君には勝てない
久しぶりに、みんなで飲みに行こうとなった。九十九課と、八神探偵事務所と、莉子さんと。莉子さんは場違いじゃ、と遠慮してしていたけどすっかり八神さんと莉子さんはセットみたいなものだったし、そんな気遣いは今更無用でもある。
異人町にある居酒屋で待ち合わせをして、九十九くんと向かえば一番最初に店の前で待っていたのはやっぱりというか、莉子さんだった。
「莉子さん、ごめんね。待たせちゃった?」
「ううん。今来た所だよ」
「フヒヒッ、何だか恋人のようなやり取りですな」
「え、だめだよ!そんなの聞かれたら僕が八神さんに怒られちゃう」
「……そんなことないよ?」
そんな事あるから、困るんだよなあ。
あの人言葉にしないだけで、莉子さんが異性と親しげに話してると無言で圧をかけてくるところがある。多分、本人は無自覚なのだから余計にタチが悪い。
腑に落ちてなさそうな莉子さんに、とりあえず先に店に入っちゃおうと提案する。肌寒くなってきた夜に外で待つほどの人達じゃない。
「予約していた九十九です」
「はーい!いらっしゃいませー!」
居酒屋らしい元気な挨拶で出迎えられて、奥の座敷へと案内される。5人ということもあってそこそこ広い。
莉子さんは八神さんの隣に座るだろうから、莉子さんの前の席に九十九君と隣り合わせで腰を下ろした。全員コートを脱いでひと段落した頃に、遅れて海藤さんだけがやってきた。
「悪い、遅れた」
「珍しいね、海藤さんがお酒の席に遅刻するなんて」
「おう。折角捕まえた猫が土壇場で逃げ出して追っかけてた」
「また?」
「それで、無事捕まえれたんですかな?」
「いや、まだター坊が追っかけてる」
「あー…」
外はすっかり暗くなっているだろうし、それは中々大変な事だろう。
海藤さんはどかりと莉子さんの隣にと腰掛け(でも気持ち一人分ぐらい間開けてるあたり、思う事は一緒らしい)とりあえずビールと店員に呼びかける。
「海藤さんは手伝わなくていいわけ?」
「逃したのはター坊だからな。自己責任ってやつだ。それにあんまり可愛い後輩たちを待たせるわけにゃいかねぇだろ?」
「そう言って、お酒飲みたいだけじゃないんですか?」
「まあ否定はしねぇな」
八神さんかわいそー、と言うべきか。ウキウキとした顔でメニューを開く海藤さんに、呆れたため息を送る。
まあでも、八神さんの事だから僕たちに気を遣って後は自分でやるから先に行くよう海藤さんに言ったんだろうなとは想像がつく。なんて言うか、よく言えば責任感のある大人。悪く言えばカッコつけだ。
「ではとりあえず、先に乾杯致しましょうか」
のほほんと笑いながら九十九くんがお酒を掲げて、僕たちも習ってコップを掲げる。カツン、と音を響かせて八神さん不在の僕たちの飲み会は始まった。
────
ワイワイと、最近のお互いの近況を話し合い楽しい時間が流れる。ずっと、引きこもっていた生活が一転、まさかこんな未来が待っていたなんてあの頃の僕には想像も出来なかっただろう。
隣では意外とザルなのか顔色ひとつ変えない九十九くんが4杯目のビールを口にして、赤い顔してすっかり上機嫌の海藤さんが5杯目のビールを飲み終えて焼酎を追加で頼んでいる。飲み過ぎだよ、本当。
ふと、海藤さんの隣で静かにお酒を飲んでいる莉子さんに目がいった。
仄かに赤くなった頬に、伏せったまつ毛は丁寧にマスカラが塗られていて長い影を落としている。綺麗に巻かれた髪の毛に、控えめな桜色のネイルがされた細い指。日焼け知らずの白い肌に主張しすぎない赤いリップ。
なんていうか、こんなにも隙のない美人なのに。その全部が八神さんにしか向けられてないのだと、見ていてよく思う。
「ねぇ、莉子さんってさー」
だからつい、気になっていた事を投げかけたくなった。
「八神さんのどこが好きなの?」
僕から見た八神さんは、笑っちゃうくらい何でも出来る完全無敵のヒーローで。それはまだ八神さんの事が憎かったあの頃でさえも思うほど、隙がない人だった。
結果的に言えば八神さんは悪くなかったとはいえ、あの頃真実を知らない人は容赦なく八神さんを責め立てて、酷く傷付けた。それなのに八神さんは言い訳の一つも溢している姿を見た事がない。
体も心も強い、大人の人。
そんなイメージの八神さんはさぞ大人の恋愛をしているんだろうと想像する。まあたまに情けない姿を見なくもないんだけど。それでも好きな人の前なら余計に、隙がなさそう。
莉子さんは僕の質問に目をパチパチと瞬かせ、やがてふわりと優しく微笑んだ。
「かわいいところ、かな?」
「………ん??」
かわいい。
あまりにも八神さんと結びつかない形容詞に、思わず固まる。意味が分からなくて隣にいる海藤さんに視線を流すと、目が合った瞬間ニッと歯を見せて笑った。
「知らねぇのか?ター坊の方が惚れ込んでるし、何なら転がされてるぞ」
ケラケラと愉快に笑う海藤さんに、益々訳が分からず首を捻る。惚れ込んでる……のはまあ、まだ分かる。八神さんの視線を辿れば莉子さんがいるし、その目はとても優しい目つきだし。転がされている。八神さんが?あの、八神さんが??
「えぇー??」
「おや、杉浦氏は納得いってなさそうですな」
「だってあの八神さんだよ?」
「しゃーねぇなあ。お前に良いモン見せてやるよ」
「え?」
ほれ、と海藤さんが莉子さんの手からお酒のコップを取って代わりにお水を渡した。そこで初めて、莉子さんが大分と酔っていることに気がついた。
酔うと声が大きくなる海藤さんの隣だからか、静かだった理由が酔っているせいだとは気が付かなかった。
よく見ればとろんとした眠た気な目をしているし、頬の赤みは酔っているせいか少し増している気がする。そんな状態の莉子さんに慣れているのか、海藤さんは優しく水を飲むように勧めていた。
「なあ、莉子ちゃん。ター坊の好きなとこ教えてくれや」
それさっきも聞いたのに。
そう口を挟みそうになったのを、海藤さんが目で制してくる。莉子さんはうーん、と少し唸った後、やっぱり柔らかく微笑んだ。その脳裏には、多分八神さんが浮かんでいるんだろうなと優しげな目を見れば分かる。
「ふわふわの、髪の毛もすき。目元の黒子も色っぽくてすき。あとはー、やさしい声も好きだし、ちょっと骨ばった手もすき。疲れたときに甘えてくるのもかわいくてすき。意外と猫舌なのもすき。んー、照れたときに首をかく癖もすきだなあ。なんでもおいしいって食べてくれる顔もすきだし、寝顔はちょっと幼くなるのも好き、かなあ。あと、」
「ちょ、ちょっと待って!!」
ふわふわとした口調なのに止まることのない惚気の数々に、寧ろこっちが照れてしまう。なんだろう。八神さんってそういうとこあったんだー、て気持ちと、親のラブシーン見た時のような気まずさでお酒じゃない熱で頬が熱くなる。
聞き慣れているのか、海藤さんはお酒とツマミを口にしながら「そーかそーか」と適当に相槌を打っていた。え、莉子さんって酔うとこうなるの??
「莉子ちゃん、たまーに酔うと素直になりすぎるんだよなあ」
「何とも、八神氏は色々大変そうですなあ」
しみじみと呟く九十九くんに便乗して僕も頷いておく。とろとろした顔でノンストップで惚気られれば、恋人としては嬉しいやら人前での気まずさやら色々あるだろう。
ましてや今ここに八神さんはいないんだし。……と思っていたら、丁度八神さんが店内へと入ってくるのが見えた。
僕と目が合うと、片手を上げて近づいてくる。すっかり1時間の遅刻だ。
………良いこと思いついちゃった。
しーっと人差し指を口に当てて、八神さんに知らせる。僕の行動で海藤さんが僅かに振り返って、八神さんの姿を確認した後不思議そうに首を傾げた。隣で九十九くんも僕が何をするのか伺っている。
八神さんが訝しげに顔を顰めながらすぐ近くまで来たタイミングで、相変わらずトロトロと眠たげな目をしている莉子さんに再度質問を投げかけた。
「ねぇ、莉子さん。八神さんと付き合ってそこそこ長いよね?名前で呼ばないの?」
「うーん。呼びたい、けど…。まだちょっと、はずかしい、かなあ」
「へぇ?じゃあさ、練習してみたら?」
「れんしゅう?」
「うん。ほら、一回名前呼んでみて」
僕の意図を理解してか、海藤さんが笑いを堪えるようにプルプルと肩を震わして俯いていた。そのすぐ後ろで、八神さんが訳が分からず固まっている。
莉子さんはきっとすごく熱くなっているであろう頬に手をやって、はにかんだ。視線は僕に向かっているけど、多分今僕の姿を通り越して、八神さんの姿を思い浮かべているに違いない。
「たかゆき、さん」
甘く蕩けるような声と微笑みに、釣られてこちらまで赤面してしまう。ただの友人である僕がこんなんなのだから、恋人である八神さんはもっと大変だろう。チラッと視線を移すと、八神さんは口を手で覆って必死にポーカーフェイスを保とうとしていた。
うーん、どうせならもっと八神さんを追い詰めたい。そう思うのは、僕も少し酔いが回ってるせいだと思うことにする。
「八神さんのこと、好き?」
「うん。すきぃー」
「莉子さんは、八神さんのことどう思ってるの?」
散々惚気ていたその口は、次はどんな惚気が飛び出すのだろうか。
莉子さんは「うーんとね」、と少し視線を宙に彷徨わせてから、ふふふ、と楽しげに笑った。
「隆之さんが、いっぱい幸せくれるから、私もいっぱい、しあわせにしてあげたいんだあ」
……すごい、口説き文句だなあ。
あまりに莉子さんが幸せそうに笑うから、そのまま八神さんを揶揄おうと思っていた口が止まってしまう。
クラクラと頭が揺らぐのは多分、この甘ったるい空気に当てられたせいだ。
「そこまでにしてやれ、杉浦。ター坊の顔見てみろ」
「わーお。八神さん、耳まで真っ赤だよ」
「………覚えてろよ」
海藤さんの言葉にハッとして八神さんを見ると、今までに見た事がないくらい真っ赤な顔で俯いている。
凄く、貴重なものを見た気分。「ほほう」と小さく九十九君も笑う気配を感じた。
「あーあ。僕胸焼けしそう」
「全くだ。ここはター坊の奢りな」
「いや何で」
「八神氏、莉子さんはもう帰られた方が良いのでは?」
「…そうだな」
まだ一回も席につかないまま、八神さんが莉子さんの肩を優しく抱いて帰る支度をする。まだ赤い顔の八神さんに追い討ちをかけるように、「あれー?隆之さんだあー」と間延びした莉子さんの声が聞こえた。
笑いを堪えきれてない海藤さんが、最後に莉子さんの鞄を八神さんに託して、「明日遅刻するなよ」と軽く肩を叩いた。
「…それは莉子次第かな?」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべた八神さんだけど、やっぱりその頬は赤くてイマイチ格好は付かない。ていうか、知り合いの前でそういう下ネタは遠慮して欲しい。
ふらふらと蹌踉めく莉子さんの腰を抱きながら歩く八神さんの顔は、やっぱりどこまでも慈愛に満ちた眼差しを持っていた。
そうして2人が去った席で、3人の中に小さく沈黙が生まれる。
「………飲むか」
ポツリと海藤さんが呟き、九十九くんが呼び出しボタンを押す。ビールを3人分追加して、何事も無かったようにまた他愛無い話を続けた。
あーあ。
ほんっと、あの2人にはこれからも幸せになって欲しいよ、なんて。
絶対八神さんには言ってやんないけど。