>夏休みが、半分以上過ぎた。
それはまあ、ルフィにとってはという意味で、オレにも青にも夏休みなんてものはない。強いて言えば、死に物狂いで手に入れたこの数日が『夏休み』になる。
ルーのやつが言っていたことを思い出して、肩の荷が重い。この国の夏の休暇は、世界一短いんだそうだ。まったく、仕事が好きすぎるというのは、考えものだ。
休みを取って、飛ぶように車でやってきたのは当然、アイツの祖父の家だった。妻の、最後の場所。そう思えば、つい足を重くしてしまうオレも、青がこの時期にここにやってきてくれるお陰で、随分助けられていると思う。青がそこまで考えているかは分らないが、あれがこの場所を好きなことは知っている。
母を看取った場所だから、というのは寧ろ、青にとってこの場所へ向かわせる理由になるようだった。
毎日欠かさず、仏壇の掃除をして、花の手入れをするという。墓にも足繁く通っては、長い間そこにいるそうだ。オレはここに来ると、それを時々手伝ったりもするが、大抵は手を出さずに置く。
なんとなく、だが。青はこの仕事を、自分自身でしたいと思っているんじゃないだろうか。もう話すことがなくなった母親と、そうして話をしているようにも見えてしまう。だからオレは、妻と話すとき、出来るだけ青のいないときを選ぶ。例えば、今。
今年の夏、こっちには雨が少なかった。相変わらず、刺すような日差しが縁側に届く。仏壇のある奥の間にさえ、日差しに焼けた夏の匂いがむせ返っていた。
そこでオレは、手を合わせて、それから妻の写真を見続ける。
「久しぶりだな」
必ず、その言葉だけは、口にする。
後は言葉にも、声にもしないで、いろいろな事を考える。ありきたりな事から、ちょっとした報告まで。
青が大きくなったこと。今年から、青と暮らせるようになったこと。青に、少し友人が増えた事。青が元気にしていること。
殆ど娘のことばかりになってしまうのは、仕方がないだろう。自分のことで報告するようなことは、特別ない。
青のように、妻と長話をするほどの時間はかけない。オレには、やはり、そこには写真があるだけで、彼女がいるようにも思い込めないところがある。墓に行ったところで、そこにあるのは彼女だったものという、そんな気持ちにしかなれない。
もう二度と、会えないのだということが、ただ実感させられるのだ。あるいは、墓というのは、そういう場所なのかもしれない。
「父さん」
玄関の方だろうか。娘の声がして、オレは腰を上げた。
明日には家に戻るので、ルフィは今日、この夏捕まえた虫を山に帰しに行っている。
青も、レイさんもそれに付き添って出かけていた。
「もう戻ってきたのか?」
客間を通り、土間を渡り、廊下を通って玄関まで行く。相変わらず、この家の造りには苦笑しか出ない。
「わたしだけ。お昼作ろうと思って」
「オレが作っても良かったんだぞ?」
そうならそうと、一言言っておけばよかっただろうに。笑って呆れるオレに、青は少し眉を持ち上げた。
「疲れてそうだな、って思ったからなのに。いいよ、もう。じゃあ、手伝ってもらうから」
疲れてそう、だって?オレが?
だが勿論、そんな事を聞き返すのも野暮に思えて、オレは黙っておいた。ただ、そんなことを口にした記憶も、そういう素振りも見せていないはずだ。
「悪いんだけど父さん、土間から畑道具取ってきてくれる?わたし、ちょっと走ってシャッキーさんのところ行ってくるから」
少し距離があるが、行けないほどでもない。玄関の自転車にまたがって、青はそう言った。それを走らせれば、往復それほどかからないはずだ。
「わかった。けど、どうしてあの人のところに行くんだ?」
「エビ!」
えび。っていうのは多分、海老。
「貰いに行くのか」
「さっき、帰ってくる途中にあって。大ぶりのを沢山貰ったから、少し分けてくれるって」
「で、畑にってことは……天ぷらか?」
夏野菜と、海老の天ぷら。妻が好きだったもの。青は、オレがメニューを言い当てた事が嬉しかったようだ。忘れるはずがないだろ、と笑い返した。
「正解!じゃあ、行ってきます」
「気をつけろよ」
大きめの声で、自転車の背中に声をかける。ちりんちりん、とベルが返事を返した。
***
天ぷらが好きだった。そのくせ、まったく油モノの料理はしたがらない。オレは何度も、天ぷらを揚げるのを手伝った。油が跳ねるのが苦手なんだと。それから、あの高温の油がひっくり返るのを考えちまうと、もうその前には立てない、と言ってのける。
甲斐甲斐しく、サクサクの天ぷらを揚げてやるために、料理本を買ったことを思い出した。たった、そのページだけを読むオレと。本を買ってきたオレを、面白がる妻と。妻は時々、その本の中から他の料理を作っては振舞ってくれた。
ある日娘が、その本を見つけ出してきた。オレですら、どこにやったかわからなくなっていたものだ。揚げ物のページにやたら折り目があるというので、お前の母親の好物だった、とだけ教えてやった。
「父さん、ひっくり返していいんじゃない?」
切られた野菜を、衣に浸して、娘がオレにそれを渡す。それを受け取って、油に浸すのは、やっぱりオレの仕事だった。
「お前、天ぷら好きだよな」
なんとなく、油の中に浮かぶ野菜を見ながら、聞いてみる。ほんとうに意味もなく、ただ、会話もない時間っていうやつが、オレはどうにも苦手だ。
「え?そうでもないよ」
「は?」
あっさりと、はっきりと。少しは躊躇えよ、と思うほど早い返事だった。
「だって、油ものってなんか、おなか重くなるし。カロリー結構あるんだよ」
年寄りか、お前は。
青はボウルの中の白い衣に、海老をくぐらせる。
「じゃあまた、なんでわざわざ」
「うーん……。でもやっぱり、結構好きかも」
なんだ、それ。
「美味しいよね、父さんが揚げる天ぷら」
そう言って、小さく笑う娘に、オレは少し得意になる。それはつまりあれだ、オレが揚げた天ぷらが好きだって、そう思っていいんだろう。
「そりゃあ、そうだ」
お前の母さんのために、作ってたんだからな。
………20131006
天ぷらを食べてる父さんが嬉しそうだから、けっこう、好きかも。