>よっ、と前の座席のシートから、よく知っている顔が出てきた。と、同時にわたしは口を開く。
「ばかっ!」
思わず出たわたしの大きな声に、周りの人たちが一斉にこっちを見た。少し恥ずかしかったけど、そんなことなんて気にしてられない。
「なんだよ?つーか、どこ行くんだ?」
「ほんとに、馬鹿!早く下りて!」
その腕を掴んで、席を立ち上がったときにはもう、前方の扉が閉まった後。ぷしゅー、という間の抜けた音に合わせて、私の体からも力が抜けてしまう。
「なんだよ?でっけー荷物持って。お前、今からどっか行くんだろ?」
そうですとも、行きますとも。
ここから、バスに乗って半日以上はかかる場所へ、行きますともっ!
「も〜……。ルフィのばぁか」
ちなみにこのバスは直行便。途中下車は出来ないし、料金だって飛行機なんかよりはずっと安いけど、ルフィがホイホイ持ち歩くようなお金じゃ乗れないほど。
その事を、ルフィがやっと理解したって、このバスは高速道路への道をひたすら進んでいた。「えー??!!」なんて、今更大きな声で驚いたって、どうしようもないんだからね。

とにかく、バスを降りられないのだから、仕方がないよ。と、わたしはまず父さんにメールを送った。『バスに乗りました 夜には着きます』それだけで済んだ筈のメールに、もう一言添えておく。『ルフィも一緒です』。
送信してから、わたしの隣を見てみれば、ルフィがキラキラと目を輝かせて外を眺めている。ほとんど手ぶらのくせに、ルフィには少しも慌てる様子がない。そういうとこ、いいんだか、悪いんだか。
「ルフィ!」
「んあ?なんだ?」
「ガープさんにメールしたの?エースくんにはっ?」
あんまりにも暢気にしているから、わたしの方が慌てて腹がたつったらない。それなのに、ルフィはポケットから取り出した携帯を、わたしの前にプラプラ下げる。その顔は、ニコニコと笑うだけ。
「ねぇ、まさか……」
「じゅーでん切れてた!」
バシンッ。と、とうとうわたしもその頭を叩いておいた。ガープさんと、エース君と、父さんと、わたしの分を思いっきり。
携帯の充電が切れてるのに、なんで持ち歩いてるの!財布もろくに持たないで、どこに行くつもりだったの!なんでわたしに付いて来たの?!
なんて、言いたいことが色々ありすぎて、それは全部喉の奥でぎゅうぎゅうに突っかえて、出て来れそうになかった。溜息だって出ない。
わたしは仕方なく、エースくんに送るための新規メールを開く。ルフィは、それを横から覗いて、まじまじと眺めてきた。
『エースくん、ルフィが途中下車できないバスに乗って今わたしと一緒にいます お金も勿論、着替えとか、何も持ってません 着いたら直ぐに戻りのバスを調べてそれに乗せます』と、やっとそこまで打鍵すると、ルフィが携帯を横から攫う。
「何っ?」
「えーと、ちょっと待ってろ。えーと……。うわぁ…青の携帯使い辛ぇ!」
その携帯にお世話になるくせに、失礼な!
「ね、ねぇ!なんて送ったの?」
使い辛い、なんて言っているくせに、あっという間に送信ボタンを押してしまったルフィ。なんだか不安になって、そう聞いてみても「別に」と答えようとしない。わたしは、素早くその手から携帯を奪い返すと、「ああ!」と騒ぐルフィを余所に送信履歴を開いた。
「!」
そして、絶句。
「いいだろ?別に」
きょとん、とした顔と、メールの画面に頭を抱えたくなる。最後の一行だけ消されていて、代わりに『しばらく、青んとこにいる!じいちゃんにも言っといてくれ』だそうです。
遠慮という言葉なんて、きっとルフィには通用しないって知ってた。でも、やっぱり誰かを責めたくて仕方がなくて。ガープさん、エースくん、あなた方はこの男にゆうに17年程もの間、一体何を教えていらっしゃったんですか。ってね。
「あれだろ。今から行くところ、青が時々話してくれるじいちゃんちなんだろ?そんなの、オレも行ってみてーじゃんか!なんで、今日まで黙ってたんだよ?」
「一応、言おうとは思ってたよ」
思ってたけど、なんだか、「それ」もおかしい事に気付いてしまって、言い出せなかった。だって、ただの幼馴染で、ご近所さんで、兄弟みたいになるときもあって、それでもわたしたち、他人なんだよ。なんて、ルフィには言えなくて。言いたくなくて。
「それ」ってつまり、わざわざどこかへ行くのに、何か言わなくちゃいけないってことは無いんだと。思いついてしまったから。
「ま、いいけどな」
そりゃあ、そうでしょうとも。
「もうついて来ちゃってるからね」
「楽しみだなァ!」
そうして二人で肩を並べて座っていると、手元の携帯が震えてメールが届いた。父さんからだった。
『向こうの義父さんには連絡を取った 着いたら詳しく話すから電話をくれ エースとガープさんとも話しておく』と。なんだか、少し大事になっているみたいで。
当のルフィときたら、窓に張り付くんじゃないかってほど外ばっかり気にしているのに。わたしも、あんまりそんな大事のような気も、実はそんなにしてなくて。わたしたちだけ、少し楽しんでいるような気分だった。
「実はね、ルフィ」
「なんだ?」
「ちょっとだけ、今年の夏は面白くなる気がしてたよ」
それから、すごく、なんだか不安な気もする。そういうのが、ごちゃごちゃと混ざってて、胸の辺りが少し痛かった。
「じゃあ、オレも面白くなる気がする!青について来てよかったな!」
歯を見せて笑うルフィに、わたしも少し笑い声を返した。

田舎へ行く道を見逃すのが惜しくて、わたしは大抵、バスの中でも眠くなったりはしない方だった。でも、ルフィは見事に一時間もしないうちに眠り始めて、窓に頭を何度もぶつけていたし。途中で目を覚ましてから、「肩借りる」とわたしの肩によだれを垂らしながらやっぱり寝てた。ドライブスルーの時は起こしたけど、ルフィが目を覚ましたのは本当にそのときだけ。
やっと辺りがオレンジ色になってきて、山道の、夏の土の匂いがバスの中にも漏れ出してきた頃。わたしはルフィを少し強引に起こした。「あ?んだよ?」と、かすれた声は特に機嫌が悪い風じゃない。わたしは、窓のほうを指差す。
「ここからの夕日は、この時間のバスでしか見れないんだよ」
ルフィは、何も言わなかった。すげー、とも。おお、とも。ただ、その大きな目を、もっと大きくして、その夕日を見詰める。
祖父の住むこの小さな町は、山に囲まれている。山は小さいものから、少し高いものまで、幾つにも連なっているけど、入山できるのは早朝からお昼過ぎの間だけ。クマが出て、危ないかららしい。ただ、バスだけは別。
「海だ」
と、ルフィが呟いた。
山の上のこの場所は、低地が一望できるだけじゃない。少し離れた海岸まで、よく見渡せる。そして、夏の間だけ。その水平線に、綺麗に夕日が沈む。
「綺麗でしょ?起こして正解?」
「だい正解。ありがとう。なんか、もう、すっげー夏って感じがするっ」
鼻息荒く興奮してる様子が面白くて、ついつい余計な事まで教えたくなってしまう。
「あの海にも、いけるんだよ。電車が通ってるから」
「行く!」
あ、でも。あんまり期待させないほうが良いんだっけ?そういえば、ルフィがこれからどうなるのか、詳しく知らないのをすっかり忘れてた。


***


「ひさしぶりだな、青」
バス停を下りると、そこにはおじちゃんが待っていた。相変わらずそうで、少しホッとする。
「ただいま。おじいちゃん」
「このじいちゃんが、青の母ちゃんの父ちゃんなのか?」
ひょっこりとわたしの後ろからバスを降りてきて、ルフィは無遠慮におじいちゃんに近寄った。わたしは、なんとかその襟元を掴んで、それを止める。
けど。ルフィには、それが首元を後ろに引っ張られてようが、ちっとも関係ないみたいで。そんな変な体勢でも、おじいちゃんのことをじっと見ていた。
「君か。シャンクス君が困っていたぞ。相当、やんちゃボウズらしいな」
「ルフィだ!どうも、はじめまして」
やっと落ち着いたみたいだったから、わたしは手を離す。ルフィは頭を下げて、おじいちゃんに挨拶をした。
おじいちゃんは、ルフィのことを結構気に入ったんじゃないかな、と思う。その証拠に、ちょっと笑ったしわが深くて、嬉しそうだから。
おじいちゃんはそのしわの多い手を伸ばして、ルフィと握手をする。それから、ルフィの自己紹介を少しだけ真似てみせた。

「レイリーだ。ようこそ、辺鄙な田舎町へ」

……………20130820
その後、おじいちゃんちの電話の前。ルフィがこってり絞られたのは、言うまでもないかな。

DODO