衝動
────あの日。
西田たちはとにかく手柄を立てたくてリゼで花織を待っていた。花織の事を尾崎が気にかけていたの知っていたから、遠目からよく花織を見ていた。一匹オオカミのように人と群れず、自分だけの世界を持っているような女。訳アリの若者が多いこのクラブで、花織は少し異質な存在だった。
自分たちとそう変わらない年頃の女一人くらい簡単に拉致できると思っていた。仲間たちとお酒を飲みながらどうやって拉致ろうか、どうやってクスリを飲まそうか。どうせなら、もっと楽しいことをしようかと笑いながら話していた時だった。
「…今、花織の名前だしませんでしたか」
一人の少女が声をかけてきた。
見るからに真面目そうな、この場に不釣り合いな少女だった。言うなれば自分たちと正反対の、優等生のような女の子。何度自分たちがこういう存在と比べられてきたことか。
西田は不快感を隠そうともせず少女を睨んだ。
「は? なに、お前」
「ここはお前みたいな優等生のお嬢様が来る所じゃねぇですわよー」
「ぎゃはは!マジウケる」
笑いながらさっさとどっか行けと手を振るも、少女は緊張した面持ちのままどこうとはしない。そういえば、さっきこの少女は佐倉花織の名前を出していた。二人は知り合いなのかもしれない。どこまで話を聞かれていたのかは知らないが、本人にチクられてしまっては少し面倒だ。
「えー、もう何。めんっど」
「花織のこと、攫うとか、言ってました、よね」
「いやいや、冗談じゃん。俺ら花織ちゃんのお友達だし。そういうお前は何なの?」
「わ、私も花織の友達です。あの、さっきクスリがどうとか言ってませんでしたか」
オドオドとしているくせに、一歩も引こうとしない少女にチッと小さく舌打ちをこぼした。こうなってしまえば、いっそ丸め込んだ方が早そうだ。西田は頭の中で計画を切り替えるべく考える。
そうだ、花織の知り合いならばこの少女を使って花織自らを呼び寄せた方がリスクも少ない。
そう思いつき、パッと表情を変えてにこにこと愛想よく西田が少女の肩を抱いた。
「俺らはさー、花織ちゃんにクスリを売ってあげてるんだよ」
「な、にを…」
「花織ちゃん、キャラメルの匂いよくさせてない?あれ、最近流行ってるクスリのせいなんだよ。」
「そんな…」
西田の言葉に、少女の表情が強張った。思い当たる節があるのか、動揺して瞳が揺れている。その様子に上手くいったとついつい緩んでしまう口元を隠さず、西田が更に畳み掛ける。
「確かめてみる?俺らが溜まり場にしてるカラオケがあんだけどさ、そこで売る約束してんだよ」
「でも、花織はそんなことするような子じゃないです。それに、もうすぐ此処に来る予定で…」
「もうすぐって?」
「それは…ちょっと遅れるって連絡があったから分からない、けど…」
「あー、ね。それ多分今まさにクスリ買おうとしてるからじゃね?」
ポロポロと情報をこぼす少女に、都合よく事が運ばれてすっかり気をよくした西田は上機嫌に少女を出口へと誘導した。
黒い髪の、真面目な服装の、自分たちとは住む世界が違うような優等生。そうだ。花織が来る前にこの少女で少し遊んでやろう。散々少女のような真面目で模範的な人間に自分たちは馬鹿にされゴミのように見られてきたのだ。少しくらい、自分がこの優等生を泣かすくらい、許されたっていいだろう。
そして、連れ込んだこのラムダで少女は眠る様に死んでしまった。
⬜︎⬛︎⬜︎⬛︎
「し、死ぬなんて思わなかったんだ…!」
ガクガクと震えながら叫ぶ西田と、同じように震えながら俯く少年たちに八神たちは怒りでどうにかなってしまいそうだった。それは随分と身勝手な理由であり、なんの関係もない少女に自分の鬱憤を八つ当たりするだけの最低な行為だ。
怒りで熱くなる心とは裏腹に、体の奥から冷えるような感覚に杉浦はきつく拳を握った。知っている。この感覚を。自分の姉が死んだと知らされたとき、そして本当の犯人を目の当たりにしたとき。制御できないような憎しみが体中を支配するこの感覚を。
自分でさえこんなにも怒りが沸くのだから、花織はどんな気持ちだろうか。そっと様子を窺うと、花織も同じく拳を握りしめ、下唇を噛みしめながら必死に何かを耐えているようだった。
「尾崎さんに連絡したら、丁度強いキャラメルが手に入ったからその女で試してみよう、て言って…。でもそれが、思ってたよりも強いやつで。ずっと騒いでたのに急に大人しくなったと思ったら、寝てるみたいにピクリとも動かなくなって、それで、」
「……それで、まるをどうしたの」
「俺たちはヤバイって思ったけど、尾崎さんは適当に捨てとけって。薬中の死体なんてそう珍しくないからって…それで、近くの路地裏に…」
「放棄したのか」
「はい…」
「救いようのねぇ奴らだな」
海藤の重く低い言葉に西田たちは何も言えず項垂れた。いくら悪いことをしていても、いくら世間のはみ出し者といわれていても。まだ未成年の少年たちにとって、流石に人を殺したという事実は重くのしかかっていた。
尾崎に助けを求めても不機嫌そうな顔を返されて、その時の尾崎の面倒くさそうな顔を西田は今でも覚えている。とても、人を殺してしまった後の人間のする顔ではなかった。
──「あ? 知るかよ。俺が言ったのは花織だったのに勝手にその女連れ込んだお前らが悪い。もし捕まって俺の名前口にしてみろ。一生お前のこと許さねぇからな。」
冷たい台詞と覇気の迫るその瞳に、西田たちはそれ以上何も言うことができなかった。そうして少年たちは誰にも相談できず、時間だけが過ぎ一週間が経過していた。
「でも、俺怖くなって…次の日見に行ったんです。そしたら、死体も消えてて…」
「? どういうことだ」
「分かりません。尾崎さんに聞いても知らないっていうし…」
死体がないのなら、自首したって意味がないだろう。もしかしたらこのままバレずに行けるかもしれない。そんな思いが少年たちの心を支配していき、けれど決して胸が晴れることもなくモヤモヤとした日々を送っていた。寧ろ、今ここで八神たちに罪を告白できたことで少しの安堵感さえ覚えている。
どこまでも自分勝手な思考にも気づかないまま、西田は花織を見た。自分を見下ろす、恐ろしく冷え切った眼差し。何故尾崎が花織に執着するのか分からなかったが、あの少女が最後まで花織の名前を口にしていたのを聞いて、少しだけ羨ましいとも思った。自分には、死ぬ間際に思い浮かぶ友人も、思い出してくれる友人もいないのだ。西田は花織の視線から逃げるように膝の上で握られた拳をジッと見つめた。
「…それから数日経って尾崎さんから佐倉の写真が回ってきたんです。今後一切佐倉をクラブに入れるな、キャラメルについて聞かれても何も答えるなって」
「それで花織ちゃんは出禁になってたのか」
「なんで、誰もその時に救急車を呼ばなかったの? そうすればまるは助かったのに!」
叫ぶ花織の声に、誰も何も答えなかった。答えずとも、正解は嫌でもわかる。全員が全員、保身に走った結果だろうと。まだ若いとはいえ殺人は殺人だ。これから待ち受ける法の裁きがどんなものなのか、知識がなくても想像はできる。
知らない少女一人の命と、自分たちの未来を天秤にかけた自分勝手な結果が今に至る。
「…もういい。尾崎はどこにいるの?」
「多分、クラブのVIPルームに…」
重いため息をついたのは、誰だったか。
手をかけたのは彼らだったが、そのきっかけや指示を出したのは尾崎だ。西田たちは勿論野放しはできないし、尾崎もこのまま見過ごすわけにはいかない。
カラーギャングのリーダーならクラブのオーナーから八神たちのことを聞いている可能性は高いし、最悪既に逃げている可能性もある。すぐにリゼに戻るべきだろう。
「…命拾いして良かったね」
「えっ…」
「八神さん、私外で警察に電話してくるね。一応、見張っといてよ。…これ以上馬鹿なことしないように」
「花織ちゃん、俺が電話するよ」
「へーき。ちょっと、外の空気も吸いたいから」
そう言われれば八神にはそれ以上の引き留める言葉が思い浮かばず、硬い表情のままの花織の背中を見送るしかなかった。
後で山下夫妻にも連絡入れなければと思うと、ずっしりとした憂鬱な何かが八神の心に押し掛かる。いくら娘に興味のなさそうな両親とはいえ、流石に娘が亡くなったと聞かされれば平常心でいられないだろう。
先のことを考え気が重くなる八神の横で、「にしてもよ、」と海藤が顎に手を添えて首を捻った。
「死体は一体誰が隠したんだ?」
「尾崎じゃないの? 結局そいつも自分の身が可愛かったんでしょ」
「いえ…、それが俺も気になって後で調べたんですけど、尾崎さんは俺らと別れた後ずっとリゼで飲んでたらしくて…。いつもあの人の周りには人が多いですし、多分そんな時間はなかったと思います」
「人を殺しといて酒か。つくづく救えねぇ奴だな」
心底呆れたように吐き捨てる海藤に、八神たちも同意見だと頷く。せめて後悔で震えてでもしていればまだ救いもあったかもしれないのに。西田や花織の話を聞くに、そういうタイプではないのだろうと安易に想像できる。
では、誰が咲良の死体を隠したのか。
当事者である彼らが違うのなら、他人が死体を隠すメリットなどないはずだ。
「…実は咲良ちゃんはまだ生きていたとか?」
「死んだことは、間違いないのか?」
「それは…。多分。尾崎さんが脈を測ったりしてたので…」
そこでふと、八神の脳裏に小さな違和感が浮かんだ。
先ほど花織は『救急車を呼べば助かったのに』と言った。どういう状況なのか実際に目にしていない状況で、唯一それを知る当事者から『死んだ』と先に聞かされればその時点で彼女がまだ生きていたという可能性を思い浮かべるのは少し不自然ではないだろうか。この場合、『助かったかもしれないのに』という言葉回しの方がしっくりくる気がする。ただの偶然かもしれない。その言葉に大した意味はないのかもしれない。だけど、
──命拾いして良かったね。
確かに、花織はそう言った。
ドクン、と心臓が大きく鳴って、八神は慌てて部屋から飛び出した。後ろで海藤と杉浦が呼ぶ声を聞きながら、嫌な予感が全身を駆け巡る。
部屋の外には、花織の姿は見えない。
ならば店の外か。
頼むから、外で大人しく待っていて欲しい。親友が死んだと聞かされて、ショックを受けているその姿で。泣いていてもいい。怒って叫んでいたって、それでいい。
入り口から飛び出すと、すっかり暗くなった外では派手な看板のライトがあちこちに光っているお陰で随分と明るい。しかしその明るさの届く範囲に、花織の姿はどこにもなかった。
「八神さん、どうしたの!?」
「…っやられた…!」
「え?」
「花織ちゃんの狙いは最初から、山下咲良じゃなくて彼女を殺した犯人だ!」
叫びながら、八神はClubリゼへと向かって走り出していた。
──僕さ、あの子の目…。何か見たことあるんだよね。
杉浦の言葉が八神の頭の中に浮かんだ。そうだ。花織の目は最初から、誰かを殺したがっていた。その感情を悟られないよう必死に隠して、無理やり笑って。
かつて八神が杉浦から向けられていた感情。気づくことのできなかった、あまりにも悲しい殺意。どうしてもっと早くに気づけなかったのか。グッと奥歯を噛み締めて、八神はとにかく全速力で走る。
花織が犯人を憎む気持ちは、よく分かる。
だけど復讐なんてするくらいなら、いつだって自分たち大人が守ってやるから。だから胸に秘めた凶器を握るくらいなら、いっそ目の前で絶望に泣いてくれた方がよっぽどマシだ。泣いたらきっと、いくらでも立ち上がるチャンスがある。苦しくたって、辛くたって、まだやり直せる。
だから花織がその手を血に染める必要なんて、ないのだから。