消えゆく淡き恋


初めて見たときから、綺麗な人だと思っていた。偶然、テニスコートの前を通ったときに見えた、蒼い髪。うちのテニス部と練習試合をしていたようだったけれど、私はそのとき彼と試合をしていた人の顔は覚えていない。吸い込まれるように、彼だけを見ていた。長い間見つめていた気もするけれど、実際はほんの数秒だけ。「どうしたの」と友だちに言われたことで、その時間は終わった。一瞬だったけれど、私はどうしても彼の凛々しい表情を、圧倒的なテニスを、忘れることができなかった。

「それって、恋でしょ」

さも当たり前のように、そう言われた。あの人の顔が忘れられない、ふとしたときに思い出して、また会いたいと思ってしまう。そういうことを友だちに相談してみた結果が、先ほどの言葉だった。
恋、恋ってあの恋?その人のことを思い出すだけで胸がぎゅっと苦しくなって、ちょっとしたことでどきどきして嬉しくなったり、悲しくなったりするっていう、あの?まさか、と笑い飛ばそうとしたときに、私はやっとこの気持ちの正体に気づいたのだった。
思い出すだけで、胸がぎゅっとなる。ずっと見ていたいと思った。彼と話せたら、どんなに嬉しいだろうか。つき合ってる人はいるのか、好きな人はいるのか、どんな人が好きなんだろう。そんなことを考えてしまうのは、私が彼に恋をしていたからだったんだ。

「恋、」

これは、恋だったのか。そう思うと、急に泣きそうになった。どうすればいいんだろう、と弱々しく口に出すと友だちは「任せて!」となぜか自信満々に答えた。それがどこか頼もしく感じて、私は彼女の言葉を信じることにした。

***

「立海大附属の幸村精市くんだって」
「何が?」
「ゆりが好きな男の子」

どうやらテニス部の部長に、練習試合をしていた相手校のことを訊いたらしい。幸村精市、それが彼の名前だった。立海大附属といえば、テニスの強豪校として有名な中学で、そういえばあのユニフォームは見たことがあったと思い出した。

「立海ならそう遠くないし、会いに行けば?」
「会って、どうすればいいの」
「告白するか、仲よくなってみるか」

簡単に言われたけれど、そんなことできるわけがなくて、見知らぬ人に仲よくしましょうなんて言われても、彼は困ってしまうか、引いてしまうかのどちらかだろう。
仲よくなりたい、なんて図々しいこと、ましてや告白するなんてできるはずがない。遠くから見るだけでも、私はなんだか温かい気持ちになれる。それだけで、いいのに。
立海に行けば、彼のテニスをしている姿が見られるのだろうか。そんなことをして、迷惑にならないだろうか。彼の視界になんて入らなくてもいいから、少しだけ姿を見て、その姿を目に焼きつけたい。
どうする?と訊かれて、私は曖昧な返事を返した。1人で行ってみよう、と思って私は彼女を誘わないことを決めた。

放課後になって、私は帰る方向とは逆の電車に乗っていた。こっちの方にはあんまり行ったことがないから、遠足に行くような高揚感がある。これから彼を見にいくからだろうか、わくわくしてまるで小学生に戻ったみたい。
何駅か過ぎると、窓の外に海が見えた。立海大附属は学校名に海とつくだけあって、近くに海があるらしい。沖縄やオーストラリアのような、青い美しい海ではないだろうけど、海が近くにあるなんて特別感があって素敵だと思う。
間もなく目的の駅について、電車を降りると私の住む町や学校の近くでは感じられない、潮風の香りがした。
携帯の地図を頼りに歩く。隣には海があって、さすがに葉の紅くなるこの季節に泳いでいる人はいないけれど、誰もいない海というのも静かでどこか寂しげで、悪くないと思った。

そして私は、立海大附属中学校につく前に、足を止めた。寂しげな波が打ち寄せる砂浜に、ぽつりと1人の人が立っていた。すぐに、あのときの人だと思った。印象的な、ウェーブのかかった蒼い髪。学校に入らずに済んだのは、ラッキーだった。私は彼に話しかけるでもなく、動かない後ろ姿を見ていた。
そうやっていた私の前を、幸せそうな男女2人が通り過ぎる。可愛い女の子と、誠実そうな男の子だった。海を見つめていた彼は、ふと振り向いて幸せそうな2人を見つめた。そんなことには気づかない2人を寂しげに見つめていて、なぜだか私の胸が締めつけられた。
2人が見えなくなったころ、彼は瞳からきらりと光る滴を零した。私のことは目に入っていないようで、彼の瞳からは滴が絶えず流れ続ける。私はどうしていいかわからず、その場から動くこともできずにいた。

好きなのかな、とふと思った。あの可愛い女の子のことが。泣き続ける彼を見つめながら、自分が彼の視界に入っていないことに安堵した。なぜなら、私の瞳からも次々に涙が零れたからだ。
好きなんだ、あの子のこと。私もあなたが好きです。だから、苦しいのがわかって、勝手に涙が出てしまう。見ている方向は違っても、同じ想いを抱えていることが、切なくて悲しくて、そして少し嬉しかった。


迷兎さまに提出

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