>おじいちゃんちの縁側であずきバーを食べていると、見慣れない、小さな車が家の前に止まった。ぱすんぱすん、と音を出す車だから、他人の物なんだけど少し心配。すると、その車の助手席と運転席から誰かが出てくる。日差しが強くて、少し目を細めて見た。
わたしは、その車から下りてくる人を見て慌ててサンダルを履いた。
「エースくん。サボさん」
「青。ごめんな、来るのが遅くなった」
相変わらずジリジリと照りつける日差しが続く、その日はルフィとわたしがおじいちゃんちにやってきて四日目の事だった。
昔ながらの平屋建てと、洋館が組み合わさったこの家は、築年数も結構なものだと思う。エース君とサボさんは興味深げに家を見渡していた。
そんな二人をとりあえず、縁側に面した畳部屋にを上げる。それから、わたしは冷えた麦茶とお茶菓子を出した。お茶菓子は、昨日ルフィと作ったプリン。なかなか美味しくできたと思う。
「青のじいちゃんは?」
サボさんが、麦茶を飲みながら聞く。
「あと、ルフィ」と、エースくんは割りと真顔。たぶん、あれだけ電話で叱っても、足りなかったのかもしれない。
「おじいちゃんとルフィは、朝から畑仕事。エースくんも気持ちは分かるけど、あんま怒らないでね。ルフィほんと、よくおじいちゃんの手伝いしてくれて。おじいちゃんも、すっごく楽しそうにしてるし」
「いや、まぁ。……だけどよ」
眉間に皺が寄ってますよ、エースくん。
でも、実際は。本当にあれから、大変だったんだと思う。ガープさんとエースくんは一騒動あったような慌てようだったと聞くし、父さんも、珍しくルフィに怒っていたから。問題があるとすれば、ルフィ自身にはやっぱり、あんまり堪えてなかったことだけど。
こっちはこっちで、おじいちゃんの服ではやっぱり大きすぎたから、ルフィの服をわざわざ買いに行ったり。日用品の最低限を一式そろえたり。
「ルフィもなかなか、やるよな」
「おまえは当事者でも何でもねェから、んなことが言えるんだよ」
暢気な笑い声を上げるサボさんに、エースくんが食って掛かる。
「ま、まあ。とにかく。二人が戻ってくるのは、もう少しかかると思う。大丈夫?」
まだお昼の二時間以上も前。いつもお昼過ぎ位に帰ってくるから、大分待たないといけなくなる。
「オレ達はいいんだけどよ」
エースくんは、サボさんに「だよな?」と確認する。
「うん。どうせ、バイトは明日からなんだ。今日の夜までに、浜に着けばいいってわけ」
「よかった。じゃあ、もし良かったら、お昼ここで食べていって」
ルフィがこんなところまで来ちゃって、どうなる事かと思ったけど。何の偶然か、エースくんが言っていた「バイト」先があの海岸だったのが幸いだった。ここに来る前に、ルフィに見せた海岸。
お陰で。エースくんが、そのバイトに行く前に色々な荷物を届ける、事でやっと話が丸く収まってくれた。
ちなみに、エースくんが”でんっ”と持ってきた荷物の中には、しっかりと勉強道具も入っていて。これをルフィが見たら、どんな顔をするかと思うと、少し面白かった。
お昼まで時間があると分かると、サボさんは早速、洋館のほうに行きたいと腰を上げた。わたしは少し用事があって案内ができないと教えると、お昼ご飯を食べた後に中を案内する事になった。それまで、外をぶらぶら散歩したいらしい。
わたしはてっきり、エースくんもそれに付き合うんだと思っていた。
「青」
でも、エースくんはゆっくり麦茶を飲んで。それから、少し言い辛そうに口を開く。
「ん?あ。わたし少し家を開けるけど、おじいちゃんたちが帰ってくるまで留守をお願いしてもいい?」
「あ、ああ。あのさ、青」
「うん。えーと、もしかして何か用事でもあった?」
あんまり、エースくんが言い辛そうにするから。わたしは、何を言いたいのか分からなくて、首を傾げる。けれどすぐに、どうして言い辛そうにしていたのかがわかった。
「青の、おふくろにさ。挨拶してーんだけど」
すこし、驚いた。のは、本当。その言葉は、この家のどこかに隠れているような人を探すような、そんな意味が少しも含まれていなかったから。
だって、わたしは今まで、自分の母さんの話を、誰にもしてこなかった。エースくんも、あのルフィも、きっと昔からわたしに母さんがいないことは知ってたと思う。でも、その母さんが死んでしまっていることは、言ったことがない。
「ありがとう」
エースくんはもしかすると、色々なことから、「そのこと」に気付いていたのかもしれない。「こっち。お仏壇があるの」
きっと、母さんも喜ぶよ。そう、私はエースくんを奥のお座敷に案内した。
「ルフィは知ってんのか?」
わたしの「用事」は、午前中のうちに、お墓のお花のお水を換えること。お昼の日差しが強いうちに、花が駄目になってしまわないよう、冷たいお水をくべるのが、ここに帰ってきたときの日課だった。
結局エースくんは、お仏壇に手を合わせてなお、お墓参りの手伝いもしてくれた。
強い日差しで、墓石に掛けられたばかりの水も、段々と蒸発してしまう。わたしはその度に、少しずつ桶の水を掛けなおした。
「なんかね。エース君と同じで、知ってたみたい。父さんから聞いたのかも」
「そうか」
ルフィもまた、おじいちゃんちに来て直ぐ、見かけた仏壇の前に座ってくれた。「青は母ちゃんに似たんだな」と言ってくれたのが、凄く嬉しくて。わたしは少し、泣いてしまった。
「いつだったのか、とか。聞いてもいいか?」
もちろん、とわたしは頷く。
「わたしが、まだ四つの時。わたし、お母さんっ子だったから。すっごく、悲しかったけどね」
「へぇ。お前が、お母さんっ子ね」
エースくんは、少しからかうように言った。そう言いたくなるのも無理はなくて、わたしは今ではすっかりお父さんっ子だ。
でも、本当のところは少し違う。お母さんの事はもちろん大好きだったけど、両親のどっちが、なんて比べられなかった。だって、わたしは母さんが死んでしまうまで、父さんなんていないんだと思っていたんだから。
でも、そんなことをエースくんに言う必要はない。だからわざと、「お母さんっ子」とはぐらかした。余計な事を、言ってしまわないように。
「お前さ、オレが自分のおやじとおふくろのことあんまり良く思ってないの、ほんとは少し怒ってたんじゃねーの?」
そうだったかもしれないし、でもそんなことはもう、気にもしていない事だった。
エースくんのお父さんとお母さんは、相変わらず世界中を飛び回っている。エースくんは、エースくんのお母さんの考えで、ルフィたちのところへ預けられて、そして友達を作って勉強できるようにしてもらってた。でも、エースくんは、どうしても、それが今でも少し許せないでいることを、わたしはよく分かってた。
同じではないけど、本当に少しだけ、その気持ちが分かるような気もする。
「エースくんのお父さんとお母さんに、感謝してる」
「は?」
急にそう言われて、エースくんは当たり前のようにそんな反応をした。
「わたし、エースくんがいなかったら。あの時、ほんとうに死んじゃってた」
今でも時々、思い出したように夢に見るときがある。あの、二つの大きなローラーに、わたしはどんどん引きずり込まれていく。そんな夢。
「それから、エースくんには本当に、ほんとに。いろいろ、助けてもらってる」
エースくんのことを好きになって、その事で辛いこともあったけど、だからこそ頑張れたことだって沢山あった。だからこそずっと、エースくんを好きなままでいることを、諦めようなんて思いたくなかった。
「でも、エースくんが……お父さんとお母さんをそんな風に思う気持ちも、実はちょっとだけ分かる気がする」
くつくつ。みんみん。そんな風に煩く鳴く蝉の名前は思いだけないけど、母さんの墓前で、同じ鳴き声を聞きながら去年もこうして立っていた。その前の年も、その前の前の年も。
今年はルフィと一緒にここに来たし、こうしてエースくんも隣にいてくれる。
エースくんは相槌一つ返してはくれないけど、その雰囲気で、何を考えているのかなら少し分かる。
どうわかるんだよ。と、声にならない言葉が、聞こえてくるみたいだった。
「わたしも、お父さんとお母さんに、たぶん。同じことを思ってるから」
どうして一緒にいてくれなかったの、と。どうして一緒にいてくれないの、と。もう、どうしようもないことを、ずっと思ってる。
「だから。わたし別に、怒ってないよ」
「そうか」
エースくんが苦く笑って、わたしもつられて笑った。今更じりじり背中が熱くて、帽子の中にも熱が溜まってる事に気付く。そろそろ帰って、お昼の支度をしないと、ルフィが怒る顔が目に浮かぶみたいだった。今朝、お昼を沢山作って待ってるって、約束したから。
わたしは、桶に入った残りの水を全部、墓石にかけた。
「帰ろっか」とその横顔を見ると、「そうだな」と返ってくる。二人で、木陰になった石段を降りる途中、わたしはふと、今なら言えるかもしれない「こと」を思い出した。
ずっと言えなくて、でも、どうしてもエースくんに言いたかったことがあった。
「あのさ、エースくん」
「あ?」
エースくんは、石段の端、高くてバランスの悪い塀を渡りながら、何ともなく返事をしてくれた。
「その……。勝手な言い分で、もしかすると余計なお世話なんだけど、さ」
「なんだよ?いいぞ、言ってくれて」
「エースくんのお母さんが送ってくれてるんだよね?あの、写真」
「……ああ」
ルフィの家の玄関先。コルクボードに張ってある沢山の、色んな場所の写真。わたしはあの写真が、いつも、少しずつ増えてることを知ってる。
それから、エースくんがアレを見るのを、あんまり好きじゃないことも。返事を一度も、向こうに送ったことがない事も。ルフィが、教えてくれた。
「時々でいいからさ、その、こっちからも写真とか送ったらどうかな。って」
「………」
「よ、余計なお世話だっていうのはわかるんだけど。でも、きっと、お母さん喜ぶよ」
それから、絶対に。お父さんだって、喜ぶはずだから。
「……」
「…ご、ごめん」
でも、エースくんは黙ってしまう。わたしは、そんな気分にさせてしまうことも分かっていただけに、やっと謝る事しか出来なかった。
家に帰り着いてから、わたしは黙々とお昼を作った。エースくんも手伝ってくれて、途中からサボさんも手を貸してくれたから、沢山作ったわりに大変ではなくて。三人で、静かに涼む時間があったくらい。
それから、ルフィとおじいちゃんが帰ってきてからは、凄く賑やかだった。エースくんも、わたしが言った事を聞かなかったことにしてくれたのか、普通に話してくれた。
お昼ごはんを目の前に、エースくんにルフィが叱られたりとか、ルフィとエースくんとサボくんでお昼の取り合いをしたり、おじいちゃんとその三人で竹を取りに行ったり。縁側に座って、スイカを食べたり。
おじいちゃんちで過ごす一日が、こんなに賑やかだった事はなかった。
スイカが、いつもより冷たくて、甘くて、美味しくて。夏の匂いが強くて、ひまわりがいつも以上に背が高く見えて。わたしの隣で、ルフィがあんまりにも勢い良くスイカを食べるもんだから、それが面白くて笑ってしまう。「まだあるから、ゆっくり食べなよ」と、言ったとき。
ぱしゃり。
軽い音が聞こえて、わたしは思わず顔を上げる。
「お前ら、ほんと姉弟みたいだな」
その目の前で、エースくんが、カメラを持って立っていた。
「お!なんだエース!どうしたんだよ、それ!」と、スイカもそこそこにカメラを触ろうとするルフィの頭に、エースくんが拳骨を落とした。「手ぇ洗って来い。壊れるだろうが!」ルフィは素直に分かった、と走るように水道へ行ってしまう。
「エースくん、それ」
「そ。青のじいちゃんの。くれるっつーから、貰う事にした」
「そっか」
エースくんは、わたしの隣に腰を下ろして、庭のほうを眺める。
「あっちは今、寒ィ国にいんだよ。間抜け面したオヤジとペンギンの写真が送ってきてよ」
かちゃ、かちゃ。と、カメラを両手で遊ばしながら、エースくんは「しょうがない」って顔をして笑った。
「オレ今、色々あってな。悩んでたんだが……。ここに来てよかった」
そっか。それなら、わたしもよかった。
「さっきは、ありがとな。あれ、お前に言われてちょっと反省した。今度、こっちからもなんか送ってやろうかと思ってる」
「うん」
「それからさ、青」
「ん?」
「あー……あのさ」
「うん」
「……オレも結構、お前に助けてもらってるなって、思ってよ。……そういうのも、ありがとうな」
ううん。それじゃあ、そこだけは。お互い様ってことにしとこうよ。
「こちらこそ、だよ」
……………20130823