>夏休みが終わって、ルフィは学校が始まった。エースくんの夏休みはもう少しだけ長いようだったけど、今年は最後まで海の家でのアルバイトをするらしい。来年からエースくんは大学三年で、だから、就活なんかが始まらないうちに、と考えてるのかもしれなかった。
わたしは、というと。
とうとう、受験も間近になって、毎日参考書と戦う日々を送っている。もう、何年もやっている一人勉強には慣れたけれど、どうしても、学校に通っている子達と比べたら遅れているように感じて仕方がない。どこかの模試を受けにいければ良いんだけど、精々、通信の模試が限界だった。行きたい大学も、なりたい職業も漠然としているし、こんなんで大学に行っても良いのかって思うわたしは、逃げてるだけ、かも。
父さんは、わたしがなりたいものや、行きたい場所について何も言ってこない。多分、自分で決めて頑張れって、ことだと思う。
助けて欲しいし、辛いなぁ、と思うけど、そう考えながら一日が終わってしまう事が何度か今までもあったけど。でも、終わってみれば、そういうのはただ、時間を潰しているだけで何の意味もないことに気付くだけで、後悔とか、辛い事が増える理由にしかならなかった。分ってても、辛くって、机に座ってても、なかなか問題を解き進められなくて。
頭の中は、「やるしかない」っていう答えしかないモヤモヤでパンクしそうだった。つまり、やりたくないし、やりたくない。
けど、それでも机に座って鉛筆を持っている、のは。後がない、と感じているからだった。
わたしはもう、人一倍休んできたし、人一倍やらなかったことが多いし、人一倍父さんに、死んでしまった母さんに、心配ばかりかけてきたから。だから、今度こそ頑張らなきゃ、と思ってる。
そう。休んでる暇も、わたしにはない。のに。
「だからよ。一日だけでいーんだって」
「ルフィ……わたしの話、きいてた?」
あーもーだめだー、化学の化の字も見たくない!と、鉛筆を机に投げたとき、玄関からインターフォンの音がした。
正直、出るかでないかは少しだけ迷った。勉強しなきゃいけないことは分ってて、一度席を立ったら、二度と席につける気がしなかった。でもそれは、ほんの一瞬悩んだだけ。
はーい、と返事をして覗き穴を見れば、予想通りの顔が覗き穴を覗き込んでいた。それは言うまでもなく、こうしてわたしの家でココアを飲んでいるルフィだった、というわけ。
「わたしこれでも、受験生なんだけど。一日でも惜しい、受験生なんだけど」
ただし、「一日でも惜しい」っていう自分の嘘には、胸が痛んだ気がした。少しだけ。
「おう!だから、一日だけだって。お前、オレの話わかってんのか?」
「少なくとも、いま、すっごく噛み合ってないことだけは分った」
ルフィの中でその「一日」はすごく大事で、わたしの一日の勉強なんかよりも優先順位が上なんだろう。
実は、ルフィと会うのは結構久しぶりだった。夏休みが終わって直ぐ、わたしが受験生で、これからルフィの勉強を見れなくなるという話もした。ルフィはそれを分ってくれたし、そのことはガープさんやエースくんも念を押したらしい。
「一日だって、大事なんだよ」
多分、きっと、そう。
だって、一日やらないだけで単語なんて直ぐに覚える量が増えるし、化学の公式は相変わらずわたしの頭の中には入ってこないし、安全パイなのは地理と生物と国語くらいで、数学も英語もまだまだ全く追いついてない。
そう考えるとやっぱり、たった一日、されど24時間。
「わかった!」
そうキリッとした顔をして見せたって、わたしにはそんな君以上に分ってる。絶対に分かってないって事が、長い付き合いで、嫌と言うほど。
「……分かってないでしょ」
力なく溜息が漏れるわたしの様子なんて、この「もーど」のルフィには見えちゃいないってことも。分ってる。「エースも一緒に行く!だから、なっ?」
ぴくり。
エース、君の一文字に反応してしまった自分が憎かった。ただ、猪モードのルフィじゃ気付かなかっただろう。わたしはそれを誤魔化すように、一言で切り捨てる。
「いかない」
ルフィはムッとした顔をして、わたしを睨んだ。
「第一なんで、エースくんが行くのとわたしが行くの結びつけるの」
こんなにしつこく誘ってくるんだから、一日くらい、という気持ちもすっかり萎えてしまった。エースくんが行くなら、なお更、わたしは行けない。エースくんに会うと、わたしの中の気持ちがグラついてしまう。そうでなくても、夏休みの時のことも、わたしの頭の中から出て行かないのだ。エースくんのことは、好きだけど。もう、好きじゃいけなくて。なんとなく、憧れのお兄さんだったんだと言い聞かせていても、会ってしまえば。あの、笑った顔だとか、起こった顔だとか、困った顔だとか、そういうのを見てしまうと、どうしようもないくらい、胸が痛い。
そんなわたしの気持ちなんて露知らず、ルフィはしゃあしゃあと言ってのける。
「だってお前、エースの事好きじゃんか」
「そ、それは……関係ない」
「なんだそれ。最近お前、変だぞ」
わたしのベッドの上にあぐらをかいて、ルフィはやっぱり、怒ってるように言った。
でも、怒りたいのはわたしのほうだった。人の気も知らないくせに、好きで好きでどうしようもなくて辛くて泣いた経験もなさそうなやつに、その上、変とまで言われたんだから。わたしの血液はかぁっといっぺんに、頭の方まで上りきった。
「変ってなに?!」
「変は、変だ!エースの話しもしなくなったし、なんか、とにかく、最近お前絶対おかしいぞ!」
「適当に、そんなこと言わないで!なんなの?わ、わたしはただ、もう、失敗したく、ないの……っ!」
息が詰まって、鼻の奥がツンとして、それでも涙を堪えた。
失敗したくない、とか。ルフィにとっては関係ないことなのに、口を付いて出ていく。今話すことでも、誰かに言う事でもないのに、そんなことは冷静に考えられなかった。
「意味わかんねェ!泣くなよ、別にオレ泣かすようなこと言ってねェぞ!」
「言った!ル、ルフィにとってはなんとなくかもしれないけど、わ、わたしにとって、は」
言葉を出せるのは、そこまで。
あとはもう、言葉の代わりに嗚咽と涙しか出てこない。
わたしは変じゃないって、それだけ、言いたかった。わたしは確かに、普通に学校に行ってる子たちとは違うし、出来る事も少ないし、エースくんのことがまだ好きなのかもしれないけど。でも、変じゃない。変じゃないよね。
そうだわたしはもう、とにかく。自分には後がないことが分っていて、何度も失敗してるから、次が来るのが怖くて。また、上手くいかないんじゃないかって、不安で不安で仕方がなくて。ここ最近、父さん以外とは滅多に会わなかったから、ずっとそんなことばっかり考えてた気がする。
少し泣いたからか、そうやってだいぶ頭が冷静になって、涙も止まりかけたとき。
「わぶっ!」
わたしの顔に思いっきり、ティッシュの塊が押し付けられた。容赦なく、ぐりぐりと。それは当然、ルフィだった。
「な、なに?」
「きたねーもん。拭けよそれで。あと、よくわかんねーけど、ごめん」
「き、汚いって。……どうも」
ルフィには、変なことを言ってしまったなぁっていうのが申し訳なくて。わたしは大人しく、ティッシュの塊を受け取って涙と鼻水を拭いた。
ただ、遊びに誘ってくれてるだけなのに。さっきまでの自分を、頭の中でビンタした。
「でもお前やっぱ、変だ」
「まだ言うかっ!」
がばッと顔を上げれば、今度はその顔が笑って言う。
「エースのこと、諦めんのか?」
「なっ」
何を言ってるの、とか。なんでそんな事わかるの、とか。
ただ、そんなことを聞かなくても、わたしは俯くしかなかった。わたしが、ルフィの考えてることが分っちゃうときがあるのと同じように、ルフィもきっとそうなんだと思う。
ルフィからすればあからさま過ぎたくらいかも。なにせ、わたしは本当にちっとも、エースくんの話を自分からはしなくなってたから。
「……そーだよ」
やっと小さく、そう答えるしかなかった。
「なんでだよ?」
「なんでって……。ルフィだって、ずっと、ありえないって言ってたよね」
「なんでオレのせいにすんだ。お前のことだろ」
それはまあ、ごもっとも。
「諦めんなよ」
ルフィが、言った。
わたしは、心臓が跳ねるほど驚いた。それは、ルフィがそんなことを言ったのが珍しかったから、もしかすると初めてのことだったから、とも違う気がした。
「な、なんで……」
「オレのせいだっつーなら、おめェ、諦めんな」
ルフィのせいじゃないよ。とは、言えなかった。
とても真剣な顔に、ずいずいと迫られる。どうにもルフィの押しにいまいち弱いわたしには、これほど効く攻撃もないわけで。今まで一度だって、背中を押してくれたことなんてなかったのに。
「それから、ぜってー、文化祭にも来い!」
「え?」
どさくさにまぎれて、約束を押し通されそうになったわたしも、我に帰る一言だった。
「なんだよ、その顔」
「ぶ、文化祭?遊びに行くんじゃないの?」
は?だから、文化祭に遊びに行くんだろ。って、そんな馬鹿を見る目をされる覚えはないですけどね!
「今度あんだよ、文化祭。で、お前連れてくるって約束しちまったから」
「勝手に?!」
「一日だけだから!な?」
泣いたり、変なことを言われたり。そんなやり取りに疲れきって、わたしはとうとう頷いた。

「でも、暇なわけじゃないから!」

そう、決して、暇なわけでは。
ニコニコと笑ってるルフィには、いまいち、効果はなく。その言い訳が、わたし自身に対するものだなんてこと、わたしがよく分ってた。


………20131130
この物語はフィクションです。受験生の皆さんは、こんな押しには負けず頑張って下さい!

DODO