向日葵の喜雨
ピンポン、とインターフォンが鳴る。2階の部屋で漫画を読んでいた私は、窓から外を見る。私の部屋の窓からは、家の前の様子がよく見える。そっと覗いてみると、そこには遠目からでもわかる綺麗な男が立っていた。
両親は仕事に出かけていて、兄弟はいない。つまり家には今私1人で、そのことを今家に訪ねてきている彼は知っている。私に何か用事?出るか出ないか迷っていると、またピンポン、と同じ音が鳴った。
「いるのはわかってるんだよ、ゆり」
聞き慣れた、それでも綺麗だと思う声が聞こえる。有無を言わせない言い方に、私は渋々と下の階へ下りて、玄関の扉を開ける。「遅かったね」と、少し不機嫌そうな声。ごめん、と謝ってからなんで私が謝らなきゃいけないんだ、と少し反抗的なことを思う。
「せっかく俺が来たんだから、もっと嬉しそうな顔で出迎えてよ」
「来てって頼んだ覚えもないから」
「テスト前だけど勉強してないと思って、教えに来てあげたんだよ」
当たり前のように、家に入ってくる。しっかりと靴を揃えるあたりが、育ちのよさを感じさせる。早く行くよ、とまるで彼の家のように言われて、また主導権を握られてしまっている、と悔しくなる。
「ちょっと、精市」
「きみのことだから漫画でも読んでいたんだろう」
「う、」
「図星?余裕だね、前回のテストはひどい点だったのに」
「あれはちょっと、苦手な範囲だっただけで」
「苦手な範囲なのに勉強しなかったから、だろ」
鋭い精市の声に、返す言葉が見つからない。確かに、精市の言う通りで、精市は何も間違っていない。だけど、ひどい点をとって困るのはあくまでも私だけで、精市は私がひどい点をとっても、何も関係ないはずなのに。
「精市、暇じゃないでしょ。私の勉強なんかにつき合ってないで、自分のことに時間使ったら?」
「どう時間を使おうと俺の勝手。俺がゆりに教えようと思って来たんだから、ゆりはそれをありがとう、って受け取ればいいの」
相変わらず、めちゃくちゃな言い方。まるで世界の中心は俺だ、みたいなことを言うんだけど、不思議と嫌な気はしない。精市の纏うオーラが、柔らかいからだろうか。
私が黙ると、「わかればいいの」と精市は満足そうに笑った。こういう顔を見ると、やっぱり精市は優しい人だっていうことがわかる。笑顔に黒いものがない。怒ってるときだと、怖い笑い方をするときもあるけど、たまに見せる子供のような笑顔だけは、昔から変わらない。
「精市に勉強教えてもらうなんて、他の女の子からしたら幸せだろうね」
「……どういう意味?」
「勉強教えてもらいたい!って思ってる子はいっぱいいるだろうと思って」
「そんなこと言ってる暇があったら、勉強道具取り出すとかすれば」
なぜか少し怒ったような顔をする精市に、わけがわからないと困惑する。今の会話で精市の機嫌を損ねることがあったか、いや思いあたるふしはない。精市はたまに、こういうよくわからないところで怒るときがある。そしてよくわからないタイミングで機嫌がなおる。
「今回の範囲は公式がいっぱいあるから、それを覚えればなんとかなるよ」
「暗記って苦手なんだけど……」
「苦手でも、何度も繰り返し呟いたり使ったりすれば、覚えてくるよ」
「はーい……」
こんな公式覚えたって、どうせこの先使うことないじゃん。理系に進む気もないんだし。なんて言えば、また精市に怒られるんだろうなあ。
お茶入れてくる、と精市が立ち上がる。まるで精市の家のようだけれど、一応ここは私の家だ。まあ、台所の場所もコップの場所も知ってるだろうからいいけど。
部屋に1人になると、なんだか問題をする気なんてどこかへ吹っ飛んでしまう。漫画に手を伸ばしたくなる気持ちを、なんとか抑える。そんなの見つかったら、何を言われるか。
本当に、なんでこんなに私に構うんだろう。精市は多才で、テニスはもちろん勉強もできるし、庭を弄るっていう趣味も持ってる。幼なじみの私が言うのもなんだけど、大物っていうか、他の人とは違う感じが思えば昔からあった。
「……全然進んでないじゃん」
「あ、早いね」
「やってないだろうと思って、早めに戻ってきたんだよ」
まったく、とため息をつきながら私の向かい側に腰を下ろす。
「だって、数学って将来役に立たないよ。理系には進まないし、」
「将来のことなんてわからないだろう。もしかしたらこの先、ゆりはふとしたきっかけで、理系に進みたいって思うようになるかもしれない。でもこれまで数学も理科も捨ててきたから、その夢を諦めなきゃいけなくなるかも。そうなったら、悲しいじゃないか」
真っ直ぐに私の目を見て、精市はそう言う。ごめん、と反射的に謝っていた。精市は、私のことを思ってくれてる。投げやりなことばかり言う私を、怒ってくれてる。精市の言うことには説得力がある。それは、精市が私とはまったく違う道を歩んできたから。
「精市って優しいね」
「そうかな。普通だよ」
「それを普通って言えるから、精市は人気があるんだよ」
「……あのさ、それってやきもち?」
少しやる気の出た私は、問題に向かっていた。口を動かしながらも、シャーペンを持つ手も止めてはいなかった。が、精市の突然の発言に、「えっ?」と手を止めて訊き返してしまった。
「ちょっと言ってることがわからないんだけど」
「ゆり、やきもちやいてるの?ってことだよ」
「どうしてそう思ったのか訊いていいかな」
「どうしてって、ゆりがやたら俺が女の子に人気あるとか言うから」
「それだけ?」
「十分な理由でしょ」
私は気づけばシャーペンを手から離して、精市との話に集中してしまっていた。突拍子もないことを言い出すのは、昔からたまにあったことだから、それはいいけれど。今回のことはあまりにも意味がわからない。
いや、やきもちっていうのは「幼なじみがとられるのは嫌」みたいな家族的な感情ってことかな。きっとそうだよね。
「だってさ、ゆり」
私が頭の中でぐるぐる考えていると、精市はくす、と綺麗な顔で笑ってこう言い放った。
「きみが好きなのは俺でしょ?」
ことのはさまに提出