>普段は流石に学校には連れていってもらえない麦わら帽子を、ルフィは学園祭の今日だけはつけていて。わたしは、ルフィと顔が合いそうになる度に、その麦わら帽子の赤いリボンを見つめた。
結局、サンジ君のライブを見に行っても、その後食券を全部食料に変えても、ルフィはいつも通り。
さっきのことが、わたしの勘違いだったみたいに、ルフィは何も言わなかった。それを不満、だと言ったら少し違うんだと思う。だけど、忘れろって言われても、きっとわたしは困るし、少し腹が立つかもしれない。
だから、わたしからは何も聞いてやらないことにした。それは、わたしに掘り返すだけの勇気が無いのと同じくらい、固い決心だった。
それに、やっぱり何処かへ行ってしまったエース君のことも気になる。
どこにいっちゃったんだろう。
いくら人の多いマンモス校と呼ばれるこの学校だって、食べ物がありそうな場所や、エースくんやルフィがいそうな場所は限られてるっていうのに。
「エースくん、帰っちゃったかなぁ?」
「そーかもな」
ルフィは、適当な返事を返しながら、その首から下げたガマ口のお財布を覗いていた。
げろんちょ、とその口をどれだけ広げても、どうせほとんどのお金なんて残ってないのをわたしは知ってる。言うまでもなく、そのほとんどが形を変えてルフィのお腹のなかに収まってるんだから。
それなのに、ぐううっ、と空腹の時にしか鳴らないはずの音が聞こえて、わたしは視線を反らした。ルフィのお腹に同情することは、財布の中身を溝に捨てるのとだって意味が変わらないことは言うまでもない。
ルフィの懇願するような眼差しから逃げるために反らした目線。すると、少しだけ回りの空気が変わったのに気がついてしまう。
そっと、その空気の理由を探ってみると、前の方から物々しい面々が、簡単に言うならガラの悪そうな人たちが廊下に広がるように歩いてくるのが見える。まるで大名行列へ頭を下げるように道を譲る生徒たちに、あぁ。あれは関わったら駄目なものなんだ、と察するには十分な時間があった。
ふと、廊下の両脇には気軽に入れそうなお店もない。あからさまに避けても、なんだか先を恐ろしい想像が廻るので、わたしがそっと道の隅っこを行こうとしたとき。ルフィのことを忘れていたと気付くのに、少し遅れてしまった。
「ルフィ、」
「うおっ」
精一杯の小声だけ。でも、たしなめるように力一杯その腕を引いて同じように道の脇にズレさせたかった。
だからわたしの全身で、その腕を引いたはず。でも、ルフィは少し声をあげただけでびくともしなくて。そんな少しの間に、その人たちとの距離は縮まっていたらしい。
わたしは、見てしまった。ルフィとぶつかってしまうその手前、その中の一人がルフィに向かって大きく腕を振ったのを。
「いてぇ!何すんだよ、おめぇら!」
ルフィのあげた声を聞きながら、わたしは目を丸くして固まるしかなかった。
本当にそう。
どうして、少しだけ避けてくれないんだろう。どうして、わざと腕をぶつけてくるの。
「は?おれだって痛かったから」そう、腕をぶつけてきた一人が言った。本当に瞬きをするほどの間に、その人たちにルフィとわたしは取り囲まれてしまう。
ぶつかったのなんてお互い様だろ、と。むしろ二人で手を繋いで仲良く歩いてる方が道の邪魔なんだ、と。
仲良く男どうして肩を並べてイチャイチャしていた人に言われたくないけれど、わたしは、言うだけ言って飽きてくれればいいという気持ちだった。まだ、我慢できた。
もちろん食って掛かりそうなルフィの腕だけは放さないように一生懸命で、それどころじゃなかったのかもしれない。
「おまえ、二年のバカ猿だろ」
でも、その人たちの、その言葉は聞き逃さなかった。猿にも彼女なんているんだな、なんて言葉も聞こえる。
「なに言ってんだ?青は友達だぞ」
「はぁ?」という顔をしたひとたちが、わたしを見た。そして、笑って「分けわかんねぇ。きめぇ」なんて言う。
そしてそのひとたちは、ルフィの麦わら帽子を掴んで廊下に落としてしまった。
ルフィがとっさに帽子を庇えなかったのはわたしのせい。
ルフィの腕を固く握っていたから。でももえそれは、ルフィを止めるために握ってるのとは少し違ってた。さぁっと血の気が下がるわたしの手を、ルフィの腕で温めるために強く握っていたんだと思う。
だって、色んなことを考えて頭の中かが真っ白だった。ルフィのことを悪く言われたのもそう。道を分けてくれなかったのもそう。腕をあげてきたのも、わざわざからかうような話し方をするのも。帽子を落としたのだって、そう。
何でそんなことするんだろう。ルフィはとっても優しいのに。そんなこと、されるような所なんてないのに。
理不尽に、泣けてきそうだった。俯いてひたすら手を握りしめるわたしに気付いたのはルフィで、覗き込まれる。回りを囲むその人たちが、泣いてるのかと冷やかしてきたけれど、それはどうでもよかった。
「青?」
ルフィ。わたしたちって、なんだか時々どうしてもいきづらいよね。
まるで、こんな些細なことがそれを忘れさせてくれないことが、悲しかった。
わたしは、ルフィの麦わら帽子を拾おうと手を伸ばす。とっさに帽子を踏みつけて邪魔をしようとした足より早く、拾い上げることができたのは道場で鍛えてるからかも知れなかった。
ダンッと、廊下に空ぶった足はさぞ打ち付けた痛みがあっただろう。わたしは気にも止めずに、その人たちの隙間を通り抜けようとルフィの腕を引く。
ルフィは黙って、それにされるがままになってくれた。
わたしが当たり前のように強引にすり抜けようとしたからか、唖然としているその人たち。ハッとしてわたしの腕をつかんだときには、もうルフィもわたしもその人たちに囲まれてはいなかった。
「無視すんなよ!」
どんなに力強く握られても、わたしがそれを振り払えるとは思わなかったんだろう。でも、わたしはこれでも先生から真面目に身を守る方法を習ってきた。
するり、と腕抜けをするのは簡単だった。
本当に、びっくりするほど簡単で。そして、足早にその人たちから離れながら、わたしはどこかスッとした気持ちがしてた。
ああ、そうなんだって、わたしは何となく気がついた。
昔はなんでも、目の前にくれば立ち向かわなきゃって思ってた。絶対に逃げちゃ駄目なんだって思ってた。そしていつの間にか、どうしようもないくらいの壁で囲まれてて、息をするのも苦しくてたまらなくて。でも、そうなんだね。無理だと思ったら避けて通っても良かったんだ。昔はそれが出来なかったけど、今ならわたしちゃんと出来るようになれてる。
「青」
今度こそ、わたしの名前を読んだのはあの人たちでも、ルフィでもなかった。
今までどこに行ってたんだろう。エースくんが、廊下のすみ、わたしの目の前に立っていた。困ったように笑ってるようだったし、少しイタズラっぽい顔で笑って見せてくれてるみたいだった。
その顔を見て、すぐにわかる。エースくんは、私たちのことを見ていたんだってこと。
「エース見てたか?青がスルッてこっちにきたときのアイツらの顔!」
ルフィは面白そうにそう言う。
「おう。まぁ、助けるまでもなくて笑っちまった。それにあいつ、自分で足を出して引っ込みがつかなくなった時の顔ときたら、よ」
こうだそ、こう。と、変顔をして見せるエースくん。そして、ルフィがそれを見て大笑いする。少しだけすれ違った人たちも、その顔を見て笑ってる。
ふっ、と。二人の笑い声が止まって、じっとわたしのことを見つめてるのが分かった。わたしのこと、心配してるときの二人の顔は本当にそっくりで笑ってしまう。
「ちょっとだけ、スッキリしたね」
わたしがそういうと、二人の腕がわたしのことをぎゅっと抱き締めてくれた。
まわりに人もいたから、すぐに離れてしまったけど、二人の言いたいことはちゃんと伝わった。
わたしのことを、凄いって誉めてくれたんだと思う。それは、あの人たちに立ち向かった事じゃなくて、自分でしっかり歩いて逃げられたこと。
今まで、無理だなって思わされては、そこで立ち止まって動けなかったわたし。けれど、逃げ方を教えてくれた二人に、逃げられるようになったところを見せられて本当によかった。まだまだきっと、二人が居てくれなきゃ駄目なわたしだけど、たぶん少しづつ変わっていける。二人が居てくれれば、ルフィの背中があって、どこかでエースくんが見てくれているなら、大丈夫。
「ルフィ、帽子返すね」
お父さんの魔法の帽子を持ってたから、きっとわたしはあの場所からここまでこれたんだ。
***
文化祭からの帰り道、わたしとエースくんは二人で歩いていた。
ルフィは後夜祭があったり、後片付けがあったりで学校に残ってる。
「疲れたか?」
エースくんが、そう聞いてくれた。
「少し。こんなに外に出たのも、賑やかだったのも、久しぶりな気がするよ」
「そっか。でも、なんか思ったより全然大丈夫そうで安心した」
きっと、学校にくる前のわたしのことを思い出してるんだと思う。わたしも、朝よりもずっと気分がよかった。
上手くいかない日もたくさんあるけど、今日がそんな日じゃなくて本当に嬉しかった。
「あのさぁ、青」
エースくんが、少しだけ先をいく。その背中を見せたまま、わたしを呼んだ。
「うん」
わたしはまだ、エースくんに名前を呼ばれると少しくすぐったい。この気持ちは、他の誰にも湧いてこない。
夕陽が綺麗で、そんな中にいま二人きりなんだってことが特別なことのような気がした。
「ルフィからなんか聞いてるか?」
「えっ?」
ルフィ。
ぶわっ、と思い出す。忘れてた訳じゃないけど、はっきり思い出さないように必死で他のことで反らしていたこと。
ルフィとキスしたこと。
なんだろう。顔がすごく熱い。あのときは、もっとこんなじゃなかったのに。こんな風にじわじわとどきどきする感じじゃなくて、もっと驚いて恥ずかしいってそれだけだった。エースくんが、振り返らずにいてくれて少しだけほっとする。
「青?」
「え。……ううん。なんのことか、わからないけど」
「じゃあ、あいつちゃんと黙ってたんだな」
エースくんは、とんとん、と歩く早さを変えないままで、でも大きく息を吐き出したのが分かった。
なんだろう。わたしは、エースくんが何を言いたいのか分からないけど、これから何かを聞くのが怖くなった。できれば、聞きたくない、と耳を塞ぎたい。
ルフィがなにを隠してたのかを、知りたくない。
でも、そんなわたしのことなんて、前をいくエースくんは気付いてくれないんだ。
「おれ、来年からおふくろ達の所に行くことにした」
たぶん、こっちには戻ってこない。
そこまで聞いて、わたしは色んなことを納得してしまった。
エースくんが悩んでたことは、きっとこの事だった。ルフィが無理矢理わたしを文化祭に誘ったのも、きっと関係があることだった。ルフィは、エースくんが遠くへ行ってしまうことを一人でずっと抱えていたんだね。
立ち止まったわたしに、エースくんは気付かない。ただ、涙が止まらなくて、でもこれは何のための涙なのかも分からなかった。
ふと、振り返ったエースくんは、少しだけ遠いその場所で、泣いてるわたしを見て驚く。でもわたしのところまで来てくれたりはしなかった。ただ、困ったように笑って、手招きをする。
とぼとぼ、とエースに近付くと、エースくんの手がわたしの涙を乱暴に拭った。
「泣くなよ」
そんなの無理だよ、エースくん。
「泣くな」
ああ、でも。
こんなことが、昔あったのを覚えてくれてるだろうか。あのとき、わたしはあなたを好きになったんだよ。
ほんとうに、大好きなんだよ。
…………20150923