look at me only


「あ、杉浦くん」

買い物の帰り道、聞き覚えのある声に呼び止められた。振り返ると、仕事帰りなのかカジュアルな格好をした莉子さんが笑顔でヒラヒラと手を振って近寄ってくる。

「莉子さん。今帰り?」
「うん。これから八神さんとご飯行くから待ち合わせしてるの。杉浦くんも来る?」
「えー、カップルの邪魔しちゃ悪いしなあ」
「そんなことないよ」

呆れたように笑う莉子さんだけど、事実2人の時間を邪魔するのは申し訳ないと思っているのは本当。海藤さんや九十九くんがいるなら兎も角、折角の2人のデートを邪魔するほど空気が読めない訳じゃない。

「八神さんに挨拶だけして帰ろうかな。今度また誘ってよ。中華街の方に新しいお店出来たらしいから、みんなで行かない?」
「わ、いいね。行こう行こう」

そこまで高いお店じゃなさそうだから、きっと八神さんもきてくれるはず。楽しみだと笑う莉子さんと軽く談笑しながら、チラッと時計を確認する。待ち合わせしていると言っていたけど、八神さんは中々来る気配がない。

「八神さん、遅くない?何時に待ち合わせしてるの?」
「うーん…。もうすぐ近くまで来てるってさっき連絡あったんだけど………あ、」
「え?………あー…」

キョロキョロと辺りを見回した莉子さんの視線が、一箇所にストップする。釣られて僕もそっちに振り返ると、そこにはちゃんとお目当ての人物がいた。……一人じゃなかったけど。

「……なに、あれ」

莉子さんの冷ややかな声に、何故か関係ない僕の背筋まで凍りつく。八神さんの周りには誠稜高校の女子高生が複数人八神さんを取り囲む様に立っていて、その圧に押されてるのか困った様に笑っている八神さんが此方に気付く様子はない。

ちらりと莉子さんを盗み見すると、いつもの和やかな笑みは消えていてハイライトの消えた暗い瞳が真っ直ぐに八神さんを射抜いている。探偵のくせに、何で八神さんはこの視線に気づかないのか。

「ほら、前に言ってたダンス部の子達じゃない?訳あって指導してるって言ってた」
「それは分かるけど……ねぇ、何か八神さん、すっごいデレデレしてない?」
「えっ」
「してるよね」
「そう、かな?」
「そうだよ。いつもより口元も緩くなってると思う」
「えー、?特にそうは思わな…」
「思うよね」
「…ウン、そーだネ」

──あ、これめちゃくちゃ面倒くさいやつだ。
思わず逃げ出したくなったけど今更この場を離れるわけにもいかず。とりあえず重い莉子さんの声に大人しく従う事にする。──ちょっと、八神さん本当何やってんの??

「ねぇ、杉浦くん。彼女との待ち合わせより、可愛い女子高生を優先するのってどう思う?」

にっこり。
笑ってるのに笑ってない顔で、莉子さんが残酷な質問をしてくる。お願いだから、僕を巻き込まないで欲しい。
とにかくなるべく穏便に、当たり障りなくこの場を切り抜けなければ。

「うーーーん。どうだろ?ほら、相手は歳下の女の子だから構われたら無碍に出来ないんだよ。八神さん優しいから」

にっこり。
同じく笑って返すけど、ちゃんと笑えていたから分からない。さり気なく八神さんにもフォローを入れたのだから、後で絶対八神さんには借りを返して貰おう。
莉子さんは心なしか更に冷たくなった目で「ふぅん」と八神さんをジッと観察している。そろそろこの視線に気付けないのなら、九十九課が八神探偵事務所を超える日もそう遠くないのかもしれない。

「最近ね、八神さん忙しいみたいで。休みの日にも女子高生のためにダンスの振り付け考えたり、女子高生から電話がきて相談に乗ってあげたり、女子高生からお礼に手作りクッキー貰ったりしてるみたいなんだ。本当、優しいよね」

息継ぎする間もなく莉子さんの口からスラスラと出る言葉に、最早何も言えなくなって口を噤んだ。もう全部、八神さんが悪い。

海藤さんならこう言う場面も茶化したりして上手く納められるのかもしれないけど、生憎と僕にそんなスキルはない。他人の恋愛事情に首を突っ込めるほど、経験値を積んでいない。

「…いっそこっちから声かけちゃえば?」

莉子さんは彼女なんだし、そもそも先約してるのだし。そして今すぐ僕をこの重い空気から解放して欲しい。
そう思って提案すれば、莉子さんはパチパチと瞬きした後、さっきまでの冷たい目が嘘みたいに自信なさげに長い睫毛を伏せて俯いた。

「…あの中に入る勇気ない」
「何で?」
「だって、」

チラッと莉子さんの視線が女子高生に向けられる。相変わらずキャッキャと騒ぎながら、彼女たちは八神さんの腕に絡みついて楽しそうに笑っている。八神さんも早く抜け出せばいいのに。時間を気にしてる素振りはあるものの、乱暴にでもその手を振り解けない所が八神さんらしくて。優しい故に、酷い大人だと思う。

「…やっぱり若い子が良いって思われたらどうしよう」
「……んん?」

よく理解できない言葉に、はて、と首を傾げた。莉子さんは殆ど僕と同い年で、八神さんからすれば十分若い方だろうし、そもそも若いからといって未成年に手を出すような人ではない。いや、そもそも八神さんは年齢で莉子さんを選んだ訳ではないのは僕にだって分かる。

そんな事、莉子さんが一番分かっていそうなのに。

「だってあんな頻繁に至近距離で10代と接してるんだよ。私のこと嫌になってるかも…」
「…八神さんだよ?そんな理由で莉子さんの事嫌いになるなんてあり得ないでしょ」

莉子さんは多分知らないだろうけど、八神さんの莉子さんを見る目はあの女子高生達とは比べものにならないくらい特別な眼差しだ。
それは時々こちらが照れてしまいそうになるほど、慈愛に満ちた目で莉子さんを見ている。

八神さんが他に目移りするなんて、正直想像もできない。

「でも、」
「莉子!…と、杉浦?」

まだ何かを言おうとした莉子さんの言葉に被せるように、漸く八神さんがこちらに駆け寄ってきた。遅い。本当に。
何でお前がここに?て顔で見てくる八神さんにムカついて、ムスッと口を尖らせる。後で韓来ぐらい奢って貰わらないと割に合わなさすぎる。

「八神さん、莉子さんと待ち合わせしてたんでしょ?遅いよ」
「悪い、ちょっと捕まってて。何だ、杉浦も来るのか?」
「杉浦くんは待ってる間に付き合って貰ってたの。八神さんが鼻の下伸ばしてる間ずぅーと」
「はあ?」

棘のある莉子さんの声に、八神さんが片眉上げて怪訝な顔をする。
さっきまでの不安そうな気配が消えて、莉子さんが再び冷ややかな目で八神さんを見上げている。なんかもう色々諦めて、僕は気配を消す事に集中した。

「八神さん、女子高生に囲まれて嬉しそうにデレデレしてた」
「してないよ。ていうか、見てたなら声かければ良かったのに」
「私は待ち合わせ場所に、ちゃんと時間通りに来たのに?八神さんが普通に断れば良かったじゃん」
「それは…そうだけど。相手は指導してる子達だしあんまり邪険に扱えないでしょ。今時の子は傷付きやすいっていうし」
「何それ?放置されてる私は傷付かないと思ってるの?」

2人の声が、どんどん大きくなっていく。
それに伴って、外野の視線も集まっていく。
流石に止めた方がいいかなと思った頃、ボソリと八神さんが呟いた。

「あのなぁ…。ちょっと女子高生相手に大人気ないんじゃない?」

あーーー。
思わず頭を抱えたくなった。
何でそう言う事言っちゃうかなあ。

恐る恐る隣の莉子さんを見ると、酷く傷ついたように泣きそうに顔を歪めて、下唇を噛んでいる。流石に八神さんもヤバいと思ったのか、咄嗟に伸ばした手は呆気なく莉子さんに振り払われた。

「もういい!八神さんのバカ!変態!ロリコン!盗撮魔!!!」

とんでもない捨て台詞を吐き捨てて、莉子さんはその場から走って去ってしまった。残されたのは、行き場の無くした手を宙に彷徨わせながら固まる八神さんと、「ロリコン……」「盗撮魔……」「変態……イケメンの変態……」という外野からの好奇心と軽蔑の視線。
その視線が心なしか僕にまで向けられてる気がして、さり気なく八神さんから距離をとる。できればこのまま僕も逃げたい。ジリジリと後ずさりその機会を伺っていたのにゆっくりと振り返った八神さんと、バッチリ目が合ってしまった。

「………すぎうら」

恐ろしく覇気のない声と、普段なら考えられない死んだ魚みたいな目を見て、逃げられないと悟った。

本当に、本当にこの借りは大きいと思って欲しい。




──♢




side:莉子

八神さんたちから逃げるように去った後、激しい後悔に襲われていた。殆ど八つ当たりの様なものだったし、杉浦くんに至っては巻き込んでしまって本当に申し訳ない。
トボトボと暗くなり始めた道を歩きながら、さっきから震えるスマホに気付かないふりをする。

「お、莉子ちゃん!」
「え、海藤さん?」

道の先で何軒か屋台が出ていて、その中から小さな提灯がぶら下がった屋台に、大きな体を乗り出して手をぶんぶん振っているのは海藤さんだった。まさか異人町て会えるとは思ってなくて、小走りで駆け寄る。

「海藤さんもこっちに来てたんですね」
「おう、莉子ちゃんもター坊と飯食うんだろ?俺も久しぶりにこっちで飲もうと思って途中まで一緒に来てたんだわ」
「……私も一緒にいいですか」

既に何杯か飲んだのか、ほんのり顔を赤くした海藤さんが大きな首を傾げる。大柄な見た目に似合わず、可愛らしい仕草に思わず笑いそうになるのを堪えた。

「別に構わねぇけど…。ははーん。さてはター坊と何かあったな」
「飲みながら話します」

ニヤニヤと野次馬精神を隠そうともしない海藤さんの隣に座って、美味しそうなおでんが目の前でグツグツ煮込まれてるのを見ながら、とりあえずお酒を一杯注文した。








「やがみさんなんて、もうしらない!」
「分かった分かった。とりあえず水飲めや」

喉が熱くなるようなアルコールを流し込んで、泣く一歩手前の気持ちで八神さんへの恨みを吐き出す。ちくちくと痛む胸に気付かないふりをしてもう一口飲もうとすると、呆れたような顔で海藤さんからお酒のコップを奪われる。ひどい。

「しっかしまさか莉子ちゃんが女子高生にヤキモチ妬くなんてなあ」
「…やいてないもん」
「へいへい。自分より女子高生を優先されてモヤモヤしてたんだろ?正直に言えば良いじゃねぇか」
「…だって、そんなのバカみたいじゃないですか。自分よりずっと歳下の女の子相手に、こんなこと言うの…」

知ってる。
八神さんがきちんと指導員として女子高生たちと接している事。困ってる子をほっとけない事。未成年にデレデレするような性格じゃないこと。

でも、相手はそうだとは限らない。
いきなり歳上のカッコいい大人が近づけば、憧れから恋愛感情に移る事だってある。現に今日も八神さんを取り囲んでボディタッチをしていた子の中には、明らかに恋する女の子の視線があった。多分これは、同性だから分かる事なのかもしれない。

例え一方通行だとしても。
八神さんが他の女の子から好意を含んだ目で見られながら触られているのを見るのは、嫌だ。


「………わたしの八神さんだもん」

言わなくたって、気づいて欲しい。
2人でいる時に、他の女の子に気を取られてほしくない。優しいところも好きだけど、もっとハッキリ断って欲しい。

私だけを、見て欲しい。

「だってよ、ター坊」
「………え、」

ひょい、と海藤さんが体を捻って振り返る。お酒のせいでふわふわする頭がワンテンポ遅れてその言葉に反応した。ター坊。当たり前だけど、海藤さんがそう呼ぶのは1人しかいない。
俯いていた顔を上げて私も振り返ると、大きな手で顔を隠しながら八神さんが立っていた。なんでここに居るの、と海藤さんを見ると、ポケットからスマホを取り出してニヤリと笑ってる。

「報連相は探偵の基本だろ?」
「うぅ…スパイだ。ひどい」
「ンな事言うなって。莉子ちゃんがター坊からの着信に一向に出ねぇから俺が代わりに心配すんなって連絡入れといてやったんだぜ」
「海藤さん、ごめん。ありがとう」
「おーおー。痴話喧嘩も程々にな」
「杉浦と一緒に今度何か奢るよ」
「へっ。アイツはそこら辺ちゃっかりしてるからな。高くつくぞ」
「………うん。知ってる」

私を置いて交わされる言葉のキャッチボールに、酔いが回った頭ではついていけない。
ぽやぽやとしてる間に、八神さんがカウンターにお金を置いて腕を引っ張ってきた。されるがまま覚束無い足取りで立ち上がると、ふらりと身体が傾く。

「おっ、と…」

肩を抱かれて、急激に近づいた体から八神さんの匂いが全身を包み込んでいく。さっきまでモヤモヤしてたくせに、その匂いに飛びつきたくなって残り少ない理性を働かせてなんとか耐えた。

「じゃあな」

やれやれ、と海藤さんが優しい笑みを浮かべて片手を上げたのを、上手く働かない頭なりにへにゃりと笑って手を振り返す。同時に、はあ、と何と言えないため息が頭上に落ちてくる。あ、お金返さないと。そう思うのに急に動いたせいで余計に酔いが回って、家に辿り着くまで碌な会話は交わされなかった。









「はい、水飲んで」
「うぅ……吐きそう」
「トイレ行く?」
「いい……ねむい」

ベッドに腰掛けながら、八神さんから渡された水を一口飲み込む。冷たい水がアルコールに焼けた喉を浄化する様に通った。
久しぶりに飲んだからか、いつもと違う日本酒に手を出したからか。こんな風に酔った事は無かったのに、ふわふわとする気持ちとズキズキと痛む頭が同居して思考が上手く回らない。

ギシ、と音を立てて隣に八神さんが座ったのを、どこか他人事の様に感じている。


「さっきはごめん。言いすぎた」
「んーん。わたしも、ごめんね?」

頭を撫でられて、気持ちよさに八神さんの肩にもたれかかる。するすると撫でる手が優しくて、少しだけ泣きそうになった。

その体制で、八神さんから落ち着いた声で謝られる。私も考えるより先に口が動いて、結構酷いことを言ってしまったと謝った。
変態とか、ロリコンとか。盗撮魔に至っては実際そんな容疑がかかったらしいので、わりと洒落にならないかもしれない。勿論誤解だったらしいけど。

「杉浦から聞いたよ。莉子に対して優先順位下げたつもりもないんだけど。そう思わせたなら、俺が悪い。ごめんな」
「…うん。わかってるつもりだったの。でも、2人でいる時に他の女の子に意識がむくの、だめだったの」

ぐりぐりと八神さんの胸に頭を擦り付けると、ぎゅうっと力強い腕で抱きしめられる。苦しいくらいの抱擁に、泣きたくなるほど安心してしまうのはもう随分と八神さんに溺れているせいだ。


「わたし以外のひとに目移りしちゃ、やだ」
「…しないよ。俺は最初から、莉子しか見てない」


そう言って軽く触れるだけのキスをして、八神さんが優しく笑う。それが堪らなく幸せで、嬉しくて、ふにゃふにゃと笑いながらもっと、と強請るように下唇を甘噛みした。八神さんはそれに答えるように、ベッドに傾れ込むように倒れて何度も何度もキスの雨を降らせた。

まるで夢の中のようなふわふわとした心地良さに、八神さんの首に腕を回して甘いキスを堪能する。

「やがみさん、」
「うん?」

そのキスを受けながら、隙間に呼びかけると私の乱れた前髪を払い除けながら八神さんが動きを止める。相変わらずカッコいい顔だなあ、なんてぼんやりと眺めながら、八神さんの頬を緩く撫でた。



「ねむい」
「え」


限界に達した眠気が、もうすぐそこまで来てる。キスによる酸素の不足と、柔らかい布団の感触と、温かい八神さんの体温。それから最高に心地良い幸せが、私を更に最高の眠気へと誘っている。へらりと笑って、私は争う事なく瞼を閉じた。

「いや、ちょ、え?今?」
「ぐぅ」
「………マジで?」

どこか悲しげな八神さんの声を遠くなる耳で聞きながら、私は安らかな睡眠の世界へと落ちていった。







(後日、お世話になった杉浦くんには謝り倒して焼肉を奢ったし、海藤さんにはしっかり揶揄われた。)



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