T.異変 -bequeathed-
「そこのねェちゃんたちよォ。オレらといいことしね?」「け、結構です」
「へへ、いーじゃんかよォ!ぜってぇ楽しいって?なァ?」
日が落ちて黒々としたコンテナが立ち並ぶ港の一角。
波の音に下卑た男たちの話し声が混じって反響する。
話し相手は数人の女たち。男から距離を置こうとジリジリ下がるが、それと同じくらい男たちも距離を詰めてきており、追い詰められかけている。
断りの返事をされても懲りずに話しかけ続ける男たちの1人が、僅かに目線をズラした。そこにはコンテナの影に潜む仲間たち。手にはマイクが握られている。
アイコンタクトをしてにやりと笑う。
それに気づかず、目の前の迫り来る男に精一杯対処しようとする女たち。
コンテナに潜む男の指が、マイクのスイッチにかかる――
ぺたり。
その指がそこで留まったのは、妙な音が聞こえたからだ。
ぺたり、ぺたり。
裸足で地面を歩くような音。それが徐々にこの場に迫ってきている。
こんな真夜中にコンクリートの上を裸足で歩くなど、大層な変わり者だ。
その異常さが、妙に背筋を凍らせる。
ぺたり、ぺたり…
ゆっくりと、着実にどこからか近寄ってくるその足音が止まった。
ゆっくりと後ろを振り返るが、そこには誰もいない。それにホッとしていると、今度は前方の話しかけに行った仲間の声が聞こえた。
「な、なんだ女かよ…脅かすんじゃねぇよ!」
仲間の背後には白いワンピースを纏った女が立っていた。体躯が細く、その首についているゴツイ首輪みたいなチョーカーが違和感を覚えるほどに目立っている。
「あ、もしかして、お前もオレらと遊びたいって?」
「まじ!?歓迎!歓迎!」
仲間の1人がその肩に手をまわそうと近寄った。
その瞬間。
「ぁ、ガ………!?」
その男の手は肩に届かないまま空を切って落ちた。同時に男の体は、吸い込まれるように地面に倒れていった。
その崩れ落ちる様をスローモーションのように見ていた仲間は、一斉に戦慄く。
男は白目を剥いて痙攣したまま倒れ伏している。
「な、お、オイこのアマ!何しやがった!?」
「………」
威圧されてもその女は動じることなく、僅かに開いていた唇からも何の言葉も発しなかった。
表情は、ない。欠落しているという表現が恐ろしい程に当てはまる。感情を示す眉も口元も何ら力を込められていない。その瞳の焦点も合っているのか曖昧だ。こんなにもぼんやりとした表情をしているのに、圧倒的なまでの存在感を示していた。
女は、ただそこに立っているだけだった。
それに恐怖すら覚えた男たちは、それまでの企みを全て忘れてナイフを握り、女に刃を向けた。
その光景に周囲の女たちが小さく悲鳴をあげる。
しかし件のワンピースの女は、それにすら反応せず突っ立っていた。
「……ッこの、クソがァ!!」
あまりの気味の悪さに痺れを切らした男が飛びかかる。
それに続いて残りの仲間も四方を囲うように接近する。
女の目前に迫る刃。
避ける素振りも見せない女の逃げ場をなくすように四方から迫る男たち。
夜の港に、金属音が高く鳴り響いた。
サイレンがけたたましく鳴っている。
夜の帳が落ちたヨコハマの港。
日がある時は波が打ち上がる音、船の音、人の声や靴音で溢れる場所。
そこは今、パトカーや多くの警察官たちでごった返していた。
「なんだこりゃあ……」
ヨコハマ署組織犯罪対策部巡査部長の入間銃兎は、現場に着くなり驚嘆の一言を呟いた。
最近積もりに積もっていたフラストレーションをも一時忘れてしまうほどの異常な光景がそこにはあった。
彼の瞳には、地面に伏す大勢の男達が映っていた。
服装からしてチンピラの類いか。
彼らは一様に白目を剥いて気を失っていた。中には口から泡をふいている者もいる。その手元近くには綺麗な刃物が散らばっている。
銃兎は屍のようになっている群れの隙間を縫いつつ、現場を観察した。
なにせ状況が全く読めない。
少しでも変わったことがあればと注意深く辺りを見回すが、その場の異常な空気に呑まれた中では難しい。
「銃兎さん」
呼び掛けられて振り向けば、部下が女を連れていた。
「こちらの女性が通報した者です」
「そうですか。ありがとうございます」
警官は敬礼して立ち去った。
銃兎は改めてその女と向き合う。
身なりは普通の女性。まだ混乱しているのか、俯きがちで肩も少し震えている。
「大変な思いをなさったところ、すいません。署にて落ち着いてお話出来れば良かったのですが、状況が状況でして。
申し訳ありませんが、捜査のため協力しては頂けませんか」
この女を落ち着かせるため、ゆっくりと話しかけてやる。
女は銃兎の方をちらりと窺い見て、それから震える唇を開いた。
「わ、わたし…わたしも、よく、分からなくて…何が何だか…どうやって通報できたのかも…!」
忙しく呼吸し、要領を得ない女に思わず出そうになる舌打ちを飲み込んで、あくまで優しく、女が好みそうな柔和な笑みを貼り付ける。
「落ち着いてください。
深呼吸をして…そう、肩の力を抜いて。
…いいですか。
まずは、この場で起こったことをはじめからお聞かせ願いますか?」
「…はい。実は―」
女の話はこうだ。
会社で行われた飲み会の後、酔い覚ましにこの港の冷たい夜の潮風にあたりに来ていた。
ところが、運が悪いことに、この港は夜になるとゴロツキの溜まり場となる。
当然そいつらにとって警戒心の緩い女は格好のエサだ。
女が仲の良い同僚と3人で歩いているところ、今足元で伸びている男共数人に囲まれたらしい。
――てめぇの自業自得かよ…。
忘れかけていたフラストレーションがむくりと起き上がる。
呆れたため息も再び出てきそうになった舌打ちもスマートな笑顔の下に隠して、この状況の大きな核心となる話に踏み込んだ。
「ではなぜ、その男達は気絶しているのでしょうか?数もだいぶ増えているようですが…」
「ごめんなさい…私も、それはよく分からなくて…。
覚えているのは、私たち3人とあと1人、女性がいたことです」
「ほう…女性ですか。どのような?」
「若い…私たちと同じくらいの、20前半くらいの子で…。暗かったのでよく覚えていないのですが、白いワンピースを着ていて、あ、あと!首に、チョーカーよりもごつい、革の…えと、首輪、みたいな…」
女は言いづらそうにごにょごにょと口ごもる。
その煮え切らない態度にイラつきはするが、大体の特徴は捉えることが出来た。
「それで、その女性は?」
「…わか、りません。ほんとに…思い出そうとすると、頭がぼんやりするというか…」
肝心なところで役に立たない女に今度こそため息を小さくついて、近くにいた警官に声をかけた。
これ以上有益な情報を得られそうにない女を署まで連行し、身元が確認でき次第病院へ連れていくよう指示を出す。
やれやれ。
後はこのくたばっているゴロツキ共に聞けばいいか。
銃兎は現場検証に勤しむ捜査官を尻目にあれこれと指示を出し、公用車に乗り込んだ。
ポケットに突っ込んでいたスマートフォンを開くが、未だ待っている連絡は来ていないようだ。
それに眉を顰め、スマホを握り締めた。
ここ2、3日、連絡の取れないヤツがいる。
この世のアホとアホとアホを詰め込んだような女。
何もかもが拙く、ぼんやりしたところがあって、時にアホウドリのようなマヌケな顔をして笑うヤツ。
中央区との繋がりを持っているようで、それを目当てに声をかけたのが出会いだった。
それから長い時を経て、いつの間にやら男と女の関係にまで成り上がっていた。
正式にMAD TRIGGER CREWを結成してディビジョンバトルに申し込んだ時、それを彼女に打ち明けた。
今まで全く話していなかった事柄であるのに対して、彼女はあっさりそれを受け入れてくれた。
しまいには、笑って「頑張ってね」と送り出す始末。
拍子抜けしつつもまぁアイツだからかと、適当に流そうとした矢先――
『この電話は現在使われておりません』
未練がましく電話を掛けてみるが、結果は同じだった。
何度目かも分からない落胆に、そのスマホを助手席に放り投げた。
「…ったく、あのアホ…。
どこほっつき歩いてんだ…!」
暗闇が包む車内で痛いほど光を放つ液晶に眉を寄せて舌打ちを打った。