この腸の色を君は知っているだろうか
――冨岡義勇様
元気でやっていますか?
最後に見た後ろ姿が焼きついて離れず、こうして手紙を書いています。
差出人の名前すら書かれていないこの手紙を見つけたのは、久しぶりに家に戻った時だった。
投函されていたその手紙には、辿々しい文字が数行にわたって記されていた。
このお世辞にも上手いとは言えない、蛇が這いまわったかのような文字には見覚えがある。
思い当たる人物はただひとり。
ひょっこり目の前に現れたかと思えば、強烈な印象を残してまた霞の如く消えた女人。
鬼に似た気配を漂わせているにも関わらず、鬼を喰らい、殺す為に剣を振るう白い腕。
影が舞うかのように靡く黒い髪。
血の匂いに踊る赤い瞳が酷く印象的だった。
――キサラギ。
――義勇?
呼びかけると不思議そうにこちらを振り返る彼女の姿が思い浮かぶ。
義勇はそれ以上家に踏み込む気になれず、踵を返した。
「あら?冨岡さんではありませんか。」
元来た道を引き返している道中、胡蝶しのぶと出くわした。
薄く浮かべた微笑みを湛えたまま彼女は軽く挨拶をする。
すると、彼女の視線がすいと義勇の手元に流れた。
「…珍しいですね。あの冨岡さんが、仕事以外で手紙を貰うなんて。」
「どういう意味だ。」
「噛み砕いて説明する必要がありますか?もちろん私はそれで構いませんけど…」
しのぶ特有の、大げさな抑揚に義勇は気付いた。いつものからかいだ。
ならばこれ以上話す必要はないと、すっぱり断った。
それにしのぶは笑い、そして再び手紙に視線を送る。
何となくそれが気に触り、義勇は手紙を自分の影に隠した。
「誰からですか?」
「…………答える必要はない。」
「そうですか。キサラギさんからなんですね。」
その言葉に驚いてしのぶを見た。
彼女の表情は、先程の微笑から少し陰りのある笑みへと変わっていた。
「その筆跡には、私にも見覚えはあります。診察の時に名前を書いてもらったりしてましたから。」
それに得心がいって、しのぶから目を逸らした。
彼女と視線を合わせるのは、今は避けたかった。
自分でもよく分からない心の機微を彼女は容易く見抜く。特に、キサラギのことに関しては、自分ではどうやってもしのぶの洞察力には及ばないことを身をもって学んでいた。
「実は道中で、炭治郎くんたちとお会いしまして。」
それまでの表情を打ち消して、しのぶはいつも通りの調子で話を切り出した。
特にゆく宛もなかった義勇は、そのまま彼女の話に耳を傾けた。
「そこで奇妙な話を聞いたのです。
――キサラギさんに会ったと。
そう彼らは言っていました。」
「…なに?」
思わぬ名前が飛び出たことに驚いて、しのぶに再度視線を戻した。
彼女は動揺を隠せない義勇の様子を見、それから夜空を見上げた。
相変わらずその口元には微笑が浮かんでいたが、彼女の瞳には複雑な色が滲んでいるのに気付き、義勇はなんとも言えない思いに行きあたる。
「変ですよねぇ。彼女が行方をくらませてもう長い時が過ぎました。その間、私たち、結構必死に探していたんですよ?」
だが、それでも見つからなかった。
キサラギが失踪してからというもの、鬼殺隊はそれなりの人手を割いて彼女の捜索にあたっていた。
なんせ、鬼殺隊の中枢を知る者。もし、裏切り行為があっては大事だ。
よって御館様からの勅令で彼女の捜索は行われた。
もちろん柱も例外ではなく、普段の任務と並行して彼女の行方を追う日々が続いた。
しかし彼女の捜索任務は、柱合会議の際に突如として取り下げが決まったのだ。
しのぶにとってのこの任務は、仕事ということに加えて、多少なりとも私情が含まれていることを義勇は知っていた。
キサラギとしのぶは仲が良かった。彼女らには仕事仲間以上の親密さがあった。
キサラギの失踪で一番落ち込んでいたのもしのぶだ。
だから、彼女の手がかりが見つかったことで一番喜ぶのもしのぶだと思っていた。
…どうやらそれは、違ったようだ。
「もういっそのこと、このまま見つからなければ良かったのに…」
夜風に紛れて小さく吐露したしのぶの言葉はかろうじて義勇の耳に届いた。
「…何と聞いた。」
予想とは違うしのぶの様子を訝しんで、義勇は問う。
その声音が思っていたよりも低く、重く響いたことに自分自身で驚く。
「何も。」
しのぶは一度目を閉じ、そして一呼吸置いてこちらを振り向いた。
「何も分かりませんでした。
それはそうですよね。炭治郎くんたちにとって、彼女はちょっと風変わりな女性に過ぎないのですから。」
炭治郎たちと出会ったらしいキサラギは、彼らの危機を救うだけ救って、鬼を倒した後さっさと別れてしまったらしい。
その時お互いのことを少し話した。そこで、キサラギが鬼殺隊にいたこと、柱の面々と面識があることを炭治郎たちは知った。
柱であるしのぶに会ってその話を思い出したという。
それ以上のことを知らないし、すぐにキサラギが行ってしまったことで、碌に訊けなかったようだ。
その出会いが、柱合会議以前にあったことだというのだから、もうその場所に彼女がいるという望みも薄いだろう。
「そうか。」
ぐしゃりと紙を握りしめる感触がした。
無意識に手紙を持つ手に力が入っていたようだ。我に返って力を弛める。
「どうせ姿を現すなら、私たちの前にしてほしいものですよね。」
そう言って月光を背に笑うしのぶは、どこか心細く見えた。
「彼女の意思は示された。」
しのぶが持ち帰った報告を聞き、御館様は静かに口を開いた。
捜索の件が気にかかり、しのぶと共に御館様のもとを訪ねた義勇は胸の内でその言葉を反芻した。
「もしやそれは、あの捜索任務の取り下げに関係が?」
どうやらしのぶも同じようなことを考えていたらしい。
彼女の問いに、御館様は優しい笑みを浮かべながら事の次第を口にする。
「彼女と彼らの出会いについては把握していたよ。そして、彼女が鬼の禰豆子を喰らわなかったことも。」
それにしのぶがはっと息をのむ音が聞こえた。
――確かにそうだ。
鬼と聞けば任務に急行し、斬殺してはその血肉を喰らっていたあのキサラギが。
彼女の通る道には至る所で鬼の屍山血河が築かれると専ら噂されるほど、彼女は躊躇なく鬼を殺し、喰らい、それを己の業として生きていた。
その、キサラギが。
「あれほど鬼に対して冷酷無慈悲だった彼女が、禰豆子を生かした。私はこれを彼女の意思として重んじている。
その結果が、捜索の打ち消しという事だよ。」
彼女は鬼殺隊を離反したというわけでも、裏切ったというわけでもない。
炭治郎を助け、禰豆子を見逃した。
彼女が炭治郎から何を聞き、何を考えそう至ったのかは分からない。
だがそこには確かに、彼女の鬼殺隊への思いと意思が込められていた。
御館様はそれらを汲み取り、今回の処分へと至った。
自分たちが預かり知らぬところで、密かに彼女の姿が見え隠れしていたという事実に、もどかしい思いに駆られる。
それを悟ったのか、御館様が謝罪の言葉を述べた。
「黙っていて悪かったね。けれどこれは、くれぐれも内密にしてほしい。なんとなくではあるけど、もう彼女は――」
懐に忍ばせた、差出人のない短い手紙がかさりと擦れる。その摩擦音が義勇の心臓にまで響いた気がした。
あの時はうまく言えなかったけれど、義勇にはもう大切なものを喪ってほしくない。
返信は要りません。
私はきっともうここにはいないから。
義勇。
どうか、生きて。
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