>[ロ]
一瞬、背筋が凍ったと思った。その固まりは、枯れ葉が布団のように敷かれたその場所で蹲っていたから。でも、よく見るとちゃんと生きている様子で安心する。あまり関わらない方がいいのは分かっていた。どれ程悩んだろうか。とにかく、悩みに悩んで、わたしはその人に声をかけた。
「十四松さん」
「んあ?」
なんであんたはこんなところにいるんだ。と、とにかく何度も心のなかでツッコミ、抱えたくなる頭を抱えて十四松さんの隣にしゃがみこむ。
同じようにしゃがんでいた十四松さんは、口をかぽんと空けたまま私の方を見ていた。
「えーと、えーと。あ、この前の!」
「ええ、この前ぶり。です」
そして、この前のあれが最初で最後のつもりだったんですが。とは、さすがに言わずに黙りこむ。
「こんなとこで何してんの?」
こんなところで。と、わたしは辺りを見渡した。雑木林だ。しかも、ただの雑木林ではない。
「えー?出られなくなったんだよね」
「そりゃ、そうでしょーよ」
樹海だぞ、ここは。
人がせっかく人生の最後を探す散策をしているときに、一人で今後のことについて絶望してるときに知り合いとまではいかないも、顔見知りに会う空しさがこの人に伝わるとは思えないが。
「体調は?」
「え?ちょー元気!おねーさんは?」
「青でいいよ、十四松さん」
こんなところで元気だとは。さすがというか、やっぱりわたしが最初に感じた普通じゃない感覚はなかなか鋭かったらしい。
とはいえ、長居するような所じゃない。わたしはポケットから「それ」を取り出した。
「それなに?!」
「お守り、みたいな。これ、首から下げとくといいよ。出口までつれてくから」
十四松さんは手が隠れるほどの袖でそれを受け取って、大人しく言う通りにしてくれた。それから「はい」と、自然にその袖口を私に向けてくる。
「手を繋いだら迷子にならないよ」
「……はいはい」
まさにわたしがしようとしていたことを、先回りするように促されてしまう。
自然と、呆れたような笑いが溢れた。
この人に会うと、自然と笑える。それに気付いても不愉快じゃない。
「青はここに住んでんの?」
「え。いや、住みはしてないけど。なんで?」
「なんとなく!」
特に深い意味はないだろう。そのあとも、ひたすら歩き続ける間、時々腕をあらぬ方向へ引っ張られたりしながらも、やっとの思いで雑木林の出口まで来た。
出口付近には小屋があり、ここら辺を監視している山小屋の主がいる。わたしは彼に会釈をしたが、十四松さんはさっさと先へ進んでしまった。
「十四松さん、手はもういいんだけど」
「あ、そっか」
あっさり離された繋いだ手を、わたしはジャンパーのポケットへしまう。それから、数時間ぶりの雑木林じゃない空気を吸って、ため息として出した。面倒事がまだ残ってる。
見れば見るほど町から離れたこの山に、どうして十四松さんがやって来たのかが分からない。さっきもそれとなく聞き出そうと奮闘したが、とうとう訳の分からない答えしか返ってこなかった。デカパンマン探してたって、どういうこっちゃ。
しっかりと「お別れ」したはずなのにまた会ってしまうし、こんなところにいるくらいだから、十中八九寄せられたのだと思う。でも、何度も何度も確認しても、やっぱり十四松さんにはなにもない。いっそ、なにも無さすぎて違和感すら感じるほどに。
となると、「おそ松さん」が関係しているかもしれないわけだ。あの人ともしっかりと縁切りをしたと思っていたけど、上手くいってなかったのかもしれない。私のやることは大体が雰囲気の見よう見まね、三流もド三流な真似事だ。失敗しないことだって多くはない。
「十四松さん、このあと何か予定ある?」
聞く人がいれば軟派なお誘いだったかもしれないが、なにせコミュニケーションという単位を取り損ねてきたわたしには、それ以上に言葉が出てくるはずがない。
「んーん。帰るだけ。なんでー?」
「えーと……十四松さんの兄弟が本当に六つ子なのか、確かめたい……なんて」
「いいよ!!」
いいのかよ!
いや、良くていいんだけど。
「でさー!ぼくんちどっちだっけ?」
「知らないよ!?」
果たして、日付を越える前に帰れるのかすら不安になってくる。本当にどうやってここまで来たんだこのひとは。
取り合えず、以前会ったあの辺りまでいけば何か思い出してくれるだろう。わたしは足取りを重く、ゆっくり十四松さんを視界の端で見つけて。
「ちょ、ちょちょちょ!!ちょいまちー!!!」
久しぶりに叫ぶほどの声をあげた。
ついでに転げるように駆け寄って、その両腕を掴んでおく。そうでもしなければ、たった今やろうとしたことを始めそうだ。
「え?なに?」
「いやそれ、こっちの台詞ですけど!なに?なんでいま川に飛び込もうとした?!」
「えー?だって、川泳げばうちに早くつくし、道じゃなくても帰れるよ」
あほかよ。
「アホかよ!!」
心だけで絶句しつつ、それでも重ねてツッコミを入れずに入られないなかった。
「え?青って泳げない?」
「しかも、わたしまで泳がすつもりだったのかよ……すげぇわ」
泳げないというか、水がダメなんだって。と、わたしはひたすら、どうどう、と十四松さんを宥める。
「じゃあ、どうすっぺか!」
「どこ弁なの。川を下れば近くにいくんだったら、川沿いを歩こうよ。どうしても泳ぐってんなら、一人で泳いでいって」
「じゃあ、歩く」
思い直してくれたことには一安心するけれど、この調子で無事に目的地までたどり着けるのか、さっきの数倍は不安になってくる。この人の家にいくまでわたしの色んな体力とか、持つだろうか……?というかあんた、本当に帰る家あるんだよね?
***
歩くこと五時間。
内、二時間は十四松さんに振り回されて潰した時間にしても、本当に遠い道のりだった。
「……ずびっ」
「ないてんの?」
顔を覗き込んでくる十四松さんを押しのけ、わたしはそのごくごく一般的な、それでも今ではとても珍しい木造の一戸建てを見上げた。一応ちゃんと家はあった。
「なんというか、とてもいい感じのおうちですね」
「古いでしょー!」
まあ、古いかどうかはおいておいて。いや、古いんだけど。
家には誰もいないらしい。そのつもりでやってきたから、そこはどうでもいいんだけど。とにかく、用事をさっさと済ませて今度こそ十四松さんとお別れしなくては。
「ただいまー!おそ松兄さんたちいる〜?」
どたどた、と家の中を駆け上がっていく十四松さんに、わたしは勝手に家に入ることもできず、玄関から家の中をのぞいた。家は、木造の家らしいほの暗さがあって、人がいるような感じはやっぱりどこにもない。両隣に背の高いビルがあるせいか、日の当たらない立地なんだろう。玄関から差し込む西日がやたらと赤く部屋を彩るのが、背筋を寒くする。
ふと。ぱたり、と十四松さんの足音がやんだのがわかった。
二階に駆け上がったのはなんとなく分かったけど、声も聞こえなくなる。
「おいおいおい〜」
まさか、まさか、まさか。
いやでも、このタイミングでそんな。
「十四松さぁぁん!」
意を決して声を大きく張り上げるけど、ウンともスンとも帰ってこない。時間も確かにいい時間だ。そして、すっかり忘れていたけれど、お守りは十四松さんの首に下がっている。これは、やばい。
「十四松さん、そりゃないぜ……」
昔、あのお守りをくれた祖母はよく言っていた。夕方は危ないんだ、と。夕方に、突然一人になってしまったら、振り返らずにじっと待ちなさい、と。
あのころの私は、それを笑って聞いていられたのだ。あのころはまだ、わたしは自分のことを普通だと思っていたから。
「あの……」
ほら、きた。
返事をしてはだめ。返事をしてはだめ。わたしはそれだけを繰り返し、家の中に入って戸を閉める流れを頭の中で反芻する。
「あの!」
「ひっ!」
がしっと捕まれた腕を振りほどいて、わたしはコンマ何秒の流れ技で家の中に滑り込んだ。ピシャン、と戸を閉めようとしたところで、隙間に足が差し込まれる。
「ひいいい!お帰りくださいお帰りくださいお帰りください!」
「いや、ここ俺んちなんだけど!?」
「いや、ここはあなたの家では……え?」
ほんのわずかな隙間から、そろそろと向こう側を覗く。すると、そこには十四松さんと同じ顔があった。
「あ」
相手も、私の顔を見てにわかに驚いている。それもそうだ。知らない人間が家の前にいたら驚くだろうし、しかもそれがやつれた見知らぬ女だったらなおのとこだろう。
しかし、色々な教訓のある私は、一応その顔に質問をしてみる。
「ちなみに、十四松さんの何番目のご兄弟でしょうか?」
「いや、俺だよ!おそ松!十四松の兄ちゃんで、松野家の長男!青さんですよね?」
「あれ……?」
そうだ。確かにわたしはおそ松さんとは知り合いだけど、こんなに区別がつかなかったっけ?十四松さんとはじめてあったときのことを思い出そうとするけど、よく考えても思い出せるはずがない。わたしは、人の顔を覚えられないから当然だ。でも、あの時あったおそ松さんってこんな感じだったっけ?
ともかく。
なるほど、じゃあさっきの顔は知らない人がいて驚いた反応じゃなかったということか。それにしても。
「おそ松さん」
「はい?」
「本当にそっくりなご兄弟ですね」
それ、今更する反応?なんて、腹を抱えて笑うところを見て、わたしはやっと扉から手を離したのだった。
………20151110