背中の痣

「ブッ殺してやりたい。」

「…え?」

思わず口をついた言葉は、2人の間の空気を凍らすのに充分だった。
銃兎は口元に手をあてる。信じられない。今のは本当に自分の口から出た音なのか。

「銃兎…さん…?」

レアナを助け起こした手が彼女の二の腕に食い込んでいる。
どう考えても異常だ。銃兎は自身の状態を検める。己の胸の内で巻き起こる…これは憎しみ?憎悪?そんな馬鹿な…なぜ…。
そう考えているうちに、先程食らった蹴散らしたチンピラの違法マイクの存在を思い出した。
油断すると彼女の首元に伸びそうになる指を引き剥がして距離をとる。
その存在を視界に入れるだけで、殺してやりたくなる。今は見るだけで毒だ。そう素早く判断すると、銃兎は彼女に背を向けて署に応援の連絡を入れ始めた。
突然放置されたレアナの方は戸惑う他ない。自分の存在をまるでシャットアウトするかのように向けられた背を茫然と見つめた。
徐々に襲う悪寒に身震いする。先程まで見知らぬ男に囲まれていたのだ。その恐怖感がせり上がってきて、思わず彼のスーツの裾を指先で引いた。

「ッ!」

その背が不自然に跳ねる。

「銃兎さん…?」

振り返る銃兎の顔は見たことないくらいに無感情だった。
どうしてそんな顔をするの、と問う間もなく思いっきり壁に背を叩きつけられる。その衝撃で息が詰まった。
胸元を強く押さえつけられて苦しい。

「ぅ…と……さ」

苦し紛れに彼の名前を呼ぶと、銃兎はハッとしたような顔をする。そしてその綺麗な顔を歪ませた。

「悪い…」

それは何に対する謝罪なのか。言葉にする前に腕を強く引かれ、レアナは放り投げられた。たたらを踏んで彼を振り返る。そこにはいつもシャンとした背はなく、何かにただひたすらじっと耐える姿があった。

「ど、どうしたんですか」

「このまま大通りの方へ行きなさい。応援のパトカーを呼んでいますから」

「でも、銃兎さんは…」

「いいから行け!」

普段レアナの前では声を荒らげることのない銃兎から出た強い語気にあてられ、彼女は1歩後ろへ下がった。

そこで女が見たのは、薄暗い路地に独り立つ男の背中だった。どうしようもなくその姿が傷付き、孤独を抱えたものに見えて、それ以上引き下がれなかった。
ここで引いたら、恐らくもうどうにもならない距離が空いてしまう。彼女は直感的にそう感じた。
全てを拒絶するその背中に思いっきり抱き着く。

「…ッオイ!話を聞いて――」

「私にも、私にも銃兎さんの苦しみを分けてください…!」

どこかに行ってしまわないように、その体を力いっぱい抱きしめる。そんなレアナを引き剥がそうと銃兎は暫く藻掻くが、それでも必死に食い付いてくる細腕に諦めがついた。
これ以上やると、きっと引き剥がすどころではなくなる。
自分の胸の内に巣食う黒々とした感情が再び沸き起こったのを感じ、抵抗をやめた。それを悟ったのか、レアナの拘束も緩む。その隙に体を反転させて彼女に向かい合った。

「……どうなっても知らんぞ」

認めたくはないが、やはりレアナの顔を見ると殺意に似たものが渦巻く。絶望すると共に最終通告を彼女に言い渡す。彼女は銃兎の気持ちを知ってか知らずか、それにすらあっさり頷いてみせた。
この女、つくづく大馬鹿者だ。
レアナの腕が背にまわったのを感じて、せめてもの抵抗と目を閉じた。それでこの昏い感情が弱まることはない。むしろ彼女の存在を感じれば感じるほど強まる一方だ。嗅ぎなれた匂い、抱きなれた背中、体温。そういった、普段なら安心材料となっていたものが全く反転し、銃兎の内側を轟々と焼く。
マグマのようなドロリとしたモノが溢れ、勝手に腕を伝って指先まで焼いていく。彼女の体が自分の体に強く押し付けられる。
全く、他人事のようだ。もはや自分の制御に及ばない神経など他人のようなものか。それがレアナの背に絡みつき、戒めているのが許せない。そう思いたいのに、彼女の柔らかさや体温は確かに感じるのだ。嗚呼赦せない。ゆるせない。憎い。

「…ぅ…ぐ」

締まる体に苦しさを覚えたのか、レアナが小さく喘いだ。背中にかかる彼女の指が震えている。それでも負けず力を込めて抱き締めてくるのだから、本当にこいつはどうしようもないくらい馬鹿なのだ。

「じゅ、銃兎さ…」

「黙ってなさい」

「好き、です…!」

「………は…?」

好き、と。2度も耳元で言われては、理解しない方が難しかった。
駄目だ。こいつ、本当の本当に真の大馬鹿者だ。馬鹿だ。なんでこのタイミングで言うんだよ…!!

「だ、だって…!なんだか辛そうだか…らぁ…!」

「いつもは言わねぇ癖に…ッ!!」

「いだだだ!」

お互い余計に力をかけあって、もう息が切れてくる。なんだこれ。2人して息を切らしながら抱き合ってるとか、傍から見たらおかしすぎるだろ。
混乱する銃兎を他所に、レアナは途切れ途切れに言葉を続けていく。

「でも、本当です、から…!だから、銃兎さんが離れようとしたって、無駄、ですからね…!!」

銃兎は呆れた。あまりにも純粋すぎるレアナの想いに、理論的に彼此考える気持ちが萎えたと言ってもいい。
あほらしすぎる。お前は脳内お花畑か?そうか、お前はそういうやつだった。
だいたいな、馬鹿なお前なんてその気になればいつだって出し抜けるんだよ。アホ面して寝ている間とか、ボケっと風呂に入ってる間とかに俺がこっそり抜け出したらどうするンだ。引き止められるはずねェだろ。
今だって、本当は怖い癖に――
足だってこんなに震えている癖に、本当は逃げたい癖に何強がってんだよ。
ああ、あほらしすぎる。

あほらしすぎて、本気で突き放す気にもならないじゃねぇか。



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