二度目の邂逅。
第二位のサーヴァント、バーサーカー。
玲瓏館邸の前で、セイバーは誰よりもはやくバーサーカーと対峙した。
いざ、決着を着けんとお互いが刃を、牙を、爪を向けた。ぶつかり合った。そして―セイバーの剣が、影のような黒い獣の心臓部を貫いた。
しかしバーサーカーは止まらない。僅かに動きを鈍らせながらも、その赤い瞳をぎらりと光らせ、セイバーを睨めつけていた。
その時――
彼方より数多の矢が飛来する。
大きな槍が抉り、貫く。
それらは確実にバーサーカーの体を削いでいく。
更には夜空から何条もの光が降り注いだ。その熱は、光は、まるで太陽そのもので。鋼のように、いやそれ以上に堅く強い狂戦士の肉体を焼いて、砕いて、燃やしていく。
獣の雄叫びが、叫び声が、夜の森を劈く。
「空の彼方に立つ者よ!そしてアーチャー、ランサー!これは私の戦いだ。叶うなら、手出しはしないでほしい!」
声の限り、容赦なくバーサーカーを攻撃するランサーやアーチャーに訴えかける。天空に立つかの男に届けと願う。
しかしその声は彼方にまで至りはしなかった。
セイバーの声なぞ知ったものではないと、傍若無人な光は落とされ続ける。
バーサーカーは決して止まらなかった。身を焼かれ、霊核の隅々まで砕かれようと。彼は何かを追い求めるように、その手を、脚を伸ばして――
「……!」
バーサーカーの吼える声に混じって、ふと、人の声が聞こえた気がした。
――有り得ない。まさか、そんな。
その声には、聞き覚えがあった。その人物に覚えが、セイバーにはあった。
しかし、しかし彼女は…『 』は、優秀な魔術師だ。こんなサーヴァント同士の激しい乱戦が行われている場にその身を晒すほど、軽率な行動をするようには思えない。
もし、もし、仮に彼女であっとして、この場にいるとして、この天空からの無秩序な攻撃の巻き添えを食らうかもしれない。生身の人間が巻き込まれれば、一瞬で命を落とす。
最悪の事態を予想し、背筋が鋭く冷えた。
行かなければ。守らなければ。
セイバーの脳裏に、美しく微笑む可憐なマスターの笑顔が過ぎった。
静かな森だった。
先ほどの戦闘がまるで嘘かのようだとセイバーは思う。
静かな夜だった。
静かな、涙だった。
木々の隙間。月光さす草むらに、セイバーが求めた女性の姿があった。その背は丸まり、震えていた。その周辺には、黄金に光る小さな光が舞っていた。しかしそれも儚げに消えていく。
おそらく、あれがサーヴァントの最期なのだろう。
確実に、今夜一騎のサーヴァントが消えた。
バーサーカー。狂戦士の名に恥じぬ、見事な戦いぶりだった。
その最期を思い、黙して哀悼の意を贈る。
目を伏せたセイバーの耳に、女性の啜り泣く声が届く。
「バーサーカー…バーサーカー…ごめんなさい、ゆるして…ゆるさないで…ごめんなさい…ごめんな、さい……」
それは、まるで幼子のような口調だった。幼子のようでいて、音は平坦。そこに感情の一切を感じることはできない。
いっそ泣きじゃくってしまえば、彼女の今の様相は本物の人間らしいものであるというのに。
彼女は止まぬ涙を拭うこともせず、溢れる嗚咽の混じったうわ言を繰り返していた。
――そう、泣き方を知らない、そんな風に見えた。
彼女はただただ震え、涙を流し、胸中で爆ぜそうになる苦しみをどうにも昇華することができず、無意味になるほど謝罪を吐き出している。
あまりにも歪だ。
その在り様は、営みを経てきた人間のそれではない。
あくまで、所見ではあるが。自分の知るところの、凡そ年相応の女性の姿とは何かが決定的に違っていた。
己がマスターの前で話し、笑う彼女は本当に少女の「姉」のようだった。年上で面倒見のよい、心優しい人。一心に少女を信じ、他を寄せ付けないほどの強さ。
魔術の力だけでなく、それは精神の強さでもあった。玲瓏館邸で見せた彼女の凛とした強かな表情は、セイバーの中で今も残り続けている。
あれは、守る者の顔だ。
黒き獣―バーサーカーの歯牙にかかりそうになっていた玲瓏館の息女を背中に庇いつつ、彼女は怯みもせずに向かい合っていた。
己がマスターとはまた違う、勇気の持ち主であるとセイバーは直感した。
しかし――
伏せていた瞼を上げる。
視線の先には丸まった背中。震える肩。落ち続ける雫。掠れながら空虚な謝罪を吐き続ける声。
見ていられなかった。
聞いていられなかった。
これ以上呵責に苛まれる姿があろうか。
彼女の小さな言葉ひとつひとつがセイバーの心を抉っていくようだ。どんな凶悪な武器にも勝って、胸中を裂いていく。
苦しみが限界を超え、セイバーは彼女の名を呼んだ。
すると、それと同時に彼女の身体が異様に震えた。小さな痙攣のようなものに見えた。それは数秒にも満たないものだったが、その直後に彼女の背がぐらついた。
「『 』…!?」
慌てて走って支えた彼女の背は、氷のように冷たかった。
「アレは、もはや人間ではない。」
沙条家の現当主であり、マスターの父親でもある男はそう呟いた。
「人間では…ない?」
「…アレの見た目も人格も、所詮は"ガワ"。作り物に過ぎんよ。いずれは破棄されるものだ。」
煙草をふかしながら、彼は淡々と述べる。ただの事実を。それゆえの残酷さを。ただ現実だけをもって。
彼女の人間性が、作り物?
いずれ捨てられるもの?
笑い、泣き、戦い、誰かを守ろうとしたあの彼女という人格が、この先なくなるというのか。
――必要ないものだというのか。
先刻話していたマスターの有り様でも感じた、魔術師独特の倫理観にひどく目眩を覚えた。
これは一サーヴァントがあれこれと言えるものではない。最早過ぎ去ったことだ。だが。しかし―
彼女の涙と声が何度も蘇り、セイバーの拳に自然と力が篭った。
「セイバー。お前がアレに対して同情するのは道理ではある。が、アレは生まれながらにしてその使命を与えられた。アレの父、母、祖父、祖母…代々の家の者が、望んだ結果だ。無論、他の家の私も口出しできることでもない。」
魔術師とは、そういうものなのだよ。セイバー。
当主たる男は、煙を吐き、そう締めくくった。
「そう。『 』が…」
朝食の準備ができたとセイバーを呼びに来たマスターに、あの夜起こったサーヴァントとの激突を含め、彼女の様子を話した。
マスターならば、彼女をどうにかできるかもしれない。周りが無茶だと考えていることを颯爽とこなしてみせる彼女のことだ。希望はあるはず。
「ふうん。そういう事だったのね。」
少女の声音が暗くなった。ほんの僅かではあるが、いつも涼やかに可憐に話す彼女の様子に翳りが見えた。
その雰囲気が気になり、問いかけようとするセイバーを遮るように、彼女の表情はパッと変わった。
「でもね、もう大丈夫よ。あの子、もうすぐ目を覚ますから。」
「………」
なんと問いかけていいか分からず、結局セイバーは開きかけた口を閉じた。
『 』のこの先を、少女はどこまで理解しているのだろうか。
2人の仲睦まじい様子を思い返し、セイバーの胸中は重くなったような気がした。
「あの子のことが心配なのかしら。セイバー?」
表情が暗くなっていたのか、胸中を察したマスターが逆に問いかけてきた。
「君は、知っているのかい。『 』が、今後…」
「あなたが不安に思うことは何もないわ、セイバー。全て順調よ。あの子のことも含めて、ね。」
私に任せて。きっと、上手くいくわ。
そう囁いてふわりと笑う彼女に、セイバーはもう何も言えなくなってしまった。
マスターも、『 』も、全て承知の上で今まで過ごしてきたのか。
あの2人の強さを痛感すると共に、虚しさが去来する。
どうして、そのような在り様を認めるしかないのか。何もできなかったのか。
無残な終わりがくると分かっていながら、その終わりを眺めるだけなど―ひとりの騎士として、王として、今の自分には到底できそうにもなかった。
結局、セイバーが事の全てを知ったのは、大聖杯を前にした時だった。
誰の、何にとっての順調だったのか。
何をもって上手くいったとされるのか。
その場の惨状を見て、セイバーは漸く理解したのだった。
はじめから、彼女は―『 』は、こうなることを覚悟していたのだと。
あの夜の涙が、彼女の最後の救いを求める声で、自分はそれに応えることができなかった。
あの場にいた自分が、応えるべきだった。応えなければならなかった。
彼女の声に、呼びかけに。
そうすれば、『 』を救えたかもしれない。止めることができたのかもしれない。守れたかもしれない。
なのに、できなかった。
――ああ、だから、だから彼女は"死んだのだ"。
誰にも引き止められなかった彼女は、ひとり静かに死地へと向かっていった。真っ直ぐ。迷いなく。
身を擲った。たったひとりの少女の為に。まるで自分の命を物のように扱ってみせた。
その事実が、セイバーの心に深々と刻みつけられた。後悔と罪悪感と懺悔と自身への怒りがもはや消失しかけた霊核までをも揺るがす。
次は、次こそは、必ず――
何かを、誰かを守ることに躊躇わないと胸に誓い、セイバーは目を閉じた。
もう何度目かも分からない、世界を転じる感覚に身を投じる。
その時、誰かに喚ばれたような気がした。
聞き覚えがある。決して無視できない声だった。
可能性はほとんどない―それこそ、雲を掴むような、星に手が届くような、それほど夢のような話だった。再び、彼女の声を聞くことができるなど。
けれど。確かに。
遠い闇の向こう、彼方の世界より、聖剣を通じて。
――確かに、繋がった。
「ならば私は―いや、僕は、それに応えよう。」
あの時の誓いをもう一度。
あの時の言葉をもう一度。
君に。
その細い糸を手繰るように進む。世界を越え、時空を越え、辿り着いた先は一面炎が渦巻く世界だった。
彼女は、召喚したサーヴァントがかのアーサー・ペンドラゴンであったということに、驚いていた。
彼女にとって、この存在は痛みそのものだ。セイバーもそれをよく理解していた。
彼女にとって、あの戦いで失ったものがあまりにも多すぎた。一度ならず二度までも、彼女は心からの友の死を見届けた。時には、正しきを信じる為に、その友の死を選ばなければならなかった。
そして、何よりセイバー自身が、その友を殺した剣に違いなかった。
例え彼女に赦されても――
いや。
贖罪を赦す言葉を口にした『 』は―8年後の彼女は、消えたのだ。
だから、この世界にセイバーを喚んだ彼女がそれを覚えていないのは当然のことだ。覚えていないというより、知らないのだ。
ならば、彼女は、あの1991年、全ての始まりであったあの聖杯戦争の時の彼女なのだろう。
まだ、お互いの何をも知らず、理解しようとすらしていなかったあの頃の…
彼女に非難されることを厭いはしない。それは正しい糾弾だ。正当な罰だ。彼女からならば、甘んじて受けよう。
ただ、この気持ちを諦めはしない。
思い起こす、8年後の聖杯戦争の記憶。
2人の想いが通じ合った夜。
あの瞬間のぬくもりが確かに、セイバーの胸に息づいている。
あの時叶った願いが確かにあったのだ。
であれば、もう一度叶うはずだ。
あの頃とは状況が随分異なってはいるけれど、それでも根本たるものは何も変わってはいない。
どんなに鋭利な言葉で割かれようとも、どんな鋭い語気で貫かれようとも、決して、諦めはしない。
そう意気込んで彼女の様子を見ていたが、そんなセイバーの意志を知ってか知らずか、『 』がセイバーを否定することはなかった。それどころか、どこか距離を置いて面と向かって話すことを避けているような…そんな様子だった。
嫌悪したり、憎悪を現したり、そういった様子もなく、ただ戸惑いが尾を引いているのか、その距離が変化することもなかった。
セイバーはあえて『彼女』の名を口にすることも、かの聖杯戦争を聞くこともなかった。
カルデアのスタッフやマシュ・キリエライト、もうひとりのマスター・藤丸立香と関わり、共に支え合い、困難を乗り越え、時には祭事に参加し、今までにない表情を見せる彼女の姿をもっと見たいと思ったからだ。
過去の事象より、今を生きてほしい。多彩な人との関わりの中で、その心を豊かに彩ってほしい。そんなささやかで切なる願いが、セイバーの口を閉ざした。
それでも、現実はそんな小さな願いを押し潰そうとする。
『 』に現れた令呪。特殊な術式が組み込まれたというそれは、徐々に熾天使の羽根模様に至ろうとしていた。
そう、かの七枚羽の形へと、ゆっくりと、しかし着実に。
それをドクター・ロマンから聞いた時、セイバーはもう沈黙したままではいられないということを思い知った。いずれは話さなければならないことだった。彼にも、彼女にも。
それが今だった、ということだろう。
『 』は相変わらずどう接していいか決めかねている様子だった。
それでもひとつ、分かったことがある。
彼女は恐らく、1991聖杯戦争その最後を覚えていない。
彼女はあの場にいた。この剣が、あの少女の胸を貫いたところを間違いなく見ていた。
だというのに、刀身を晒しても、振るっても、彼女は何らかのリアクションをとったことがない。
たった一度だけ―夜の森に野宿している際、狼の遠吠えを聞いて震えていたことがあった。眠りながら、涙を流していたことがあった。
思えば、あの状況は、バーサーカーが斃れた夜に酷似していた。あの時と寸分違わない涙を、彼女は静かに流していたのだ。
大切な人を亡くした彼女が、その酷似している状況下でこれ程反応するならば、少女を刺したこの剣にもとっくに反応しているはずだ。
やはり、覚えていない。
そう悟るのと同時に、セイバーは迷った。
彼女にあの最後を話すべきなのか、否か。
それとも彼女自身に託すべきなのか。
あの、残酷な運命の結末を。
――私は、あの終わりで良かったと思ってる。
夜。月光がさす庭園で、花々を愛でながらそう穏やかに話す彼女の横顔が、迷う心を過ぎっていく。
――それで、私が愛したものたちを守れるのなら…地獄に堕ちたって構わないわ。私。
天に還らず、泥に沈んでいく定めであったとしても、彼女はそう言ってのけていた。
――それにね、セイバー。私どこか安心しているの。あなたは正しい。正しすぎるほどに。
――そんなあなたが断罪してくれるから、私は私の罪を信じられる。『あの終わりで良かった』と、そう思えるの。
――だから、間違っても謝罪なんてしないで。そんなことをされたら私、きっと、きっと、この世界を赦せなくなってしまうから…
彼女は長い時をかけ、この結論へと至ったのだろう。
自分なりに何が正しかったのか、どうしたら良かったのか、何を守りたかったのか、何が間違っていたのか、それら葛藤と向き合った、その答えがあの夜の言葉だった。
ならば、今の彼女に自分から言えることは何もない。
彼女自身が出した結論を他者が教えたところで、それはもはや彼女の答えではなくなる。
おそらくではあるが、この人理を取り戻す旅にて、彼女は答えを得るのだろう。
もしかしたら、別の答えに辿り着くかもしれない。
様々な場所、人間、サーヴァントと出会い、戦い、話し、笑って、泣いて――
そして、最後に彼女は彼女自身の答えを得る。それがどんなものであろうと、受け入れよう。それは決して悪いものにはならない。希望に溢れたものにもならないだろうが―悪そのものではない。そんな予感がする。
例え、彼女の周りに影が見えたとしても――
その予感は、揺るぎはしない。
「セイバー、私、何か忘れてる?」
ああ、『 』、君は思い出そうとしているのか。
刻限は近い。
君が痛みを負い、罪を背負いながらもそう望むなら、僕はそれを支えよう。
君と同じ、茨の道を歩もう。
今度こそ、最後まで。