だから、違うんだって!


「きゃああああああ!!!」

切羽詰まった悲鳴が、事務所から響いた。
莉子と九十九課に留守番を頼み海藤さんと買い出しに出ていた俺は弾かれた様に階段を駆け上がった。
敵襲を受けるような心当たりはないが、最近喧嘩した誰かの逆恨みか。俺や海藤さんがいない時を狙って攻めてきたのならタチが悪い。いや、それよりも今は聞こえた莉子の悲鳴から、彼女に危害が及んだ可能性が高い。
何段も階段をすっ飛ばしながら嫌な想像が頭を駆け巡り、扉が壊れるんじゃないかという勢いで乱暴にドアを開ける。

「莉子!!どうし……っ、!?」
「きゃー!杉浦くん!!そっち!!」
「そっちってどっち!?」
「す、すすすすすぎうらし!!後ろ!後ろですぞ!!!」
「だからどこ!?っていうか何で僕が退治する役になってんの!?僕だって嫌なんだけど!」
「杉浦くん!!足元!!」
「うゎあああああ!!?」

──カオスだ。
目の前で繰り広げられるドタバタ劇に、ポカンと傍観していると後ろから慌てた様に駆けつけた海藤さんが、「何やってんだお前ら」と至って冷静に声をかける。

パンッ!!と鋭い音と共に杉浦が手に持っていた雑誌を床に叩きつけ、それと同時に俺よりも息の上がった3人が恨めしそうに俺と海藤さんに振り返った。

「「八神さん!!」」
「何この汚さ!カップ麺は食べ終わったらさっさと洗って捨てる様にって私言ったよね?」
「2人とも煙草も吸いすぎだし!ゴミ箱から吸い殻溢れてたんだけど!?」
「正直この様な部屋に依頼人を招き入れるのは同じ探偵業として如何かと思いますぞ!」
「ちょ、ちょっと落ち着いて…!」
「何だよンな必死な顔して…」

ワーワーと勢いよく浴びせられるクレームに、ぎょっとして数歩後ずさった。般若の様な顔した杉浦と莉子に、普段温厚な九十九までギラリと眼鏡の下で鋭い目つきを投げかけてくる。
何が何だか分からない俺と海藤さんに、3人は無言で一箇所を指差した。そこはさっき杉浦が雑誌で叩いた床で、今は雑誌が避けられその下にいるものが露わになっている。

「「………あ、」」

久しく見ていなかった黒い虫──あえて名前は伏せておく──Gの死骸を見て、俺と海藤さんは声を揃えた。



かくして、八神探偵事務所の年末の大掃除が強制的に始まったのだった。




⭐︎




「うわ、これ日付去年のだよ。こんなのお客さんに出すつもりだったの?」
「おや、これは昨日までのお菓子ですな。捨てますぞ?」
「なんだよ、勿体ねぇ。1日くれぇ大丈夫だろ。俺が食う。」
「え、大丈夫ですか?」
「あー、海藤さんなら大丈夫そう」
「どういう意味だよ」
「別にー?ていうか八神さんたち、ほんっと煙草吸いすぎじゃない?凄い空箱の数なんだけど。莉子さんも心配だよね?」
「うーん。禁煙してくれたら嬉しいのは確かかな」
「ついでに部屋も綺麗になるし一石二鳥だよね」
「……黙って掃除できねぇの?」

ひたすら手を動かしながら常に何かを責められ、肩身の狭い思いをしながら話を聞いていた。あまりの言われ様にジトッとした視線を杉浦に送ると、「ごめんごめん。何か言わないと気が済まないんだよね」と全く詫びれる様子もなく謝られる。
一応客商売だから目立つ様な散らかり具合ではないけど、まあ確かに細かい部分では汚いとは、思う。一応。

其々ゴミ袋やら雑巾を持って掃除を手伝ってもらって申し訳ないと思いつつ、隣で海藤さんが堂々とサボりながら酒瓶に手を伸ばしたのを視界の端に捉えて瓶を奪う事で阻止をする。
何すんだよ、と睨まれるがこの事務所が汚いのは半分は海藤さんのせいでもある。小言を言われるのは、連帯責任だ。

「海藤さんこそ飲みかけの酒放置しすぎじゃない?しかも元は俺のだし」
「ケチくさいこと言うなよ。お前が放置してるのを俺が片してやってんだろ?」
「放置じゃなくて大事にとってんの!」
「もー、2人ともくだらない事言ってないで手を動かし……」

殆ど無くなった俺のお酒コレクションは半分は海藤さんの腹の中だ。恨みを込めて睨んでみても、響く気配はない。開き直る海藤さんと軽く言い合いながらギャーギャーと騒がしい事務所の中で、クローゼットを掃除していた莉子の呆れた様な声が不自然に止まった。

中身の少なかったクローゼットは、莉子と同棲する様になってから更に少なくなった。そんな空っぽに近いクローゼットの前にしゃがみ込んで、莉子は静かに俯いている。

はて、と近くで雑巾を片手に窓を拭いていた九十九が首を傾げた。

「莉子殿?如何なさいましたかな?」
「………八神さん」
「ん?」


「なに、これ」

──その瞬間、冬の寒い神室町の、小さな探偵事務所は更に温度を5度くらい下げた。
振り返った莉子はにこりと笑っているのに、全く目が笑っていない。その彼女の左手には見覚えのない紙袋と、右手にはなんかこう……面積の少ない女性用の下着が握られていた。

「………え?」

思わず固まる俺の背後で、海藤さんたちがスッと気配を消して身を寄せ合うのを感じる。待って。俺もそこに混ぜて欲しい。寒い。めちゃくちゃ寒い。あれ、今日って氷点下だったっけ??
余計な事に気を取られながらも頭をフル回転させてその正体を脳内検索する。いや、誓って浮気はしてないしそんな下着の趣味はない。いや、そりゃ着てくれたらそれはそれで興奮するけど…いや、いやだから心当たりは別にないんだけど!

落ちる沈黙。
下がる湿度。

ややあって莉子の目がすうっと細まり、笑ってない笑顔が更に消える。

「八神さん」
「……はい」
「………きらい」
「え」

ひやりと冷たい声で、沈んだ瞳のまま莉子が事務所を出ていく。残される男四人。それと面積の小さいパンツ……レースの、ヒラヒラの、パンティ。………あ。

「パンティ教授の囮のヤツか…!」

三年前、変態三銃士の一人パンツ泥棒ことパンティ教授を捕まえるのに囮としてパンツを買ったんだ。一応何種類か用意していて、使用感を持たすためにタグも切って洗濯もした。結局一枚で教授は捕まり、残ったそれを紙袋に入れたまますっかり存在を忘れていた。
そんな事を、今更思い出したところでもう遅い。


きらい


その言葉が何度も何度も頭の中を駆け巡る。

「………八神氏??」
「…おーい、ター坊息してるか?」
「………だめだ。八神さん、死んでる」

誰の言葉も聞こえないほど、頭の中が真っ白になっていた。






── ♢



あれから何度も莉子の携帯に電話をかけるも出てくれず、メッセージを送っても既読にすらならず。挙げ句の果てに家に帰ってももぬけの殻で。まさかそのまま他の男の家にとか…なんて嫌な想像力だけ働いて死んだ様にベッドに突っ伏していたら、さおりさんから莉子が泊まりにきているという報告だけ受けた。とりあえずは安心した。

正直全くもって無実なわけなのだが。多分あの時の変な間がよくなかった。あれではやましい事があった上での言い訳を考えていると思われても仕方がないのかもしれない。何で三年前、三銃士が捕まった時点で捨てなかったのか…。後悔先に立たずである。

兎にも角にも、このままの状態で年越しを過ごす訳にもいかない。スマホのメッセージからある人物を呼び出しさおりさんに莉子への伝言を頼んだ。




────

──────

──────────


「パンティ教授の事ですか?ああ、あの時は妹の為に八神さんにはとてもお世話になりました!リボンの付いた赤のパンティ以外にも万が一の事を考えて色んな趣味のパンティを揃える用意周到さ!店員さんに変態者として見られても堂々としている姿!パンティ教授と拳を交わし合う姿!八神さん、かっこよかったです!」
「何か引っかかる部分もあるけど、そういうことなんだけど…。誤解は解けそう?」
「………つまり、あれは八神さんの趣味じゃないってこと?」

後日、M SIDE CAFE で莉子と、重要参考人としてパンティ教授を捕まえるキッカケともなった陽介くんを呼び出しアリバイ(?)説明をお願いした。何で買ったところまで知ってるのかとか言いたいことは色々あるが、今は誤解を解く方が優先だ。
会った時からシュンっ、としていた莉子がぎこちなく陽介くんに尋ね、彼は「恐らくは!!」と自信満々に余計な事を言う。そこは素直に「そうです!」で良いだろ。

「そっ、か…」

ほっ、とした様な。
だけどどこかまだ不安そうな顔で莉子が頷く。とりあえずは誤解は解けたらしく、陽介くんにお礼を言って店を出た。
今度こそ、二人で二人の家に帰るべく逃げられない様にしっかり手を繋いで歩く。

「あの、八神さん…」
「ん?」
「ごめんね、依頼の為だったのに私早とちりして…」
「いや、俺の方こそずっとアレ放置してたし…。もっと早く捨てるべきだった。…ていうか、もっとちゃんと掃除するよ。…多分」
「ふふ。それは、是非」

漸く訪れた平和な年末に、やっと心が落ち着く。穏やかに笑う莉子の横顔を見ながら、もう少し整理整頓を心がけるかと気を引き締めた。元より海藤さんからも事務所の危機管理能力が甘いと言われていたし(過去に不法滞在された事が多々ある)

そんな事を思っていると「八神さん」と再び声をかけられる。自然と立ち止まった莉子に合わせて俺も足を止める。
丸っこい莉子の目が俺を見上げ、何を言われるのかと身構えた。

「…好きだよ」
「………へ」
「きらい、て言っちゃってごめんね。海藤さんから、八神さんが凄く落ち込んでるって聞いたから…。」

海藤さん……!!
余計な事を言うなと怒るべきなのか、ナイスと褒めるべきなのか。どっちにしてもケラケラと愉快そうに笑う相棒の姿を頭に浮かべながら、ほんのり赤くなる顔を見られたくなくて誤魔化すように莉子の頭をぐしゃぐしゃに撫でた。

「わ、ちょっと!」
「だめ。俺結構傷ついたから許せないかも」
「えっ」
「……夜、覚悟しといて」

わざと耳元で囁くと、一瞬で莉子の耳が真っ赤になった。うーん、可愛い。いつも俺の方が取り乱されてるから、たまには振り回してみたかったのでこの反応は嬉しい。
ニヤリと笑って顔を離すと、顔まで真っ赤に染まった莉子がそっと口元に手を当てて内緒話をする様に再び顔を近づけてくる。なんだろうと少し屈んでその口元に耳を傾けた。

「あのね、……私も、新しい下着買ったんだけど」

この話の流れで、その話題は…。つまり、いつもと違う下着…だったりするのだろうか。思わず莉子の顔を覗き見ると、妙に色気を含んだ艶やかな瞳で微笑み返される。

あーーー、もう。
結局、俺の方が取り乱されてる。
こんなの夜まで待てる訳なくない?自分で言い訳しながら、莉子の手を強く握り直して少し強引に歩みを再開させた。早く、家に帰って押し倒したい。年末の真っ昼間に思う様な事じゃないだろうけど。

「あ、八神さーん!」
「…ん?」

いっそタクシーに乗って1秒でも早く帰ろうかと考えていた時、背後から若い女の子に声をかけられる。振り返ると数人の女の子が手を振って駆け寄ってきた。

「お久しぶりです!」
「もう、ぜんっぜん来てくれないんだから!」
「私たちにもたまには会いに来てくださいね!」

きゃあきゃあと楽しげに笑うのは、これも陽介くんの依頼で行っていたあっぷるパイの従業員の子達だ。色々あってそれなりに(変な意味は無く)仲良くさせてもらっていたが、依頼が無ければ寄ることない店だし、街中で会う事も減っていたから久しぶりと言えば久しぶりだな。

軽く挨拶を交わし、宣伝中だったのかポケットティッシュを渡された。年末も仕事とは中々大変だなと小さくなっていく彼女達の背中を見送ると、隣から「…………へぇ?」と低く、冷たい、声が届く。なにこれデジャヴ?

「いや、あの、今のはそう言うんじゃなくて…」
「セクシーキャバクラ、あっぷるパイ。…ふぅん?久しぶりで、"私たちにも"ってことは本命がいるんだ?」

ご丁寧にポケットティッシュに書かれた店名を読み上げ、莉子がまた絶対零度の微笑みを浮かべる。さっきまでの真っ赤に染まった可愛い顔とか。色気を含んだ微笑みとか。そう言うものと程遠い、感情のない瞳が俺を射抜く。

「楽しい年末を過ごしてね」

全く心のこもってない声色で笑い、繋がれてた手はスルリと解かれ。スタスタと歩き出す莉子に、ちょっとだけ泣きそうになった。俺が一体、何したっていうんだ。
不機嫌なオーラを纏いながら離れていくその背中を追いかけ、叫ぶ。


「だから、違うんだって!!」


来年からもう少し受ける仕事は選ぼう。
そう心に固く誓った。




top.