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なぜ十四松さんが2階に行ったきり、ぱったり気配を消したのかというと。あの人ってば、自室に入った途端疲れから来る眠気に身を任せてそのまま寝こけてしまったというのだ。
その結果がこの、目の前の死体のように転がった二十代男性の体である。
「こっちの焦りを返せ……」
ボソッ、とその沈黙せし背中に溢してみるも、当然返事なんかが返ってくるはずもなく。
わたしは乱暴にその首からお守りを奪い、ドスドスと(それは気持ちだけだったにせよ)乱暴に階段を下りて通された居間に入る。
「どうだった?寝てたでしょ」
「ええ、潰れたカエルみたいに」
「潰れたカエル!」
また、げらげらと笑うおそ松さんに、わたしは小さくため息をついてみせた。笑い事ではない。こっちは、本当に生きた心地がしなかったのだ。
「まぁまぁ、座りなよ。お茶もなんもないけど、もしかして急いでる?」
「いえ。でも、すぐにおいとましますんで」
とはいえ、五時間も歩き続けた足は限界から悲鳴をあげている。喉だって乾いていた。当たり前のように今日も持っている水筒は、実は大分前に空になったのだ。わたしは、ほんの少しだけ休ませて貰うことにして、小さな円卓の近くに座った。
「あれから十四松と遊んだりしてた?」
おそ松さんは、興味深げに私たちの間柄を疑ってくるが、わたしはそれに苦笑い以外を返せない。
当然だ。
わたしは、あれきり十四松さんと会うつもりはなかったし、ましてやおそ松さんとこうして、再会するつもりはなかった。その予定が狂ったのは、正にこの目の前の人のせいだと思っていた。
「十四松さんとおそ松さんはご兄弟で、しかも6つ子でいらっしゃるんだとか」
「うん。結構この辺では有名人なんだけどね。青さん、知らないんだ」
そりゃあ、わたしはこの辺の人ではないし。そもそも、だ。
「隣の町内に引っ越してきたばかりなので」
「ああ、なるほどね」
仕事で大変なミスをしてしまい、責任を取るような、あるいは押し付けられるようにして辞めてしまってからそんなに時間はたってない。わたしは、わたしの都合ですぐに元の家から飛び出して、そしてさ迷うように辿りついたのがこの土地だった。
お陰で、わたしの部屋にはなにもない。唯一インテリアのように部屋中に転がっていた酒瓶も、片付けたばかりだった。連日浴びるように飲んでいたお酒は、十四松さんに会ってから随分量が減った。
「6つ子って珍しいでしょ」
「でも、わたしはまだ十四松さんとおそ松さんしか知らないので、双子を見ている気持ちですよ」
それでも、わたしの数奇な人生の中では双子という存在だけでも初めての邂逅だった。
「それもそっか。残念だなぁ、実は今日は他のやつらは遅いんだよ。どうしてか分からないけど、急にみんな家を出る用事か入ってね」
まるで、不思議な事のようにおそ松さんは言う。だけど、わたしにはそういうことはよくあることだと思えたし、そもそも他人とは会わない方がいい身の上だから、上手く「残念です」とも「そうなんですか」とも返せなかった。
変わりに、気になっていることを聞くことにする。
「おそ松さんも、用事が?」
「ん?ああ、そう。でも、すーぐ終わったから帰ってきたワケ。だから、気にしなくていいよ」
まぁ、別に気にしてはいないんだけど。
むしろ、戻ってきてしまったことの方が、気になる。けれど、この家そのものに何かあるようにも感じないし、やっぱり偶然の巡り合わせみたいなものなのかもしれない。
「十四松と友達になってくれたんなら、ありがとね」
突然、おそ松さんがそんなことをいった。
わたしはその言葉に首をめ一杯に振る。それは、大きな勘違いなのだが、否定するのも阻まれるほどおそ松さんは嬉しそうなのだ。
「青さんも分かると思うけど、周りと上手くコミュニケーション取れないやつだから、必然的に俺たち兄弟としかつるまないんだよ、あいつ」
ああ。と、返事をするわけにもいかない。でも、わたしは大きく内心で頷いていた。思い出すのはほんの少し前までの五時間に及んだフルマラソンだ。何度その化け物じみた体力についていけず足を止めただろうか。けれど十四松さんはその度に、いっそ置いていってくれとすら頼みたい気持ちを踏みにじるように足を止めたわたしの元へやって来る。
思い出しただけで、足がガクガク震えている気がした。
「まぁでも、青さんもだいぶ変わってるよね。あ、気を悪くしないでくれよ」
確かに、今まで言われてきてあまりいい気のしなかった言葉なはずなのに、わたしは嫌な気持ちひとつ沸かなかった。
「いえ、言われ慣れてますので」
「言うねぇ。もしかして、長子でしょ?」
「わかりますか」
「わかります、わかります」
おそ松さんは、にやにやと笑う。長子同士、通じるものがある気はしていた。でもそれは、初めてあったあの日の夕方の記憶だったことを思い出す。
そうだ。今日のおそ松さんからは、その感じがしない。
「でも、本当にあなた、おそ松さんですか?」
「え?」
「ああ、変なこと言ってたらすみません。でも、ほら、わたし他のご兄弟を知らないので、からかわれていたりしたらわかりませんから。それくらい似てるのかなぁ、とか思うんですよ」
取り繕うように口にした言い訳だったけど、言葉にすればするほどそんな気がしてくる。
わたしは、十四松さんはともかく、他の6つ子を見分けられると言いきれるだろうか。だって、ただでさえ人の顔を覚えられないのに。
「まぁ、俺たちも昔はよくそうやって親の目を誤魔化したり、悪戯したもんだけど、今は言うほど似てるとは思ってないから。それに、おれちゃんと青さんのこと覚えてたでしょ」
「ああ、まぁ。それも、そうでした」
言われてみれば、確かにそうだ。
わたしのことを知ってるのは、十四松さんか、あるいは目の前のおそ松さんくらいなはず。
「とはいっても、青さんのことは他の兄弟も少し知ってるけど」
「えぇ?」
「十四松が色々話したからさ」
「色々話すほどの交流はしなかったと思うんですけどね」
何を話されたのか、怖くて聞けない。
おおよそ、あの人の口から悪口が出るとはおもえないけど、お世辞やオブラートに包んだような言葉が使えるとも思わないのだ。
「今日もまた十四松に付き合ってうちまで?最近あいつ、フラフラどっかに行くから何してるかと思ってたけど青さんに会ってたわけか」
「ん?」
「あれ、どうかした?」
いや、会ってない。
くどいほど言うけれど、わたしが最後に十四松さんに会ったのは、あの日が最初で最後だった。今日まで一回も、会ってない。
「いえ。えーと、十四松さんちゃんと毎日帰ってました?」
「ああ、うん。でも、そういえばここ最近はだいぶ遅かったかな」
まぁ、ガキじゃないし、そこまで門限が厳しい家でもないんだけど、と。おそ松さんは、なんでもないように笑う。
「誰にあってるとかは聞かなかったんですよね?」
「聞いてない。もしかして、青さんじゃなかった?」
「いえ。もうとっくに話を聞いてるもんだと思ってたので、驚いただけですよ」
そっか、とおそ松さんは納得した。夜遅くまで妙な女と一緒に弟がいても、無事に家に帰ってくるのならそれ以上は関係ないと割りきっているのだ。
「あいつの説明不足は今に始まったことじゃないからなぁ」
「でも、きっと、もうそんな時間には帰りませんよ」
わたしは、その話をそうやってやんわりと打ち切った。
それから、ダラダラとわたしとおそ松さんは上の子供あるあるを話しては、趣味の話をして、なんとなく意気投合して時間を潰した。でもそれも一時間ほどのことで、わたしは家に帰る、と席をたつ。
その頃には「また遊びに来ればいいよ、青」と、言われる程親しくなっていた。
玄関で見送ってくれるおそ松さんに、わたしは手を差し出す。もちろん、おそ松さんは不思議そうに首をかしげた。
「なに?」
「お別れの握手、わたしの習慣なんです」
「ふうん。じゃあ、あーくーしゅっと」
わたしは今度こそ、おそ松さんとちゃんと「握手」をしたことを確認して、そのうちを出た。
外は日が落ちていたけど、あの家にはとうとう、おそ松さん以外は戻って来なかった。
***
缶コーヒーの味は、どうも鉄臭くて好きになれない。
わたしはあれから、ひたすらぶらぶらと町を歩いていた。ついに、街灯も少ない公園にたどり着いて、そこの自販機で缶コーヒーを飲む。
喉は限界に乾いていたし、水の味が分からない飲み物なら、大抵は市販のものでも飲める。
時間はどれくらいだろうか。夜になると視力が落ちるわたしは、公園のどこからでも見える位置にあるその時計の盤面も見ることができなかった。
「あれー?青だ!」
盤面は見えなくても、随分夜も深いことはよくわかっている。そんな公園に、なぜかその人はやって来た。
十四松さんがやって来ることを、わたしはほとんど予期してそこにいたと言ってもいい。
「どうしたの?こんなとこで」
てくてく、わたしの座るベンチの隣に十四松さんが座る。
「それは、わたしが聞きたいんだけどね。というか、帰るなりすぐ寝るってあんまりじゃないかな?」
「ああ、ごめんね!」
「まぁ、それはいいや」
本題は、そういうことではない。
夜も更けて、こんな場所に一人できたのだから、理由はだいたいわかっている。
「十四松さん、今日は待ってる人は来ないよ」
「えー!?」
目を真ん丸にして、十四松さんはガックリと肩を落とした。それから、すぐに「じゃあ、また明日遊ぶからいい」と、言う。
「明日も来ないよ。ずっと、もう来ない」
「なんで?!なんでなんでなんで!」
ゆさゆさ、と襟元の服を握って揺さぶられながら、わたしはぼんやりどう言い訳をするか考えていた。
「野球するって約束した!」
「うーん……」
そうか、きっと「約束した」からわたしとの縁切り程度では駄目だったんだなぁ、と理解する。
あの日、わたしと会うとっくの前に、喉が乾くほど野球をしてたのだ。その相手とは、また野球をする約束をして。
「なんで、とかはわたしも説明できないんだ。ごめんね」
わたしにも、どうしてこんなことをしなきゃいけないのか、分からない。
普通に生まれた子供のはずなのに、どうしてかこんな風に育ってしまった。
十四松さんも、育ってしまったことを、やっぱり取り戻すことは出来ない。おそ松さんは、十四松さんのその部分を心配しているようだったけど、やっぱりそれは、どうしようもないことだと思う。
どうしようもないけど、でも、十四松さんには家族がいる。兄弟が、ちゃんと傍にいる。
わたしには、それだけじゃ不安なことも、物足りないことも分かるけど、何か解決してあげることなんて出来ない。
唯一できるとしたら、こうして、本当に全部なくす前に帰って貰うことくらいだった。
「帰ろう、十四松さん。野球ならきっと、兄弟が付き合ってくれるよ」
生きている人と生きないと、連れて行かれてしまうよ。
「……」
十四松さんは、じっと私を見つめていた。それから、ひとつ頷く。
「わかった」
「よかった。ありがとう」
「え!なんで?」
なんでってそれは、さ。
わたしがとても変わり者で、本当はこんな分けのわからないことをいうやつの言うことなんて、素直に聞いてもらえるなんてあり得ないからだ。それもこれも全部、十四松さんが、やっぱり最初から十四松さんだから受け入れてもらえたことに違いない。
わたしは、そのことが嬉しくて、この人と帰る間も笑顔だったと思う。
………20151111