>たぶん、ピアノを習っていたらしい、わたしの指。は、すらすらと、曲名すら分らない音色を奏でた。でも、この曲しか弾けなかった。すっかり、指が記憶している楽譜はこの曲だけで、もともと、この曲だけしか弾けないのかもしれなかった。
とりあえず。
いきなり鳴り始めたピアノに、ズカズカと近付いてきたのは、一番若いダンテくんだった。そしてあろうことか、その全力の力をもってして、いきなりピアノの蓋を閉めたのだ。わたしが、彼の考えている事が少しでも読めなければ、きっと今頃、指は掌とオサラバしていただろう。ゾッとする。
"Don't touch"
へーへー。すみませんね。
わたしが座っているとは分っていても、その目には映らない。だからなのか、ただ単に視線をやりたくもないのか、ダンテくんは余所を向いたまま、そう言った。
威圧だけはいっちょまえだが、それなりに生きてるおねーさんを黙らせるのには、まだまだ経験不足というやつだ。ちっとも怖くない。
ちょっとびっくりしたけど。それは、怖かったからじゃない。いや、ほんとに。
とにもかくにも。話は順を追っていくべきだと思う。まずは、わたし達がいるちょっと不思議な空間の前に、どうしてこうなってしまったかを答えるべきだろう。
それはいつも通りの、デビルメイクライの一日の始まりからだった。
***
今朝方、グランドピアノが届けられた。
送り主は不明だったけど、そういうことは良くあるらしい。彼らの仕事上、悪魔がらみの案件だった。
"It's an obstruction to traffic!"
ダンテ君がそう言って、ピアノの足を蹴飛ばしたのと、わたしがその椅子にそそくさと座ったのは同時だった。確かに、弾けもしないひとには、場所をとる邪魔者でしかないかもしれない。
でも、その漆黒が視界に入った時から、わたしにはそれを打鍵できる確信があった。
「弾けるのか?」
バージルさんが、何気なく聞いてくる。私は、たぶん、と頷いた。
ピアノの蓋を開け、赤いフェルトのカバーを畳む。鍵盤は、手垢一つないほど綺麗だった。
がちゃん、と電話の音がした。
このピアノの包装を解き終えた今の今まで、渋い髭を生やしたダンテさんと、私と同じくらいの年のダンテが、このピアノの出先を調べていた、らしい。
「何か分ったのか?」
バージルさんが、髭のダンテさんに聞く。彼は、肩をすくめて、笑った。
「良くある話だ。呪われた、ピアノだってよ」
どう呪われてるって言うんだろう。こんなに、綺麗なのに。ただ、わたしが触って無害なのは、わたしがハザマの人間だからかもしれない。
「蓋が開かない、とか。そのくせ、夜中に鳴きだすとか。人を食うとか。ま、そんなところだ」
「ふたなら、開いたけどね」
わたしがそう言えば、ネロくんとバージルさんがこちらを見る。「そういえば」という顔だった。
「誰が開けたんだ?」
髭のダンテさんは、ネロくんのほうを見る。ネロ君はバージルさんを見て、バージルさんはわたしを見た。そして、ダンテさんも私のほうに、ピアノの、誰も座っていない椅子を見て頷く。
「青か」
察しが良いのは、説明要らずで助かる。ちなみにこのダンテさん、一番に勘が鈍い。この人は、わたしを見ることはもちろん、感覚で知ることも、声を聞くことも、存在しているという事を認知する事ができない。
ネロくん曰く、おっさんだという髭ダンテさん。でも、まさかそんな残念な響きの人じゃない。私の目はよく『見える』方だけど、ダンテ四人衆の中で、一番力のある人だと思う。言い方を変えれば、脂がのってる、とでも言うんだろうか。そうそう。私の目の話は、また今度、ということで。
この目は、わたしが「ここにいる」事とは、また別の問題だから。話は後でも十分だ。
からんからん。ふと、玄関扉の音が聞こえた。
髭ダンテさんと別の方法で、郵送した会社の足を洗っていたダンテが帰って来た音だった。彼は、話によると、ダンテくんよりいくつか上で、髭ダンテさんよりいくつか下、らしい。年も近そうなので、呼び捨てている。どうせ、本人には聞こえない。
「で?アンタのほうはどうだったんだ?」
ダンテに、ネロくんが聞いた。
「どうもこうも、結局足はつかなかった。どうやら、遠路はるばるやってきた、っていうことくらいだな。粋な客もいたもんだ」
全くだ。と、わたしが頷くと、ネロくんは顔をしかめた。他人事だと思いやがって、らしい。他人事ですから。その、一瞬の隙だった。"Hey,let me play this" そう言って、ダンテがわたしの座っている場所に腰を下ろそうとしてしまった。そう、これは不可抗力。
「いっでえええええええ!!!!!!」
「あ、ごめん」
ダンテの手がわたしに触れた途端、彼は床の上にのた打ち回るほどの叫び声を上げた。
そう、このダンテ。わたしを見ることはできないけれど、触れる事はできる。ただし、触れた瞬間に、そこから走る痛みは、リベリオンの攻撃の比ではない、とか。あ。リベリオン、というのは、彼、もといダンテたちの武器である。
「青!!」
痛みのせいか、物凄い形相で睨まれるが、私には肩をすくめる事しかできない。その、ダンテの滑稽な一人芝居に、大声を上げて笑うのはダンテ君一人。
いやぁ、悪気がないだけに、謝る気持ちにも心がこもらない。わたしのそんな軽い様子を、ネロ君が笑いを堪えて見ていた。
「ネロ!青が座ってんなら、そう教えてくれてもいいだろ!」
ダンテは、眉間にしわを寄せて噛み付いた。
とばっちりのように噛み付かれたネロ君は、肩をすくめて「そんな暇があったか?」と言う。そして、とうとう笑った。
「ごめんねー。ダンテ」
わたしがそう言うと、ネロ君がそれを通訳する。「青がごめん、だって」
「どんな顔でいってんのか、拝めないのがムカつくぜ」
ダンテが顔を顰めるので、ネロ君が今度はわたしの顔を説明しようと口を開く。のを、全力で、首を振って阻止した。
へらへら笑いながら、悪びれなく謝ってる。なんて説明をされた暁には、リベリオンで両断されかねない。つまり、このダンテは、私に触る事もできるので、攻撃を与える事だって出来るのだ。一度、重い花瓶を頭にぶつけられたときは、目の前に火花が散ったもんだ。
Plink...
一瞬、ピアノの音が聞こえた。勿論、わたしは指を置いていない。
「あっ」と気付いた次の瞬間には、ピアノの漆黒に体が吸い寄せられていて、わたしはそのまま意識を失った。
………20131030