リゼ
Clubリゼの中は多くの若者で賑わっていた。薄暗い店内に、派手な色のライトが反射して心臓に重く響くような音楽が絶えず流れている。その居心地の悪さに、杉浦は深いため息をついた。
「あれ、杉浦さんこーゆーの苦手?」
「少なくともこの調査が終わった後でもう一回来たいとは思わないかな」
「ふーん。楽しいよー。頭空っぽになるから」
考える暇を与えないくらい騒がしいこの場所は、難しいことを考えなくて済むので花織のお気に入りの場所だった。みんな馬鹿みたいに騒いでいるので、それを眺めていると自分の悩みが小さく感じるのだ。
花織は手慣れた様子でドリンクを頼み、一つを杉浦に渡した。それを受け取りつつ、杉浦は視線を花織に合わせる。
「…アルコールじゃないよね」
「ちょー失礼。私こう見えて法律は守ってるんだよ」
初対面の印象から、品行方正とは結びつかない花織に確認すれば少しムッとした表情で反論される。派手な見た目の未成年は全員煙草やお酒に手を付けているイメージがあったが、花織は意外にもルールは守るタイプらしい。
「杉浦さんだってモテそうじゃん? 学生の時女遊び激しかったとか」
「残念。僕は高校中退してそっからずっとニートだったんだ」
「え、意外」
「まあ、色々あってね。今は一応社会人として頑張ってるよ。高校も、姉が色々気を利かせてくれて通信で卒業資格も取れたしね」
「へー。じゃあ意外と苦労人?」
「ははっ。かもね」
色々あった。本当に、色々。
学生時代から今までの事を思い出して、杉浦は深く息を吸った。今思えば楽しいことより辛いことの方が多かった気がする。それでもその過去があるからこそ今をこうして生きているのだから、人生どう転ぶか分からないものだ。
騒がしい店内を見回せばみんな楽しそうに笑っていて、けれどその笑顔の裏でそれぞれいろんなものを抱えているのだろうと思う。
「そういえばちょっと気になってたんだけど、花織ちゃんにもあだ名ってあるの?」
「へ?」
「咲良ちゃんがまるなら、花織ちゃんは何なんだろうって思ってて。やっぱり『たまちゃん』?」
何となく気になっていた事をぶつけると、花織はきょとんと目を瞬かせたあと声を出して笑った。「違うよ。それじゃ何かオタク仲間みたいじゃん」確かに、『まるちゃん』と『たまちゃん』と呼び合っていると、ちびまる子のファン同士みたいだ。
「何だと思う?」
「そこクイズにしちゃう?」
「捻りないもん。当ててよ」
「うーーーん。花織、かおり、かおちゃんとか?」
「違いまーす」
首を捻る杉浦に、花織はケラケラと笑った。佐倉花織、その名前から色々連想してみるが、生憎と楽しい学生時代を送った記憶が遠い杉浦には友達のあだ名など皆目見当もつかない。
お手上げだと両手を上げると、花織は懐かしそうに目を細めた。彼女の記憶には、きっと咲良との思い出が駆け巡っているのだろう。
「花だよ」
「はな?」
「うん。名前に花が付いてるから、はな。単純でしょ?」
ふっと落ちた眼差しが、明るい照明のお陰で長い睫毛の影を落とす。急に静かになった花織に、杉浦は彼女が泣いているのかと思った。思わず頭に手を伸ばしかけたが、それよりも早く花織はきゅっと眉間に皺を寄せて顔を上げた。
「杉浦さん、甘い匂いしない?」
「え?」
「キャラメルの匂い」
鋭く辺りを見回す花織に釣られて、杉浦も周辺を警戒する。確かに、甘い匂いが漂っているのを感じた。
先ほど八神が花織に問いかけた時の様な微々たる匂いではなく、人工的な強く甘い匂いだった。しかし元々人が多い場所なだけに、何処から漂って来ているのかが分からない。
「このクラブ、多分もう半分くらいは薬漬けになってんじゃない?」
「え、そんなに?」
「うん。ちょっと前まではこんなんじゃなかったのに。…まあ、売人が入り浸ってるなら当然なのかもだけど」
花織は辺りを見回しながら、少し寂しそうに言う。元々居場所のない若者向けのクラブだった。其々が其々の事情を抱えながら、何も知らないふりして笑い合う。そんな場所だった。それがいつの日か、貼り付けた笑顔がすれ違うようになり、人工的な甘い匂いが充満するようになった。
咲良と此処で待ち合わせしたのは、このクラブに遊びに来るのは最後にしようと決めた時だった。最後に、咲良と楽しい思い出を作りこの場所を忘れようと、思い出作りの為に遊ぶ予定だった。──結果、ある意味で最後の思い出にはなってしまったのだが。
──『杉浦』
「ん、八神さんだ」
「え、わ、通信機だ。初めて見た」
「僕らよく潜入捜査するから、小型通信機持ち歩いてて良かったよ」
小さなノイズ音と共に、八神の声がクラブの騒がしい音に紛れ込む。その音の発信地は、杉浦の右耳に付けたイヤホンだった。様々な場所へ潜入する事が多い探偵業では、この通信機はとても重宝していた。ある程度離れていても声が届くのは、流石優秀な情報屋の自信作だ。
杉浦は声を拾いやすいようにさり気なく耳を抑えながら、周りから怪しまれないように恋人が内緒話をするように花織に近づいた。
「なに、八神さん。今回は何に変装して入ったの?」
「俺はバーテンダー、海藤さんは警備員。…たっく、無茶してないよな?」
「今のところは、ね。カラーギャングも見つからないけど。キャラメルの匂いはあちこちで漂ってるよ」
「…そうか。さっき此処のオーナーを見つけたんだ。今はその後を追ってる。何か知ってるかも」
「りょーかい。こっちは適当に聞き込みしてみるよ」
「ああ。無理するなよ」
「うん」
短い杉浦たちのやり取りを、花織は感心するように見つめた。「すごい、探偵みたい」そんな感想がポロリと口から出て、杉浦から呆れた目線が送られる。
「探偵、なんだけど?」