U.懐古 -regretted-

「〜〜〜」

ヨコハマの海をバックに、聞き覚えのない歌を口ずさみながら遊歩道を歩くななし。
海から吹く強い風に煽られて彼女の髪が靡いていていた。

――何がそんなに楽しいんだか…。

銃兎にはさっぱり分からない感覚ではあるが、その光景を見るのは嫌いではなかった。

恋人という関係になってからもう1年が経とうとしている。こうしてデートに出かけるのも、10を数えるほど。

デートの最後はいつも、海辺だった。
それはななしたっての希望。
そういえば、初めてここに連れてきた時、彼女はいたく感動していた。潮の香り、吹き抜ける風、――そして何よりも、空がキレイなのだと言っていた。夕暮れのオレンジからゆっくりと群青に変わっていく様が心惹かれるのだと。

何にそんなに感動するのか…まあ、これまで見てきた女も似たような感傷を抱いていた。これはもしかすると、男には一生理解できないものなのかもしれない。

わざわざ行く必要性が全く見いだせないにも関わらず、理解できないにも関わらず、ここまで彼女に付き合ってやっている。ななしと出会う前には考えられなかった自分の甘さに、苦笑を浮かべずにはいられなかった。

ふと、旋律が止んだ。

彼女の足が止まる。

「ねえ、銃兎」

名前を呼ばれ、視線を上げる。
沈みゆく陽の光を受けるななしの顔。
髪。
瞳。
鼻筋。

唇。

軽く触れ合った熱は、思ったよりもすぐに風に飛ばされた。

――面白くない。

顎を掬ってもう一度、と目で伝えると、
胸元に緩く添えられている彼女の手に、僅かに力が込められた。
了承のサインと受け取り再び唇を寄せようとした時、彼女の唇が小さく動いた。

「――たい…」

「はい?」

「…ううん、なんでもない」

「…そうですか」

「うん、そう」

その顔。いつもの。
アホウドリみたいにふにゃふにゃ笑いやがって。
先程とは打って変わって嬉しそうに笑うものだから、銃兎はそれ以上追求できなくなった。
一体なんなんだ。なんでもないわけがなさそうな彼女の様子に納得がいかない。なのに、聞けない。こんな風に笑顔を浮かべられると、それを見ていたい、崩したくないという思いが強くなってしまう。
あまりにも大切にしすぎたのではないだろうか。感情という感情が弱かった姿を見てきたからなのか、嬉しさを明確に表す彼女をついつい優先させたくなる。
優先したくなるのを、最後まで否定しきれない自分がいる。
どこまでも思い通りにいかないことにもどかしさを感じつつも、それがこの熱の一種のスパイスとなっている。
主観的にも、残念ながら客観的にも、こいつに惚れこんでいるのは明らかなようだ。
全く――
呆れるとともに、少しの甘さが胸に広がる。

「銃兎」

「今度はなんですか」




「ありがとう」

それから――




急速な意識の浮上を感じて瞼を開ける。
無機質な床、自分の足が視界に映る。
隣を見れば自動販売機。
自分が置かれている現状を把握して、腹の底から息をついた。

やってられない。

こめかみを指で揉みほぐす。
どうやら自分は自動販売機でコーヒー缶を買い、それを飲もうと近くのソファに腰掛けたところで寝落ちしてしまったらしい。
時計を見たところ、そこまで時間は経っていなかった。

先程のあれは、夢だったか…。
覚醒直後のぼんやりする頭の中で、銃兎はその内容を再度思い返した。

あれは、1番最後のデートの記憶だった。
いつものように海へ行った。
夕日の淡い光に包まれたななしがあまりに綺麗で、あまりに儚く見えたものだから、手が、体が、自然と彼女に触れようと動いたのだ。


『――たい…』


そう言った彼女の顔を、今でも鮮明に思い出すことが出来る。

あんなにも機械的な表情を久しぶりに見た。
あれは、出会った当初のななしの顔だ。
感情の一切が抜け落ち、ぼんやりとした声色で言葉を紡ぐ唇は、先程キスしたものと同じものには到底思えなかった。

腰を強く抱いて引き寄せると、その瞳に光が戻ってきた。
表情も魂が戻ってきたかのように目覚め、いつものようにふにゃりと笑ってみせた。

それ以上、深くは聞けなかった。

なぜそんな表情をするのか。
なんと言いたかったのか。

後悔の波が足元まで押し寄せていた時、遠くの方でワッと盛り上がる声が聞こえた。

視線を上げると、声の出どころである休憩室の中の様子が見えた。
数人の警官たちがテレビの前で食い入るようにその画面を見ていたのだ。

一体こんなクソ忙しい時にどんなニュースだ…。

先日まとめてしょっぴいた港のチンピラ達の聴取を思い出し、気分が重くなった。
なにせ全員が全員、「よく覚えていない」と供述するものだから、捜査もさっそく行き詰まりかけているのだ。
もう少し、聞き取りの範囲を広げた方がいいかもしれない。

そう憂鬱に考えてソファから重い腰を上げ、男達の肩越しからテレビを覗いた。
…どうやら、ニュース番組ではなく芸能番組の類のようだ。
テレビに集る彼らの様子からしても、事件だなんだの重苦しいニュースではないらしい。
むしろその逆で、楽しそうに、そして興奮している雰囲気で、一心にテレビを見ていた。

「うぉぉぉー!ついに来たか新曲〜!!」

一人の男が声を上げた。
それに連なって、周りのやつらも口々に早口で話し出す。

「ここ最近、活動してなかったもんな〜」

「もう1年くらいだぞ」

「ま、インターネット上での配信なんだから、活動休止とかではなさそうだけどな」

「顔非公開・歌声のみの活動で、よくここまで人気続いたもんだよ」

「あぁ〜聞いてみてぇなあ彼女の生歌…」


周りがその話題で盛り上がるその反面、銃兎はげっそりとした気分になった。
大したことのないニュースにわざわざ足を向けた自分が馬鹿馬鹿しい。
それに、こんなどうでもいいことでいちいち盛り上がっているこの連中の態度にもイラついてくる。

ここに長くいても仕方がない。
銃兎はさっさと休憩室を後にした。

躊躇いなく仕事場に踏み出す足を止めさせたのは、とある旋律だった。

これが、件の新曲らしい。

いや、違う。そうじゃない。
今銃兎の耳は全力でその歌を、その旋律を拾おうとしている。

どこかで聞いたことがある。

どこか、どこか……

どこだ?

昔のようで、つい最近の……


『銃兎』

『ありがとう』

波の音が聞こえたような気がした。

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