手の平の傷跡

いつものゲリラだと思っていた。テントに隠れていろと指示され、それに頷いて身を隠す。
下品な笑みを浮かべて理鶯さんを囲った奴ら。いつもと違ったのは、その手に握られたマイク。恐らく違法マイクだろう。
しかしそれすら理鶯さんにとっては些細なことで。いつもの様に重く力強いフロウと硬いリリックであっという間にゲリラたちを制圧した。倒れた仲間を抱え尻尾を巻いて逃げていく後ろ姿に安心して、テントから這い出た。
今回もいつも通り、何ともなく理鶯さんが勝ったのだ。
そんな物音に彼が振り返る。

――目が合った。

たったそれだけ。
その1秒にも満たない交じりに、空気が一変した。それに戸惑う間もなく、肩を勢いよく押されて木に背中がぶつかった。そのまま強い力で押さえ付けられる。
何か光り輝くものが弧を描いて迫る。
私の頸動脈ただ一点を狙ったそれを反射的に掴んで止めた。手の平を割いて血が飛散する。
神経を通してビリビリと伝わってくる痛みに閉じてしまう目をこじ開け、目の前の理鶯さんを見た。
思わず息を呑む。
そこには凍えてしまいそうな冷たい目があった。これが、殺気というものなのだろうか。その視線だけで息が詰まる。
痛い、痛いと頭いっぱいに鳴り響くシグナルを必死で抑え込んで、この異常とも思える状態に頭を回す。
もしかして、あの時の違法マイク――。

「理鶯さん」

力負けして刃先が首の皮を刺す。

「理鶯さん…」

プツリという感触。何かが鎖骨に伝う。

「りおう…!!」

3度目の呼びかけで、彼の瞳に色彩が宿る。ぴたりと合わせられた照準が緩むのを肌で感じる。能面のような理鶯の顔も徐々に普段らしくなっていく。

「レアナ」

「はい、理鶯さん」

確かめるようにレアナの名前を呼ぶ理鶯。それと同時に向けられたナイフも徐々に力を失っていく。肩からは手が離れた。それと共にゆっくりと刃先が引かれ、柄が下がる。それによって流れたレアナの血が彼の手に伝う。理鶯は声なく自身の手を眺めた。
暫くするとその手からナイフが滑り落ちた。
彼に手を取られ、引っ張られる。
煮沸した後の水で血をあらかた流し、よく分からない塗り薬(恐らく理鶯特製の薬)を塗られて布切れを巻かれる。
その間2人の間に会話はない。理鶯は黙々と作業してるし、でもその手つきは今までにないほど丁寧だし、力なんて0に近いほどこめられてない。
手当てしてる最中も理鶯の表情は硬いし何考えてるか分からない。
最後に布の端同士をきゅっと結ばれる。

「…理鶯さん」

1度呼びかければすぐに顔を上げてこちらを見てくれる。いつもの理鶯の姿に少し安心する。

「すまない…」

合ったと思った彼の目がすぐに下に向く。
そして距離を取られた。手当された手が宙に取り残される。

「今日はもう帰った方がいい」

抑制された声。
「麓までは送っていこう」と私の荷物をまとめる背中を呆然と見つめた。色々と急転直下で追いつけない。先程までの別人のような理鶯はいったいなんだったんだろうか。もう違法マイクの影響は大丈夫なのだろうか。色々と心配で彼の様子を観察するが、いつも以上に彼のことが分からない。感情も思考も何もかも閉ざしているみたいだ。それは、出会った当初の理鶯を彷彿とさせた。

「り、理鶯さ…」

このままでは彼は全てを閉ざしたままではないだろうか。焦って彼に声をかけようとする私の前に、無言で鞄が置かれる。
戸惑ったまま彼を見上げると、また目が合う。しかしすぐに逸らされた。

「理鶯さん…!」

そのまま帰り道に進もうとする理鶯の腰に抱き着き、引き止める。彼は振り返ることなくその場で立ち止まってくれた。

「私なら、大丈夫ですから…」

「……」

「こんなに丁寧に処置して頂きましたし」

「……」

「だから、その、気にしないでください」

彼がゆっくりこちらを振り向いた。その眼が剣呑な光を帯びていて、体に力が入った。少しあの時の理鶯のように見えて。

「…気にするな、だと」

地の底を這うような声に、背筋から震えが駆け上がる。今、明確に彼に恐怖する。こんな雰囲気の彼と初めて会った。これが、軍人としての毒島メイソン理鶯の姿なのだろうか。

「貴女はそれを本心から言っているのか。本当にそう思っているのか」

低いところで沸騰しそうな感情を無理やり抑えているような声に、圧倒される。1歩、足が後ろへ下がる。

「だとしたら、あまりにも危機管理がなさすぎる」

もしかして、怒ってる…?
彼の圧に麻痺しかけた頭でギリギリ思考する。1歩、また足が下がる。
彼は私が空けた分だけ距離を詰めてきた。1歩、また1歩と近づいてくる。

「小官は貴女を殺そうとした」

その一言に衝撃を受けた。分かっていたことだが、それでも彼の口からそう告げられれば、より現実味が増す。重い一撃に、足元がふらついた。相変わらず距離を詰めてくる巨体に完全に負けた。かくりと膝が折れて、その場に尻もちをついてしまった。肘をついてなんとか倒れ込むには至らなかったが、起き上がるほどの気力が湧いてこない。情けなく震える両膝が視界に映る。
まるで蛇に睨まれた蛙。
ついに目の前に迫った彼は、そんな無様な私の姿に眉一つ動かすことなくただ見下ろしている。
かと思えば、私を跨いで体重をかけてきた。当然彼の重さを受け止める力が私にある訳がなく、完全に背中が地面に触れる。
理鶯の手が力なく投げ出された私の手を掴む。先程当の彼に巻かれた布。それに彼の節くれだった指が這わされた。

「この手で」

「―――ッ!」

その言葉と共に、傷口を抉らんばかりに力を加えられる。

「い、っ…!!」

「ただの敵として、レアナを殺そうとした」

布に赤が滲む。それにも構わず、彼はグリグリと指圧をかけ続ける。

「小官が、この手で…!」

震えた語尾に、涙で揺れる視界を開いた。

「理鶯、さん…?」

そこには苦しげに眉を寄せる、情けない顔をした男がいた。音が聞こえそうなほど奥歯を噛み締めて、怒りと悲しみと悔しさと…色々な感情を綯い交ぜにして私を見下ろしていた。
そんな人間らしい彼を認識した途端、恐怖はどこかへ飛んでいった。
あと少しで涙でも零すんじゃないかと思うくらい歪められた目元を、自由な方の手で撫でた。

「…あいしています」

何のきっかけもなく呟かれた愛の告白に、彼は目を見開いて見つめ返してきた。

「だから、信じています。理鶯さんのこと」

固まった拍子に力の抜けた彼の指に、痛みの残る手を動かして指を絡ませる。
なんだ。あったかい。
さっきまで感じられなかった彼の温度を感じ、少しホッとする。

「レアナ……」

呆然と私の名前を呼ぶ彼を安心させるように微笑んだ。

「理鶯さん、あの時も、さっきも。私の呼びかけに応えてくれたじゃないですか。私が名前を呼んだら止まってくれたじゃないですか。
私、それだけで十分です」

ピクリと跳ねた指が愛おしい。静かに見開かれたアイスブルーの瞳も、この体温も、彼の全てが。そんな愛しさを込めて柔らかく彼の手を握る。
それが彼に伝わったのか、彼の目が緩く細められた。

「…触れても、いいだろうか」

少しの間を置いて呟かれた言葉に、勿論ですと返す。
彼の手が握り返してきた。もう片方の手がたどたどしく私の輪郭をなぞる。これ以上にないくらい優しく触れる手つきに、付き合い始めた当時を思い出した。どれくらい力をこめたらいいのか、どうしたら壊れないか…それを気にしてもどかしい程丁寧に触れてくれた。あの慣れない頃のそれによく似ていた。
それがくすぐったくて、ふふっと声が漏れてしまった。まるであの頃に戻ったみたいだ。

「理鶯さん」

でも、もう私たち、あの時から成長しましたよ。もう加減なんて分かってるじゃないですか。
彼の頬に手を添えた。
随分柔らかくなった視線に熱を絡ませる。
私の要求を理解したのか、それまで輪郭をなぞっていた彼の手が私の頬にぴたりとあてがわれた。
珍しく躊躇する彼に微笑む。葛藤するその顔を引き寄せた。
唇が触れ合う。たどたどしく、どこか遠慮気味に彼の唇が離れ、また触れる。それも段々しっかりとしたものになってきた。彼の首元から滑り落ちてきたドッグタグが冷たい。それに反応してしまうと、彼は唇を離した。
至近距離で絡む視線。そこには確かな温度があり、愛しさと優しさが溢れていた。
その色を見て取って、漸く心の底から緊張が解けた。思わず彼の首に腕を回して抱きついた。

肩を震わせて必死にすがりつくように力を込める私の背中を、理鶯の暖かい手が何度も何度も擦ってくれた。



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