心とは裏腹に体が重くて仕方がない。
それでも不思議と足取りまでは重くならない。
ピコンとポケットの中から聞こえた電子音に一度足を止めると、2分前に送った緑色の吹き出しの下に白い吹き出し。
それに返信することなくスマホをポケットに仕舞うと、また目的地へ向かい歩みを進めた。
『遅くなってごめん。今から行く』
『練習お疲れ様。暗いから気を付けて』
青心寮から徒歩5分の場所にあるコンビニ。
その裏手のマンションに住む彼女との待ち合わせ場所をここにするのは初めてではないけれど、慣れるほど回数を重ねているわけでもない。
それでも俺が到着したことに気付いて店の外に出てきた志保の手に小さな紙袋があることに、珍しいなと心の中で首を傾げた。
記憶が正しければ、今まではスマホと小銭入れくらいしか持って来ていなかったのに。
「ごめん、遅い時間に」
「んーん。練習大変だったんでしょ?」
「まあ……かなり」
「お疲れ様。まあ、とりあえず向こう行こっか」
労るようにポンポンと背中を叩かれるだけで、体の中にあった重りの一部がドロリと溶けて流れて出て行ったような、そんな気がしてしまうから不思議だ。
促されるままに連れてこられたのは、マンションの自動ドアを通ってさらに奥の、中庭のような空間だった。
エントランスホールから届く光で薄明るいそこは、綺麗に整えられた植木と少し古びた木のベンチが置いてある。
座れるようにと場所を選んでくれた彼女の気遣いに感謝しつつ腰掛けると、一気に気が緩んでしまった。
ただでさえ重たかった体がずぶずぶと沈み込んでいくような心地で、脳も手足も暫くは動きたくないと訴えている。
「あ、そうだ。これ」
そう言って差し出されたのは、さっき珍しいなと気にかかった小さな紙袋。
受け取って中を覗き込むと、ハンドクリームとスポーツマニキュアが入っていた。
「いつも使ってるの、それで合ってる?一応御幸に聞いたんだけど」
「うん、ありがとう。 って、ごめん。俺クリスマスプレゼントとか何も用意してない……」
「クリスマスプレゼントじゃないよ、それ」
「え?」
「練習ハードなのに来てくれてありがとうって、感謝の気持ち。実際大したものじゃないしね」
疲労でぼんやりした頭で、この前やたらと御幸に凝視されたのはこれだったのかと納得しかけて、ハッと我に返った。
対して「実用的なのしか浮かばなくてさ」なんて続ける彼女は本当にケロリとした顔をしていて。
強がる様子が見えないことに安堵すると同時に、そこまで気を遣ってくれる彼女にただただ頭が下がる思いだ。
「やっぱり俺も志保が喜んでくれることがしたいから。あー、日頃の感謝を込めてってことで」
「……うん」
「って言ってもコンビニで何か奢るくらいしか今日は出来ないんだけど……」
正月休みの間に何か探しに行こうと心に決めて、とりあえずはコンビニだと腰を上げ踏み出そうとした。
その動作を止めるように腕を引かれ振り返れば、俺を見上げる志保が目を細めて笑っている。
「ねえノリ、それリクエストしてもいい?」
「良いけど……その笑い方、怖いんだけど」
「んふふ。じゃあさ、ちゅーしてよ」
「えっ、えぇっ?!」
今とんでもないことを言われた気がする。
いや、付き合ってるんだから変なことではないけど。
今まで会う場所が学校かコンビニの2択だったから、"そういう"雰囲気になったこと自体1度もない。
そりゃあ考えたことがないと言えば嘘になるけど。
「……本気で言ってる?」
「もちろん」
そう言ってベンチから腰を上げた志保は、向かいあった位置から一歩距離を詰めてきて。
驚きで跳ねたはずの心臓が、緊張なのか焦りなのかよく分からないまま次第に鼓動を早めていく。
手って顔に添えた方がいいんだっけ。あ、でも手汗かいてる気がする。
顔ってどれくらい傾ければいいんだ、目を閉じるのは、ああ駄目だ、あんまり考えるな、こういうのは勢いで……
頭の混乱を振り払うように握った彼女の両手も、しっとりと少し汗ばんでいた。
それに気付いたことが背中を押して、いつもより近い距離から見上げてくる相手に、自然と自分も顔を近付けていた。
彼女が目を閉じたのを見届けて押し当てたそこは、少しだけ冷たくて、とにかく柔らかかった。
数秒と経たずに離してしまった唇が名残惜しくて、焦点が合う距離から視線を注ぐ。
伏し目がちに細く息を吐いた志保は、ぎこちない笑みの形を作って、それからたどたどしく話し始めた。
「あ、ありがとう……」
「こちらこ、そ?」
「や、なんか、あれだね、照れるね。自分から言っといて、何だけど」
繋いだ両手を放せば、一目散に駆け出してしまうんじゃないだろうか。
そわそわと肩を揺らして話し続ける声は段々と小さくなって、最後には聞き取れなくなった。
こんなにも恥ずかしがるところを見たのは初めてだ。
「志保」
名前を呼べば小さく動いていた口がきゅっとつぐまれて、伏せていた目も恐る恐るといった様子で上目遣いに見上げられた。
こんな顔初めて見た、なんて思いつつ右手はしっかりと繋いだまま、左手を俯こうとした顔に添えてみる。
それだけで何をされるか察するなんて簡単なことだったようで。
俺の肩に添えられたその手が制止なのか合意なのか、考えるより先に柔らかさに酔いしれることにした。
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