>お伽噺を読めば、誰だって(特にそれが女の子なら)魔法使いに憧れたと思う。わたしだってその一人で、簡単にいろいろな物を出してしまう彼女に、とても憧れていた。多分、自分でもなることが出来ると思っていたし、そんな真似事だってしたと思う。
わたしの場合、魔法使いへの憧れはそれだけじゃない。もう、記憶に殆どない、父さんから写真を見せてもらうばかりの、母さんとの思い出。どんな人だったか、はしっかりと覚えてない。それでも、不思議な事に、心はあの人が優しかった事を知っている。その声が、沢山のお話をしてくれたのは、微かに覚えていた。そのどんなお話の中の魔法使いも、母さんのようだった気がしてる。
絵に描かれているようなイメージで、抱きしめてくれる腕も、話を聞いてくれる耳も、言葉を教えてくれる口も。柔らかくて、優しかった。そんな、気がしてる。
結局わたしは、魔法使いにはなれなかった。それに、ただの普通の、女の子にだってなれなかった。母さんはあんなに、素敵な人だったのに。
わたしはどんな人になるんだろう。それは時々頭をもたげては、わたしの後ろに立っていた。その答えはきっと、今のわたしには分らない事だと思う。それでもそいつは後ろから、わたしをずっと見てる。
***
どこでもいいんだぞ。と、父さんが言うので、わたしはその言葉に甘えてカフェに入った。久しぶりに、買い物をしたり、話をしたり、父さんと長く一緒にいたと思う。それでも、ほんの数ヶ月前と比べたら、ここ最近は本当に一緒にいるほうだけど。
そのカフェは、一人で入るには敷居が高い。わたしは、ずっと遠目で美味しそうなショウケースを眺めていた。そのショウケースに入ったケーキですら、少し躊躇ってしまうほどの値段が付いている。
奢ってもらえるなら、食べたい。と、何度も下心をもってお店の前を通る。その機会が今日、タイミングよくやってきたんだから、逃せるはずもなかった。
お店の内装は、とても落ち着いたレトロな雰囲気が特徴的で、そういうところもとてもいい。ウェイトレスは背筋を伸ばしてしゃんとしているし、悪い印象のあるところは一つもなかった。
「いいところだな」
と、父さんもなかなかお気に召したらしい。わたしはその言葉に「でしょう?」と、返しそうになって、言葉を飲み込む。よくよく考えなくても、ここに入ったのはわたしも今日が初めてだった。
「どうぞ、お冷です。こちら、メニューになっております」
黒髪美人のウェイトレスが、流れるような動作でそう言った。父さんも、彼女の動作に更に気分を良くしたのか、声のトーンを上げて言う。
「何でも頼んでいいからな、青」
「うん。でも、ちょっと声のトーンは落としてよ」
煩かったか?と、ばつが悪い風にするわけでもなく、父さんは笑う。なんだか、すごく機嫌がいいみたいだから、わたしもつられて笑ってしまった。
「では、ご注文がお決まりになりましたら、こちらのベルでお知らせ下さい」
ウェイトレスさんは少しだけ微笑んで、静かに立ち去っていく。わたしと父さんは、同じメニューをめくりながら、あれもいい、これもいい、とケーキや軽食を眺めていた。
ふと、一枚の仕切りを挟んだ隣の会話が聞こえてくる。
『ねェ、あの二人夫婦?』OLなのかもしれない。スーツ姿の、二人組み。一人が、父さんの方と、わたしの方を見てそう言った。化粧っ気のないわたしの顔を捕まえて、夫婦に見えるってことは、そんなに老け顔ってこと?『え、女の人のほう若いよ』相手の女性が、ちらり、とこっちを見たのがわかる。ああ、よかった。そこまではないみたい。父さんに似て体格がいいことが、少しコンプレックスだったから。『男の人かっこよくない?』と、その言葉を聴いたわたしは、少しムッとして大きめの声を出した。
「かっこいいって、父さん」
すると父さんは、しょうがない、なんて顔をしておどけてみせる。
「お。オレもまだまだいけるか?」
「今からお嫁さん、募集しちゃう?」
「おいおい。母さん以外に目移りするような男に見えるのか?オレは」
見えない、と言えば嘘になるけど。母さん以外に目移りすることがある、というのもやっぱり、嘘だろう。
わたしは、黙り込んでしまった隣のOLさんたちに、少し得意げな気持ちだった。
どう?うちの父さん一途で、いい男でしょ?って。どうしようもないところもあるけど、わたしは父さんの優しいところが好きだ。きっと、わたしがわざと、声を大きくして話しかけた事にだって気づいてるに違いなかった。
それから、母さんの事が一番なんだっていう、幼稚で馬鹿な確認作業に、呆れていても付き合ってくれる。
「でも、父さんがお嫁さんを貰っても、わたし全然大丈夫だからね」
今度こそ、わたしは本当に小さな声で、父さんにそう言った。全てが本心だとは言えないけれど、それでも、その気持ちはちゃんとある。ありきたりな例えだけど、きっと、天国の母さんだってその事を煩く言ったりはしないだろう。
もしかすると、早く再婚しなさいよ。と、思っているかもしれない。彼女は、そんな人だった。そんな気がする。
「馬鹿か。あいつ以上にいい嫁が、そうそういるわけないだろう」
「へェ?」それはどうも、ごちそうさま。と、わたしはケーキの写真に視線を落とした。
わたしは少しだけ、父さんと母さんにあったことを知っている。母方の祖父が、初めて父さんと会った日に、話をしてくれたからだ。
母さんが、とても父さんの事を大切に思っていて。だから、わたしには父さんの事を話さなかったこと。父さんと会わせるつもりがなかったこと。昔はその事を、とても悪いように理解してしまったけれど、今はもうそんな子供じゃない。
父さんはかつて、母さんを大切にしていた一人の男の人だった。母さんも、父さんの事をとても大切に思っている女の人だった。わたしは、二人が親である以前のことを、少しは想像出来るようになれた。何もかもを知っているわけじゃなかったけど、だからこそ、わたしは二人の事情に、沢山の想像を巡らせるだけにしておく事が多い。
「でも、もしも。そんな人が出来たら、幸せになってね」
「……そうだな。まァ、お前がいてくれるから、それでいいさ」
父さんはきっと、これからも一人でいるだろう。母さん以上に、一緒にいたいという女の人を、探す事もしない気がする。
父さんは母さんとのことを、沢山は話してくれない。それでも、わたしは、二人がとうとう結婚していなかった事を知っている。父さんが、祖父に頭を下げて、もう亡くなってしまった母さんとの結婚を申し込んだ事も、良く覚えている。まだ他人だった「シャンクス」という赤髪の男は、あの日、母さんの遺影の前に静かに座っていた。祖父がその場を離れても、シャンクスはずっとそうやって、母さんの写真を眺めていた。
これは結局、わたしの想像でしかないけれど。あの時父さんは、自分を責めていたんじゃないだろうか。母さんに、もう話すことも叶わなくなってから、再会したことを後悔していたんじゃないかと思う。
わたしは確かに、二人の子供だけれど。父さんが男の人で、母さんが女の人であるときだけ、わたしは誰の子供でもなくなる。誰とのつながりもなくて、わたしはただの他人になる。
あの日、ただの他人の子供だったわたしは、祖父に呼ばれるままにシャンクスと彼女をその場に残した。あの後、父さんが母さんと一体なんの話をしたのかは知らない。父さんはもしかすると、泣いたのかもしれない。
その事を思い出しているとき、わたしもどうしようもなく泣けてきて、仕方がなかった。
「メニュー決まったか?」
ハッとして顔を上げれば、きょとん、とした顔で父さんがわたしを見ていた。それから、からかうように口端を上げて言う。
「お前、ちゃんと考えてたか?」
「え。あ、うん。これと、これ」
「よし」
父さんがそのボタンを押すと、ちりん、とベルの音が鳴る。ウェイトレスさんが来るまで少しの時間があった。わたしはその間、メニューの中のケーキを一人で眺める。
母さんが選ぶなら、どんなケーキを頼んだだろう。そんなことを考えていた。
***
母さんは魔法使いだったけれど、使えない魔法だって沢山あった。
わたしに父さんを会わせてはくれなかったし、母さんの病気は結局良くならないままだった。
母さんは、最後まで祖父に父さんの連絡先を教えることはなかった。わたしと祖父がそれを見つけたのは、彼女が亡くなって、その身の回りを整理しているとき。そのときにはもう、わたしは十分に涙を流してしまっていた後だった。
わたしは一体、どんな人になるんだろう。
でもきっと、母さんや父さんには悪いけれど、二人のようにはならないと思う。
わたしはきっと、健康で、もしも子供が出来るのなら、その子をずっと大切に、おばあちゃんになっても大切にするつもりだから。旦那さんは、そうだな、元気な人がいいと思う。優しくて、父さんみたいにどうしようもないところはあってもいいから、わたしの傍にいてくれる人がいいと思う。
凄い人になりたいわけではないし、なれるとももう、思ってない。魔法使いになれないことは知っているし、だからわたしは、きっと母さんのようにはならないだろう。
わたしはただ、父さんと母さんが、今でもわたしの隣で笑いあっていないことが。その事が、今でも本当に悲しいと言う事を。結局ずっと、誰にも言えないのかもしれないけれど。
………20130801