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昔、祖母が健在だった頃、わたしは時々変なものを見た。それは、幼い子供には良くないから、とちゃんと見えなくなるように御払いしてもらっている。今でも、わたしは普段は何かを感じても見ることは殆どない。
でも、祖母には何か未来がわかったのだろうか。彼女だけは、常にわたしの傍にいたし、当時とても貴重だったお香からお守りを作ってくれた。そして、わたしは程なく、見えなくなった代わりに変な場所へ行くことのできる体質へと変わっていた。
それは、ただ、変な場所というだけで、私自身にはなんの影響もなかったけど、そこで会う人たちに変な縁を結んでしまうことができた。その変な縁は、生きてるもの同士のこともあったし、逆のこともあった。そして、その両方も。
わたしのその体質をひどく心配して、死ぬそのときまで文献をそろえてくれたのは祖母だった。わたしはそのありがたさを理解するには幼くて、周りの大人が彼女を邪険にするのと同じように祖母のことを避けることもあった。
祖母は、あっけなく死んだ。
それは、わたしがつないでしまった人に連れて行かれたからだ、と後になって自覚できた。それから、わたしは彼女が集めてくれた文献をすべて引き取り読み込んで、ある程度はその変な体質を理解できた気になっていた。

***

朝。
十四松はチョロ松に起こされて、目が覚めた。体が鈍く、全身が冷えていることに気づいてから、そこが玄関だとわかった。
「なんでこんなとこで寝てたの?」
眠そうな目をこすりながら、チョロ松は聞いてみたが十四松は首をひねるばかりで結局それはそのままに次々と他の兄弟が二階から下りてきた。
全員がそろって、のそのそと朝の支度を始める中、十四松は、あ!と声を上げた。
「なんだよ急に、どうした?」
おそ松が十四松にまだ眠そうな顔を向けて聞く。
「野球しよう!」
「はぁ?」
全員が全員呆れたような顔をして、また言い始めた、と適当にそれを流してしまった。
それから、おそ松は雑誌を片手にパチンコへ向かい、カラ松はトド松を連れてどこかへ出かけていった。チョロ松はネットでのチャット会があるからと部屋に引きこもり、一松はどこからやってきたのかいつもの猫をかまいながら時間をつぶし始めた。
十四松は二階に上がり、チョロ松の傍を通り過ぎて、置いてあるバットを持つ。
「野球しにいくの?」
チョロ松は、画面から顔を上げて十四松に聞いた。
「うん。いってきまーす!」
だだだだ、と階段を下りて勢いのまま玄関を出ようとした十四松の背中こら声がかかった。
「おい」
「なに?」
声をかけた本人はせっだを引っ掛けながら、十四松より先に玄関を出る。
「野球はしないけど、散歩なら付き合う」
「いーよー!行こうよ。一松兄さん」
いってきまーす。と、もう一度家中に声を響かせながら、十四松は外へ出る。その声を聞いたチョロ松が「いってらっしゃい」と二階で呟いていた。
いつもの松野家の一日が始まって、それはそれでめでたしめでたし。昨晩のことをすっかり忘れている十四松にも、顔見知りを増やしたおそ松にも、彼女は二度と思い出されないはずだった。


「あれ?」

十四松は、その行きつけの屋台の傍で川べりに座っている人影に気がついた。
もう、とっくに日は暮れている。パチンコで少しだけ勝って気前のいいおそ松が公園にやってきて、一松も一緒におでんを食べに行こう、と提案したのだ。
その人影に気づかないのか、十四松以外の二人はさっさと屋台に腰掛けて注文をはじめる。同じように席に座ろうとした十四松は、しかし思い直して、その人影の隣へ向かった。
どうして、忘れてたんだろう。と、その横顔を見て十四松は思う。同時に、昨夜のことも、今朝どうして玄関で目が覚めたのかも思い出していた。
「青」
「え?」
声をかけられた女は、十四松の顔を見て目を丸くした。
「十四松さん、どうしたの」
「え?おれ?おそ松にいさんと、一松にいさんとそこに食べにきた」
「ああ。なるほど」
青は、疲れの出た目を更に細くして、その手に持っている缶の中身をあおった。ビールだった。
「いいな〜」
缶をじーっと見つめて、もの欲しそうな目が彼女を見る。青は苦笑して、新しい缶を十四松に手渡した。
「飲む?」
「もらう!あ、ちょっと待ってて」
程なくして、十四松は二つのお皿におでんを山盛りに載せて、彼女の隣に座った。
「あげる。おそ松にいさんのおごりだけど」
「ニートのくせに、なにほどこしてんの」
そう言いながらも、青はありがとう、とお皿を受け取った。
「いつもここにいるの?」
十四松はおでんを頬張りなが青に聞いた。彼女はそれに首を振って「たまたま」ここに来ただけだ、という。
「というか、さ」
「なに?」
青は再三、どうして自分のことを見つけ出すのか聞こうとして、やめた。十四松が意図的に見つけているわけでないことはもう十分にわかっていたし、そういう不思議なことは彼女自身の身を持って何度も経験してきている。
「……なんでもない。」
「ふうん」
そして、その不思議な、根拠のない体験はたとえ共有した相手だとしても、形に残らない分忘れられやすい。そういう、どうにも曖昧な世界がある。彼女自身も、いまだに自分が頭のおかしい存在で、本当は麻薬か何かで幻覚やら夢を見ているんじゃないかと思うことが多い。お酒を止められないのはそのせいだ。
お酒を飲めば、それでも相当飲まなければ酔えない体質だったが、とにかくそうすれば、変なものを見ても、おかしな目にあっても、アルコールのせいにできた。
「あのさ、青電話とか持ってないの?」
「…持ってるけど」
「んじゃあ、ちょっと待ってて!」
またか。と、青が呟くよりも早く、十四松は屋台に戻ってそしてまた帰ってきた。ちゃっかり、空になった皿にはまたこんもりとおでんが乗っている。
「これ!」
皿を持っていない方の手に、携帯が握られている。
「あ、ケイタイ」
「登録して!」
「え?」
青の顔につくほど押し付けられるケイタイを、思わず受け取ってしまう。
「青がさ、兄弟が野球してくれるっていったけど、してくれなかったんだよね」
そういえば、そんなことをいった気がする。と、青は今朝のことを思い出していた。
なんといっても、帰る道半ばで寝てしまった十四松を背負って帰った記憶が新しい。さすがに部屋に上がるわけにもいかず、重い体を玄関に下ろしたのだ。
むしろ、たった一日で疲れを蓄積させた青こそ文句を言いたい気持ちだったが、だいぶ酔いが回っている頭ではしゃべる言い訳も億劫だった。
「それは、なんかごめんなさい」
「だから、青が一緒に野球すればいいよ!」
「はい?」
「だから、登録して。おれから連絡するから!」
青はケイタイをじっと見つめた。つき返すべきだということが、よくわかっていた。
「いや、やっぱそれは…」
「登録してくれなかったら、おれ町中青の名前を叫んで探すよ」
黒目を大きくして、十四松は青をじっと見つめて言った。
「え、ちょっとそれは…というか、淡々としゃべると怖いんだけど」
「バット振り回して、探す!」
「それあんた、通報されるわ。やめて」
「警察に捕まったら、青の名前を言う!」
「ばか!ほんとやめて!!」
「だから、登録して。そんなことしなくても、会いたいから!」
ああ、でも。そんなに脅されたって、青の弱みになったりはしないのに。だって、今また縁を切ればいいのだ。そうすれば、不思議な場所であった不思議なことなんてそのうちあやふやになって忘れてしまうものだから。
それなのに。
青は、十四松に見つめられながらポチリポチリと自身の番号を入れていた。
他人を巻き込んで、何度も後悔したのに、彼女はまたそれを繰り返そうとしてる自分を「屑だ馬鹿だ」と内心で罵りながら。それでも、ほとんど泣きながら、その番号をケイタイに入れていた。どうせ、十四松さんには、どうしたって見つかるのだから同じことだ。と、言い訳をして。
自分に声をかけてくれる人間のことを、青はとうとう切り落とせなかった。
「入れた?」
「……うん」
「なんでないてんのー!」
「……うん」
十四松は、袖で隠れた手で、何度も青の頭をなぜた。
彼女はそうされながら、きっとこの人だけは、この人にとって大切な人だけは悪いようにはしない、と誓っていた。

………20151112
序章・完

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