協力


「はあ?何だそれ」
 騒がしい街中に、不愉快そうな男の声が落ちる。話しかけた少女は男の表情や言動から自分の目的とは違うかったことを察して、ニコリと綺麗に作られていた笑みを消した。明らかに興味をなくしたような態度で、深いため息をつく。

「………はあ。ごめんなさーい。勘違いだったみたい。じゃね」
「いやいや、ちょっと待てよ」

 手短に謝り踵を返そうとする少女の手を、男が掴んだ。力加減が悪かったのか、少女の顔が小さく歪む。男はそんな様子に気付く事もなく、へらりと笑って少女を離すまいと引き寄せた。

「なに?新しいナンパ?ちょうど俺も暇してんだよ」
「は?違うけど。勘違いって言ってんじゃん」

 少女がぶんぶんと手を振ってみても、男の手はガッチリと少女の手首を掴んだまま離れない。それどころかその反応も楽しむように、口元はニヤニヤと意地汚く歪んでいる。今度は少女が不愉快そうに声を荒げた。

「離してよ!」

 少女が大声を出しても通り過ぎて行く大人達はみんなチラチラと視線をよこすだけで、誰も少女を助けようとはしない。それにも苛々して、少女は掴まれていない方の手を振り上げ男の顔を殴ろうとし、───「カッコ悪い事してんなよ」いつぞやの低い声がそれを遮った。

「相手にされねぇからって歳下の女の子に絡み方ってもんがあんだろうが」
「ほら、手離しなよ」

 少女の手首を掴む男の手首を、がっしりとした大きな手が握る。「いててててて!!」ミシミシと小さな音を立てて握られるそれに、男は反射的に少女の手を離した。そして少し開いた少女と男の間に、若い男が少女を庇うように滑り込む。
 一体何事か、と少女が目を瞬かせていると、ぽん、と肩を叩かれた。振り返ると黒い髪の男───八神が、安心させるように微笑んでいた。




 数秒後。
 あっという間に男は地面に伏せった。
 恥をかかされたと憤り「俺は黒帯持ってるんだぞ!」と吠えていた男は、海藤に一切の手出しも出来ず呆気なく伸びている。

「これで終わりか?手応えねぇなあ」
「当たり前だけど、僕の出番無かったね」

 呆れたように肩をすくめる海藤の横で、杉浦がツンツン、と男を爪先で突きながら少し不満そうに呟いた。元々喧嘩好きではないが、八神達といると危険が伴うことが多い。場数を慣らすのも、経験値として欲しいところだったのだが。今回は自分の出る幕は用意されなかったらしい。
 適当に通行人の邪魔にならないよう道の端に男を転ばせて、二人は改めて八神と少女──佐倉花織に振り返った。

「怪我はないか?手首、赤くなってんだろ」
「へーき。痛くないし。何かよく分かんないけど、助けてくれてありがとう」
 そう言って花織はヒラヒラと大丈夫な事をアピールするように手首を振る。確かに赤くはなっているが、特に痛みもない。きっとすぐに赤みも引くだろう。
 派手な見た目とは裏腹に、花織は丁寧に頭を下げてお礼を述べた。スルーばかりする大人達の中で、助けてくれたのは目の前の男達だけだ。神室町では男女のトラブルなんてザラにあるから、多分無視をするのが賢い選択ではあるのだろうけど。

「俺たち、君を探してたんだ。佐倉花織ちゃん、だよね」

 八神の言葉に、花織は浮かべていた笑みを引っ込めてすぐに警戒心を露わにした。少しだけ後ずさる姿を見て、杉浦がさり気なく退路を断つ。「けーせつ?」短く問われ、その勘違いに海藤は思わず吹き出した。堅気に戻ってからも散々ヤクザと言われてきたが、警察に間違えられたのは初めてだ。

「安心しろよ。俺達ァただの探偵だ」
「探偵…?」
「そ。八神探偵事務所です。怪しいものじゃないから安心して」

 八神が名刺を渡しながら、努めて優しく微笑む。突然大の男三人に囲まれて、未成年者である花織が不安な気持ちになったって何もおかしくはないからだ。
 果たして怪しい人が自ら怪しい者ですと言わないように、今の八神の言葉にどれほど信憑性があるかは分からないが。

「探偵……」

 名刺を受けとり、花織が考え込む。その大人を警戒する姿に、何かあるのではと勘繰ってしまうのは八神が探偵だからか、大人としてだからなのか。
 まだ確かな証拠はないが、彼女にはドラッグに関わる何かがあるのは間違い無いだろう。山下咲良の件とは別に、やはり未成年者がドラッグに関係あると知れば余計に見逃すわけには行かない。まだ警戒心は解けそうにない花織に、笑みを崩さぬまま八神が話を続ける。

「山下咲良、て女の子知ってるよね。その子の両親から捜査依頼があって。君、仲が良かったみたいだから話聞きたいんだけど、良いかな?」
「………あの子の親が?」

 その時、営業用にと貼り付けていた八神の笑顔はぴくりと固まった。煩かった街中の音が消えるような、背筋が凍るような冷ややかな目が八神を静かに見上げる。
 先程までの間延びした口調からは考えられないような、妙に大人びた表情で花織は綺麗に口元だけを歪ませ笑った。

「今頃まるを探してるの?……ウケる」
「まる?」
「ね、いいよ。協力してあげる。でもとりあえず場所移動しない?ここじゃ煩くて話しにくい」
「…分かった。すぐそこのスマイルバーガーでいい?」
「うん」

 八神の提案に素直に頷く姿は、年相応の顔に戻っていた。それはたった数秒の出来事だったが、八神は確信する。これは、ただの家出のような簡単な依頼なんかじゃなかったと言うことを。





 ⬜︎⬛︎⬜︎⬛︎




 佐倉花織を一言で表すならば、『今時の若者』だった。明るい茶髪に間延びした喋り方、歳上にも物怖じしない空気。フラフラと平日の真っ昼間から治安の悪い神室町を制服姿で歩く度胸は、まだ怖いものを知らない子供だからか。
 今花織は歳上の男三人に囲まれても気にした様子もなく、呑気に美味しそうな顔でジュースを飲んでいる。
 席の都合上花織の横に杉浦、その正面に海藤、そして花織の前に八神が着席していた。さり気なく通路側に杉浦が座り退路を絶っているが、果たして彼女がその事に気づいているかは分からない。

「とりあえず、自己紹介しようか。俺は八神隆之。探偵事務所を開いてる。こっちは相棒の海藤さん。それと臨時の助っ人、杉浦」
「海藤さんは知ってるよ。前に声かけた人だよね」
「おう。あの時は驚いたぜ」
「ちょっと、僕の紹介雑じゃない?」
「悪い、他に言葉が思いつかなかった」

 あの時はごめんねー、なんて軽い言葉を交わす花織と海藤の横で、杉浦は不満そうに八神に小言をぶつけた。確かに今は色々忙しく八神探偵事務所に顔を出す頻度は減ったので臨時、という言い方に誤解はないのかも知れないが。
 少なくとも、以前抱いていた感情とは正反対の気持ちを八神に向けているのは、杉浦自身とっくに自覚して認めている。決して本人には言えないが、それは憧れに似た感情だ。なので少し仲間外れにされたような言葉に、杉浦は僅かに口を尖らせた。
 そんな杉浦に八神は苦笑しながら短く謝罪を述べ、花織に視線を戻した。その意図に気がついた花織は咥えていたストローを外して、八神ににっこりと笑って答える。

「知ってるみたいだけど、私は佐倉花織。まるの友達だよ」
「そういえば、さっきも言ってたけどその『まる』っていうのは山下咲良の事で良いんだよね?」
「え?…あー、うん。そっか。うん。ヤマシタサクラちゃんのお友達」
「まるって、あだ名?」
「うん」
「ヤマシタサクラ……ヤマシタサクラ……どっからまるが出てきたんだ?」

 頭の中で反芻している言葉をそのまま声に出しながら、海藤が不思議そうに首を傾げた。山下咲良の名前のどこにも『まる』という文字は入っていない。三人から回答を求められる視線を向けられて、花織は肩をすくめた。

「そんな大した理由じゃないよ。咲良と佐倉で、お互い名前が被ってるからややこしいよね、て話になってあだ名を付けたの。ほら、ちびまる子ちゃんってあるじゃん?あの子もさくらももこだけどまるちゃん、て言われてるでしょ」
「まさか、それだけ?」
「うん。まるも小さくて頭の輪郭が丸かったから。まる。かわいーでしょ」

 まるで自分のことのように、自慢気に花織は笑った。そう言われて八神は改めて咲良の写真に目を落とす。確かに黒いボブの頭は丸っこくて、小柄の体型は『ちびまる』っぽい。単純な理由だがとてもよく似合っている可愛いあだ名だと思った。
 八神の視線を追って写真の存在に気がついた花織は、身を乗り出し八神の手元からひょいっと写真を奪った。その横で杉浦も咲良の姿を確認しようと、横から写真を覗き込む。まだあどけない、優しい笑みを浮かべる少女が山下咲良だ。
 しかし花織はそこに写る友達の姿に、ふん、っと冷たい声を落とした。

「やっぱり。この写真、まるの親が持ってきたんでしょ?」

 心底軽蔑したように花織は写真を睨んだ。返しなさい、という意味で八神が無言で頷きながら手を差し出すと、花織は大人しくその手に写真を乗せる。
 先程から感じているのは、花織は咲良の親に嫌悪感を抱いているということ。それは山下夫妻にも見られていたから、特別不思議では無かった。見るからに真面目そうな夫婦と、その子供。それと正反対の花織では価値観も違うのだろうと推理するまでもなく想像できる。

「ね、変だと思わなかった?これ中学の入学式の写真だよ。私たち、もう十七歳なのに。普通こういうのって、最新の写真持ってくるでしょ」
「ああ。確かに不思議には思ったよ。…でもまあ、夫婦共々随分と忙しそうみたいだったし」
「そんなの言い訳じゃん。中学の卒業式も、高校の入学式にも行かなかったんだよ、あの親」

 山下咲良は、自分の家庭のことも花織に細かく相談していたのだろうか。不信感の積もった花織の目に、かつての自分を思い出して八神は思わず視線を逸らした。
 仕事ばかりの両親。広い家に、一人きりの時間。決して蔑ろにされていたわけではないが、確かにあの頃自分は両親に対して不満や不信感を抱いていた。

 山下咲良も同じだっただろうか。
 山下夫妻は、娘をどう思っているだろうか。

「ね、だからさ。私と手を組もうよ」
「ん?」
「だーかーらー、そんな無責任な親よりさ、私の方がまるについて詳しいし、頼りになると思わない?」

 さも名案だと言わんばかりに、花織は人差し指を八神に向けてニヤリと笑った。
 確かに娘のことをよく知らない無関心な親よりも、咲良と友達である花織の方がよっぽど有益な情報を持っているだろう。
 だけどなあ、と頭をかきながら八神は返事を渋る。これは仕事であって遊びではない。人探しという立派な依頼なのだ。
 そこでふと、八神は疑問を抱く。手を組む、という事は協力するという事だ。つまり花織も、咲良の事を探していたのだろうか。

「もしかして、花織ちゃんが『キャラメル』について聞き回ってるのは、咲良ちゃんに関係あったりする?」

 八神の質問に、花織はスッと表情を消した。
 試すような冷たい目が八神を見据える。まだ未成年のくせに、何故彼女はこうも大人びた暗い眼差しを待っているのか。

 じっ、とお互いの視線が重なり合い、静かな沈黙が降りる。やがて花織はゆっくりと目を細め、

「手、組むでしょ?」

 と確信を得た笑みをこぼした。




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