雨雲に隠れた二人に


「七夕まで練習なんて、テニス部はテニス馬鹿の集まりだよね」

思わず口から出たのは、そんな言葉だった。まるで、彼を責めるような口調になってしまったことを後悔する。そんなつもり、ないのに。
部屋の窓を開けて、空を見上げる。電話の向こうの彼がそうしろと言ったから。今日の天気は晴れたり曇ったりで、安定しなかった。せっかくの七夕なのに、なんだか残念。
彼のくす、と笑う声が聞こえる。耳をすませば、彼の足音さえも聞こえてきた。静かなところを歩いてるんだな、と思った。

「テニスが一番でもいいけどさ、それだと不安になっちゃう女の子もいるんだよ。ほら、ジャッカルの彼女とか」
『あの子なら、テニス部の練習が終わるまで待ってたみたいで、一緒に帰ってたよ。仲がよくて微笑ましいよね、あの2人』
「……まるで私と精市は仲よくない、みたいな言い方だね」
『そんなつもりはないよ。ほら、そろそろ機嫌をなおして』

せっかくの七夕なんだから、と彼は微笑みまじりの声で言う。電話から聞こえる、生で聞くより少しくぐもったような声は、私のお気に入りだった。
天の川ってどれだろう、と黒く塗りつぶされたような空を見るけれど、天の川どころか星だってほとんど見えない。周りは街灯や住宅ばかりだから、当たり前といえば当たり前だけど。

「なんにも見えないね」
『人工的な明かりがないところなら、綺麗に見えるらしいよ』
「そんな場所知らないもん。それに今日は天気もいまいちだし、精市は遅くまで部活だし」
『寂しいなら寂しいって言ってくれればいいのに。ゆりはひねくれてるなあ』
「どうせ私はひねくれてて、可愛くないよーだ」
『そういう素直じゃないところが、ゆりの可愛いところだよ』

さら、とまるで当たり前のようにそんな言葉を囁くから、どう反応していいかわからず、ただその言葉は私の頭の中でぐるぐると回り続けた。くすくす、とまた彼の笑い声が聞こえて、なんで笑ってるの、とさっきの言葉で乱された心を隠すように言った。

『ねえ、ゆり』
「なに」
『ゆりはどう思ってるかわからないけど、俺はゆりに会いたいと思ってるよ』

また、精市はこうやって私の心を乱そうとする。ぐるぐる、目が回りそうになる。少し甘い声、きっと私しか知らない。目眩がしそうなほどの優越感にひたり、私はまた無言になる。

『きっとゆりも同じ気持ちだと信じてる。だから、』

窓の外から足音が聞こえて、黒塗りの空に向けていた視線を、下におろす。街灯に照らされているのは、電話の向こうで話している、精市だった。会いに来たよ、とさっきよりももっと甘い声で、彼は囁いた。
くぐもった甘い声、こんなに近くにいるならちゃんと目を見て、言ってほしい。そんな気持ちとは裏腹に、私は「ばかじゃないの」と悪態をつく。きっと今、私の顔は茹でられたたこのように真っ赤になっているだろう。そして精市はきっと、そのことをわかっている。

『早く、外に出てきてよ。そんなところから見てないでさ』
「ちょっとくらい待ってよ。いきなりすぎて、頭が追いつかなかったの」
『そうだと思った。ねえ、今から天の川を見に行こうよ。仁王にいいところを教えてもらったんだ』
「今から?」
『意外と近くにあるらしいよ。織姫と彦星に、俺たちの仲のよさを見せつけようか』
「意味わかんない。精市ってときどき変なこと言うよね」

あ、と精市が声を上げる。笹、飾ってるんだ。短冊書いたの?と、弾んだ声で訊かれて、まあ、と曖昧な答えを返す。このあと精市がなんて言うかわかったから、このまま電話を切ろうかとも思った。
そんな私の気持ちなんて知りもしない精市は、なんて書いたの?と私が予想していた通りのことを訊いてきた。教えない、と私が答えれば、精市は不満げな声を上げる。

『なんで?教えられないような変なこと書いたんだ』
「変なことじゃないけど、教えない」
『えー、いけず。……まあ、教えてもらえるとは思ってなかったけど。想像するのが楽しいよね』

精市がそんな独り言に近いことを言っている間に、私は玄関におりて、扉を開けた。精市が、「やあ、遅かったね」と笑顔で出迎える。私は精市の隣に並んで、精市は自然な動作で私の手を握る。

「行こう。ほら、遅くならないうちに」

扉の横では、笹の葉が風に揺れていた。桃色の短冊に、私は願いを込めた。今私の手を握るこの大きな手は、星が願いを叶えてくれた証。できることならこのまま、私の手を離さないでいて。そう願わずにはいられなかった。


迷兎さまに提出

BACK
ALICE+