落陽に手をかさねて
清正は去った。どんどん小さくなっていく馬上の背。私は背後の佐和山城を振り返る。秀吉様のそれに比べれば、随分こじんまりしたお城。質素で、必要最低限の装飾をこそぎ落とした城郭。まるで、三成のようだと思った。
この城で、色んなことがあった。楽しいことも、苦しいことも、悲しいことも、ここで、彼と分かち合った。
正則や清正、吉継…馬鹿騒ぎしたこともあった。酒を片手に豊臣の未来を笑顔で語ったこともあった。三成はあまり乗り気で参加していたわけではないけど、そんな夜は彼の口元は緩やかだった。
でも、それももう終わりなんだ…。
──最後の客はもう、見えなくなっていた。
「三成…」
書状をしたためている彼の後ろ姿にそっと声をかける。
まるで先程の清正との会合の全てを振り切るかのように、黙々と墨を落としていくその背は痛ましいようにも見えた。
少しずつ剥がれ落ちていく豊臣の世。
彼は必死に手を伸ばし、かき集めようとしていた。でもその手からはこぼれ落ちるばかりで。一人、また一人と、豊臣から離れていく。心が、命が、人が、友が。
斜陽が差す紅の世界には、私と彼、二人分の影だけだった。
「あのね…」
「止めはしない。」
彼から鋭く放たれた語気に、ハッとして口を止めた。まじまじとその背を見るが、相変わらずその腕が忙しなく動いているだけで、何も変わりはない。
不思議なほど、何も変化はなかった。
「三成……」
「あちらにつきたいならば、そうしろ。今からなら清正に追いつけるだろう。あいつに言えば…」
「三成…!」
荒い私の声が小さな世界に取り残された。三成が口を閉じたことで、二人の間に重い沈黙が漂う。
「どうしてそういうことを言うの…」
「………」
「どうして、何も言わないの…」
清正は勘違いをしていた。
彼が九州行きになったのは、豊臣を守るためだった。徳川にかわり、外敵から豊臣を守る堅牢な盾。
それが清正には、遠国に飛ばされたように見えたのだろう。実際はそんな風な見方が多かったのも分かっていた。でも、三成は訂正しなかった。本人にさえ、ついぞ真実を語ることもなかった。
戦の機運が高まってきてからというもの、彼の削ぎ落とす行為は拍車がかかった。今まで離れることのなかった正則や清正まで、彼は諦めた。
ついには、私まで削がれてしまうのかもしれない。私という存在は、石田三成という存在に対して、どこまで必要であれるのか。
言うまでもない。彼らと同じ、諦めてしまえば私も削がれる。三成の中にある豊臣から、彼自身から。
だから私は、しがみつくしかないのだ。この城のような、質素で簡潔したように見えて、どうしようもなく不器用なこの背中に。
「私たちだけになっちゃったね…」
外からひんやりとした風が吹き込む。
寒い。冷たい。
少しだけでも温もりを得たくて、彼に回した腕に力を込める。
動きを止めていた三成だったが、力がこもった私の手にそっと手を重ね、息を吐いた。細く、頼りない煙みたいな音だった。
「もう引き返せない。」
「知ってる。」
「──死ぬぞ。」
「……うん。」
体ごと振り返った三成に向かって、私はその目を見て口を開く。
死んでもいい。死んでもいいから、
「私はずっといたい。三成と。」
その言葉に彼は瞳を僅かに見張り、そして口元を歪ませた。
「馬鹿者が……」
夕日に伸びた二つの影はひとつとなった。
結局、彼は最後まで己の気持ちを言葉にすることはなかった。私は左近のように彼から引き出すことはできないから、仕方ない。
その代わりに、私は三成の想いを、言葉にできない感情を、こうして受け止める。行為によって、私たちはお互いの腹の内にある衝動をやり取りするのだ。
私たちにぽっかり空いた空虚を獣のように埋め合う。それしか分からなかった。それしか、方法を知らない。もう正しいことを教えてくれる人たちはいない。誤った道をそうと知りながら転がり落ちていく私たちを引き止めてくれる人たちは、いない。
寂しさや悲しみというには、あまりにも何もなかった。空洞はどんどん広がっていくようで、私たちは必死でお互いの体を繋ぎとめ合う。この行為の熱が、一時寒さを凌いでくれる。その一瞬を求めて、私たちは奈落の底まで堕ちていく。
「怖くないよ。三成の側にいられるなら。」
「レアナ、──…」
三成はまだ迷っていた。視線が逸らされる。
勝機はある。だが不利であることには変わりはない。私をそんな戦場に出したくないんだろう。
執着に似た感情を吐いて、私は彼を縛っているのかもしれない。彼の孤独を利用して、私の孤独を癒そうとしているのかもしれない。或いは、もう亡くなってしまった秀吉様の幻想に、夢の続きにすがりつきたいだけなのかも。
でも、おそらくそれは彼も同じで。私たちは互いに互いを利用してるだけ。自分のために、豊臣の影を追いかけるために。
「…勝手にしろ。」
繋がりは解かれなかった。
このまま過ちを犯し続ける道を示した言葉でもあったのだけど、果たしてそこまで三成は加味してくれただろうか。
投げやりなお許しを得て、私はようやくその背中に爪をたてることができたのだった。
小さなお城。この、こじんまりした世界の中で、今日も私たちはどろどろとした熱を分け合う。

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