傷の舐め合いといきましょう

―部下をこの手で殺したと。

―自分は、恙神涯という人間は、果たして彼らの犠牲に見合うだけの存在なのかと。


彼は苦しんでいた。

葬儀社のみんなの前では決して見せないその弱さを、彼は全面に出していた。

それだけ、あの子の犠牲が、仲間の死が、堪えたんだろう。

痛い、痛いと泣いていた子どもの頃を思い出した。
真名に仕込まれた銃によって受けた傷が痛むのだと、泣いていた。

可哀想に。
それでもあなたは、誰かになろうとしていた。
憧れに追いつこうと、弱い自分を必死で殺そうとしていた。

それで何になるのだと私は思った。

幼い頃に出会ったヒーローにでもなれるのだろうか。
自分をそこまで殺そうとすれば、
追い詰めれば、
あなたが目指していたものになれるのだろうか。

それとも…

それとも、真名に会えるのだろうか。


「………」

無言で、簡易ベッドに座って項垂れる涯の前に立った。

知ってる。
涯は本当は真名のことが好きで、
だからいのりを見捨てることも出来なくて。

どうやっても私は真名にはなれなくて。

どうやっても私は涯が求めるものにはなれなくて。

涯を止めることができなかった。

ボロボロになっていく涯を黙って見守り続けることしかできなかった。

私は、彼の先には立てない。

彼の視線の向こうにいることはできない。

どうすることもできない自分に歯噛みしたのは、これで何度目だろうか。
柔らかい自分の手のひらに爪を立てたのは、これで何回目なんだろうか。

もう数え切れない。

それでも、それでも、諦めきれずに彼の前に立とうとする。

何度も、何度も何度も。

そしてまた、手のひらに傷を作って増やすだけなのだ。


痛みが滲む手をこじ開ける。

いつものように、彼の頭を撫でる。

無言で、何回も。

姉が弟にするように。
母が子にするように。
優しく、暖かく、安心させるように。

指の隙間を通ってさらさらと零れる涯の髪に、暫しの優越感に浸る。

この瞬間、この感触を堪能できるのが、私の特権。
今、今の間だけ―


その瞬間、撫でていた手を取られた。

ぐっと力強く引かれて、彼の包帯の巻かれた胸板にぶつかる。

「涯…?」

ああ、どうしよう。
どうしよう、どうしよう!

こんなこと、何度あっても慣れるものではない。

歓喜と困惑が混じりあって小さな混乱を巻き起こす。

心も体も高揚したまま、どう動いていいかも分からずただただ固まってしまっている。
そのクセ喉は震えて、小さな声しか出そうとしない。

そのままもう片方の腕で腰を強く引き寄せられ、抱きしめられた。

瞳孔は開きっぱなしだし、体もカチコチのまま。
息ももう止まってしまいそう。

なんて、情けない。
これじゃ、男に慣れていないのバレバレだ。
かっこ悪い…。

でも、不思議と嫌ではなかった。

心臓は忙しなく動くし息もしにくいし体温も上がって汗も滲むのに。

どうして、こんなにも。

こんなにもこの時間が愛おしいのだろう。


ふと自分の手を見ると、涯が握った手の指で私の手をさすっていた。

何をしているのだろうとしばらく観察していると、分かってしまった。

いや、分かられてしまった、か。

彼は、彼の指は、私の手の平の傷をなぞっていた。
優しく、暖かく、安心させるように。
ゆっくりと何度も何度もなぞっていた。


それに気付いた時には、既に手遅れ。

胸の内に宿る愛しさがひと回り大きくなった。
歓喜が声高に歌い、心臓もそれに合わせて早鐘を打つ。

顔はとても見せられないほど火照ってしまい、おそらくタコのように真っ赤になっていることだろう。


「レアナ」


耳元で名前を呼ばれた。

彼の吐息さえ、今の私にとっては毒だった。
心臓は跳ねるし耳も熱く、赤くなってしまう。

「なあに」

それでも冷静を装う。
…装えているかは分からないけれど。

それでも私の中に僅かに残る女としての意地が、ここにはいない、微かに記憶の残像として浮かぶ真名という女に負けじと発起する。

涯に見合う女にでありたいと。
大人な女性でありたいと。


「レアナ」


また、


「レアナ」


また、


次から次へ、私に毒を注ぎ込む涯。

それは少しずつ、私の意地を溶かしていく。

手が僅かに震える。
息が乱れる。

負けたくない、という気持ちを溶かし、負けてしまう、私の弱気な気持ちを表に露そうとしてくる。


―本当はその名前で呼びたくないんでしょう。

―本当は、彼女の名前を呼びたいんでしょう。


真名、と。
呼びたいんでしょうに。


可哀想。
可哀想な人。

呼びたい名前すら呼ぶ場所もない。
代わりの女の名前を呼ぶしかない。

なんて。

なんて、


戦慄く唇を押し付け、お互いに漏れそうになった嗚咽をかみ殺した。



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