>「あ!!そうだった!」
そんなハッとした声を上げるルフィは相変わらず、机の上の紙箱から目を離さない。わたしはそれを、円卓の向かい側で頬杖をして見てる。
机の上に置かれたケータイに表示されてる、「ナミ」という女の子の名前。
『馬鹿っ!どーすんの?!もう、みんな集まってんのよ』
「ナミ」ちゃんは凄く怒っているのに、ルフィときたら生返事ばかり。
父さんやエースくんや、ガープさんでも操縦しづらいルフィ。それは、どうやら誰に対しても一緒らしい。
「どーするっつてもなぁ……」
あんまりにも彼女が不憫なので、ルフィの目の前から土俵の書いてあるそのハコを取り上げた。
「ルフィ、取り合えずカブトムシは置いておいたら?」
「……」
そんな恨めしそうな顔しないでよ、高校生。

昨日の夜、おじいちゃんとルフィが森へ仕掛けに行った「エサ」。今朝、まんまとそれに沢山のカブトやクワガタが掛かってた、とルフィは大喜びで帰ってきた。
お昼ごはんもそこそこに、一生懸命カブト相撲をしていたルフィの携帯が、鳴っているのに気付いたのはわたし。
ルフィがスピーカーモードで取った電話口からの第一声は「起きなさい!!!」っていう、大声だった。
「だってよ〜。今オレ、家にいねーんだもん」
だねぇ。と、わたしは苦笑する。ルフィはスピーカーモードのまま、机の携帯と話し続けた。
『はぁ?!じゃあ、アンタ今どこにいるの?!』
「青のじいちゃんち」
『……。呆れた』
もっともです。
話は良く分らないけど、今日ルフィは、何人かの友達と約束があったらしい。それから、この電話の向こうの「ナミ」ちゃんを、たぶん、わたしは知ってる。
『じゃあもう、あんた置いてくわよ!さっさと連絡しときなさいよ。バカ』
「えー!!ナミ、ちょっとま……あーあ……」
ルフィが何かを言う前に、電話はプツっと切れてしまった。
「バカだねー。ルフィ」
「るせー」
「どこに行くんだろうね?」
「場所とかは知らね。ビビってやつの別荘に行くことになっててよ。すっかり忘れてた」
べ、別荘!
ルフィ、それって実は結構すごい約束をすっぽかしちゃったんじゃないの?!
「よ、よかったの?」
「よくねーよ」
不機嫌な声が、耳に刺さる。意地悪く聞きすぎました、ごめんなさい。
少し話をそらすために、えーと、と苦し紛れの話題を探す。
「今の声が、ルフィの友達のナミちゃん?」
「そうだ。怒るとコエーってやつ」
怒らせちゃってるルフィが悪いんだから、そんな言い方はあんまりだと思うけど。それは、置いといて。ルフィもすごく、今日のその約束を楽しみにしてたのはよく分った。ふてくされた顔に、大きく「しまった」とか「うわー」とか書かれてる。
「カブト返せよ」と、また相撲を始めてみても、その顔は晴れそうにない。こんなところを見せられると、「アンタが悪いんでしょ」と言えないのがわたしだ。
でも、どうにかしてあげたいけど、どうにも出来ない。いや、どうにかしてあげなくてもいいんだけど、なんか、わたしまでモヤモヤしてしまう。
「青?」
うんうん、と悩んでいたわたしを、奥の部屋から出てきたおじいちゃんが呼ぶ。
「なに?」
「ほら。携帯が鳴ってたぞ」
今朝から見ないな、と思ってたら、どこかに置き忘れてたらしい。ありがとう、とおじいちゃんから受け取って、わたしは携帯をぽちぽちといじる。そろそろ父さんが来る日が近いから、何かそのことでメールかもしれないと思って。
でも、そのメールの表示には、少し意外な名前がのっていた。
「ところで、ルフィくんはどうかしたのかね?」
おじいちゃんが見ても分りやすいほど、まだふてくされたまま。
「なんか、今日予定があったの忘れてたんだって」
むすっとしたままのルフィの代わりに、わたしが答えた。
「海……」
ぼそっ、とルフィが呟く。
「海?」
「海に行く予定だった」
「ああ、なるほど」
それで、そこまで楽しみにしていて。そうだから、そんなに落ち込んでるわけ。
わたしが無言でおじいちゃんを見上げると、おじいちゃんも、同じことを考えている顔をしてた。
「ルフィ、ほんっとうに海が好きだね」
わたしが思わずそう呟けば、ルフィが少しだけ、にっこりと笑う。その顔が、好き、と音にならない返事をした。
「じゃあ、行こうか。海」
「え!」
いいよね、おじいちゃん。と、聞けば、やっぱり頷く返事が返ってくる。
「今から行くと、帰りすごく遅くなっちゃうかも……。おじいちゃん、晩御飯は一人になっちゃうけど」
「気にするな。久しぶりに、シャッキーのところで食べるさ」
そんな風に話を進めるわたしとおじいちゃんを、唖然と見続けてくるルフィが面白い。
行くの、行かないの、と見詰め返すと、ルフィは飛び上がるように立ち上がった。
「海!!いいのか?!」
「水着ある?」
「ある!」
「次の海浜公園行きの電車まで、そんなに時間ないよ。すぐに用意できる?」
「できる!」
ルフィの返事は簡潔で、元気が良くて、わくわくしているのがわたしにまで伝染する。まるで、小学生の引率をする気持ちになって、少し恥ずかしい。
おじいちゃんは、そんなわたしたちを後ろから眺めて、喉を鳴らして笑った。

***

海浜公園行きの電車に乗って、二時間ほど。ルフィに腕を引っ張られ、かと思えば海を見た途端に走り出され、わたしは一人その後を追いかけて。というちょっとしたゴタゴタがあったけれど、久しぶりに海の近くまで来ることが出来た。
流石、そこそこ有名なビーチなだけあって、人も多い。そんな中をフラフラ、やっとの思いでルフィを追いかける。本当はほっといても良いのかもしれないんだけど、海を見た途端カバンまで放って走り出しちゃったから、とにかくこれは渡してしまわないと。
おじいちゃんのアドバイスで、ルフィもわたしも少しだけ荷物が大きくなったから、それを二つも運ぶのは流石に疲れる。なにより、暑い。一息ついて、また歩き出そうとしたとき。目の前にルフィが立っていた。
「おせぇ!」
先にさっさと行っちゃったくせに、何言ってんの。っていうのは、喉の奥に引っ掛けておく。たぶん、顔には出たかもしれないけど。
ルフィはわたしの分の荷物まで持って、私の腕を引いて、まるで目的の場所があるみたいにずんずん進んでいく。わたしもひたすら進むしかない。とにかく、ルフィの足に自分のつま先を当てないように注意しながら。
(優しくなったなぁ)そう、自然に考えている自分がいて、少し驚いた。
昔は、こんな風に腕を引いてくれることも、荷物を持ってくれる事も、なくて。こんな風に、人の多い場所で一緒に遊ぶ事も、本当に少なかった。
私の狭い世界には、ルフィの部屋か、わたしの部屋ほどの大きさだけがあればよくて、後は時々会う人たちと、時々の少しの会話だけで見渡す限りが満杯だったから。
「青」
「ん?」
「大丈夫か?」
何が、と聞く前に、ルフィはわたしの方を少しだけ振り返った。ちょっとだけ、その不安そうな顔が見える。
「もしかして、お前無理して着いて来たんじゃねーのか?オレ、こんなに人が多いと思ってなかった」
「ああ、そういうこと。ぜんぜん。ちっとも、平気」
だってこうして、手を引いてくれるルフィがいるのに、何が不安になったりするだろう。元々心配性じゃないルフィの、こういう「ところ」を作ってしまったのは自分なんだというのが分っているから、少し申し訳なくて。
思わず、「ごめんね」と、呟いてしまっていた。声になっていたことにハッとして、口をつぐんでも一息遅くて。ぴたり、とルフィが足を止める。
「なにが?」
「え、えと。」
素直にワケを話すなんて、できるはずがない。
ルフィを心配性にしちゃって、ごめんね。なんて、思い上がりもいいところだし、せっかく楽しく遊びに来た今、いらない一言だというのは分りきっている。
だから、もっと、なにかいい言葉があるはずなのに、上手く思いつけなくてもどかしい。火を噴きそうな頭で必死に考えて、そうしてやっと、声が出た。
「あ、」
「あ?」
しかめた顔に圧されながら、わたしはなんとか一言振り絞る。
「ありがとう」
この頃になってからわたしは、どれだけ沢山の、前向きな言葉を考えてるだろう?
「心配してくれて、ありがと」
「おう!」
その「ありがとう」という言葉ならいい、とでも言うように、ルフィは大きく頷いてくれた。そうして、面白い事でもあったときみたいに、ししし、と歯を見せて笑う。
「なんで笑うの」と、聞けば「嬉しいからに決まってんだろ!」だって。
わたしもつられて少し笑って、ルフィの隣を並んで歩いた。相変わらず手は繋いだままで、これじゃあ、ビーチを歩いてるカップルと変わりないんじゃないかな、と気付いたりもしたけど。でも、ルフィが気にしない事を、わたしが気にするにも少し変に思えてそのままにしておいた。別に、ルフィとわたしじゃこんなの、兄弟が手を繋ぐのとそうそう変わりない。
ちらっとルフィの顔を覗くと、やっぱりその顔はいつも通り。でもいつもより、その目がきらきら輝いてるように思えなくもない。真っ赤なパーカーが良く似合う。どこかに出かけるときには、絶対にいつもその麦藁帽子。
「かっこいいんだから、まったく」
そう呟いたわたしの、その声は絶対にルフィには聞こえなかったはず。
「ん?」
と聞き返す、ルフィの後ろには海があって、お日様があって。まるでやっぱり、こんなのは、ヒーローの君にこそ良く似合うよ。

…………20130829

DODO