、本当はそんなこと全然なくて。隣にいるだけでいつもどきどきしているんだ。
そんなこと、彼女は知らないだろうけど。
ずっとこのままでいいのに、そう思う自分と、このままだと心臓が破裂してしまう、そう思う自分もいる。
気づけば目的地の一駅手前まで来ていて、俺は一向に目を覚ます気配のない彼女を見る。起こしたくないな、という気持ちが芽生えたのは許してほしい。俺の肩にもたれかかって無防備に寝顔を晒す彼女をずっと見ていたいと思うのも、ちっともおかしくはないだろう。
一際大きく電車が揺れて、車掌の声が目的地が近いことを伝える。
「ゆり、起きて。もうすぐ着くよ」
んん、と小さく呻いて、ゆっくりと目が開く。おはよう、と声をかけると彼女は俺の顔が近いことに気づいて、頬を赤らめる。こういう仕草が可愛いんだよなあ、と心の中で呟きつつもう到着するよ、と彼女に笑いかける。
「寝起きでぼうっとして、転ばないようにね」
そう言うと、またそうやって馬鹿にするんだから、と怒られてしまう。こういう時間が何よりも大切で楽しいんだってこと、きみには伝わっているのかな。伝えていけたら、いいな。
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雨降り