>何週間ぶりか、久々の家は落ち着く。暫く休みを入れたので、一週間は家にいれるはずだ。その、三日目。
朝飯は娘の手作り。我が娘ながら、目と舌が肥えているので、青の作る飯は本当に美味い。いい嫁さんになるぞ、と度々に言うが、本人は「セクハラ」の一言。あれだ、反抗期だ。
図書館に行ってくる、と午前に出ていった娘をそろそろ迎えに行こうか。と、オレは腰を上げた。昔じゃ考えられない方向に、ここ十数年の自分は変わりに変わったと思う。
コートを羽織って外に出る。玄関の鍵を閉めたところで、マンションのそう長くない廊下を走る音がした。
「あ、シャンクス!」
「おー。ルフィ。久しぶりだなぁ?」
こいつは、この階に住んでるガキだ。娘の一個下になる。
「なんだ、帰ってたのか。青なんか全然教えてくんねーんだもんよ」
あれだ、それは反抗期ってやつだ。
「ま、色々オレも疲れてたからな。アイツが気を使ったんだろ」
「ふぅん。そっか」
ルフィはそれ以上何も聞いちゃこない。基本的に、どうでもいいことにはこんな感じだ。
そういうとこは、昔と変わってない。正直、最近まで、こいつは昔っから脳ミソの中身がスッカラカンなんじゃないか、と思っていた程だ。
「お前、洒落た服着てるな。デートか?」
「んにゃ。これ、エースから貰ったんだ。何でかしんねーけど」
「そうか。ま、お前が進んでファッションに興味もつわけねーな」
金とか食いもんに使っちまうしなぁ。と、笑って返しをするルフィは、冗談でも何でもなく、食い物にだけは財布の紐が緩い。
青が何度かこいつと遊んでるが(『デート』なんて言い方はしてくれるな)、何でもかんでも食べ物に目がいくってので、目的を果たすのがいつも大変なんだと。
「じゃあ、どっかいくなら送ってくぞ。遠くは無理だが」
「いや、青誘って昼飯食おうかと思って。いねーのか、アイツ」
「ああ。図書館にな。お前もちっとは見習ってみろよ、ルフィ」
ため息を吐いて見せたって、こいつはどこ吹く風。笑って、ムリムリ、と手を縦にして振った。
「オレ、静かに勉強とかほんとムリ。いいんだ、青が教えてくれるし」
「お前なぁ、仮にもその父親の前で平気でそーゆーこと言うか?」
「一緒の部屋で、二人でべんきょーな。なんだよ、ダメなのか?」
ダメに決まってる。
こいつもこんな言い方してからかうようになったか、とオレは少し感慨深かった。
そう、ルフィの頭だって、まぁ、それなりに年食って肥大してる。スッカラカンであった方が、父親としては安心だった。
「約束守ってくれてんなら、オレは何も言わねーよ。だが、手は出すなよ?」
「ま、アイツが食いもんにならない限り絶対大丈夫だ。安心していいぞ」
いや、ある意味食いもんなんだが。まぁ、その辺がわからんあたり、こいつに対して口を酸っぱくすんのも無駄だろう。
「仕方ねぇ」
「お。なんだなんだ?」
「…不本意ながら、お前にはいつも青が世話になってる」
とはいっても、同じだけは青自身が返してる気がしないでもないが。
それは、それだ。親として。
「一緒に青を迎えに行くか。少し遅くなるが、帰りにファミレスで奢ってやる」
「ホントか!シャンクス!!」
目なんかキラキラさせやがって。お前はいつまでたっても、可愛いやつだよ。ルフィ。
あの日も、休日だった。細々とした手続きが終わって、偶然そうなった。
長年教師をやっていたが、それをまさか辞める日が来ようとは。それは、青が中学に上がって一年も経たない内の話だ。
青に仕事を変えること、暫く帰ることができないことはもう話してあった。
青は青でちゃんと理解してくれた後だったから、「何か手伝う事があったら言ってね」と簡単なもんだった。もうちょっと渋ってくれてもいいんじゃねーか?と、オレの方が未練たらたらで情けないったらない。
「あとね、学校やめたこと。ルフィには話したよ」
まるで、何とも無いことのように言うのだ。
あれだけ、前日までぐるぐる悩み混んでいたくせに、そんなことは実は何でもありませんでした。と、言わんばかりだった。
「そうか。あいつ、なんて?」
「ふぅん。だって。何も聞かれなかったから、なにも説明してない」
直ぐに、なんで?どうして?が飛び出す口をもってるルフィにしては、珍しい。と、オレは淡々と考えた。
変な所で鋭いあいつのことだから、たぶん、最近の青の様子だけで何か分かってたのかもしれないが。
「じゃあ、わたし行ってくる」
学校は辞めたが、もともと近場で通ってた習い事は塾以外は続けるそうだ。
そういう神経の図太さは、オレに似たんだろう。お陰で、女の癖にやたらと我慢強くなったことは、良いんだか、悪いんだか。
「おう、気を付けてな」
そう言って送り出した青の顔は、ここ最近で一番明るく見えた。
あぁ、これでよかった。そう思える。きっと、これから青が、辛い現実と今まで以上に向き合わないといけなくなるとしても。
数ヵ月前だ。青が学校から帰ってきたあの日、『疲れちゃったの』と落ち窪んだ目が今にも光を無くしそうだった。とうとう、その日を最後に青は学校に行かないままだったが。オレはそれでいい、と何も言わなかった。
中高一貫で、オレの職場でもあった青の学校。マンモス校と称される広い校舎のなかで、青が一人でいることを、高校の職員室でも度々耳にしていた。
オレがその話を呑気に聞いてるときに、青が何に追い詰められていたのか。それを知ったのは、もうその体では何も支えられなくなっていた、その後だった。青はその事を、時々後悔するように漏らすオレに、「気付かれないようにしてたから」と「ごめんなさい」と言う。
そんな風に言われては、何を言い返せるだろう。娘に気を使わせてる事だけを、思い知らされた。
そんな娘を一人残すのは気が引けたが、近所に様子を見てくれるという知り合いがいた。一方オレは単身赴任、のような生活になる。その荷物を纏めていると、玄関のベルがなった。
「シャンクス!」
鍵を開けると同時に飛び入って来たのは、ルフィだった。その、娘の様子を見てくれると言ったじいさんの、孫になる。
「お前なぁ…せめて、扉を開けてから入ってこい」
自分で開けるやつがあるか、とその空っぽの頭に一発入れ込んでやった。
しかし、相変わらずタイミングのいいやつだ、とオレは苦笑する。青がいないうちに、少し話をしたいと思っていたからだ。
「ルフィ、お前なんか用事でもあったのか?」
「おう!青は?いるか?」
「いや、いない。なんかアイツと約束してたのか?」
いや、違う。と、ルフィは首を振って笑う。
「居ない方がいいんだ。シャンクスに話があった」
少し、そんな気を回すルフィに面食らったが、オレは努めていつも通りにした。
ルフィのことだから、何か気まぐれだろうと思ったのだ。
「そうか。なら、丁度いいな。上がってけ」
もう、殆どお邪魔してるような状態だが、ルフィはそんな嫌味など気付きもしない。
散らかったリビングに通して、グラス一杯のココアを出してやった。ありがとう、と素直に笑ってくれるところが、こいつの可愛いとこだ。
「で?オレに話があったんだろう?」
わざわざこう先導してやらなくても、普段のこいつなら自分から口を開いただろう。だが、その日に限っては、余程言いにくいことがあるらしい。うんうん、と唸りながら、ちょびちょびココアを口にするだけなのだ。
しかし、次にオレを見つめる丸い大きな瞳は真っ直ぐだった。
「シャンクスは…青のこと嫌いになったのか?」
一瞬、全身に冷水が落ちた。一気に下がった血の気を、ルフィに悟られなかったかは確かじゃない。
「はぁ?なに言ってるんだ」
それでも、オレはこの顔には「訝しげ」を貼り付けられたはずだ。
「じゃあ、迷惑に思ってんのか?」
「あのなぁ、ルフィ。いくらオレでも、怒るぞ」
「違うんだろ?」
「当然だ。目に入れても痛くないくらい、かわいい娘だ」
自分に言い聞かせてるようだ、と思ってしまった。
自分のなかで確かなことを確認させられる事ほど、楽じゃない。もう、何年目アイツの親父をやってるんだ。そう、内心を罵った。
そんなオレの葛藤なんか露知らず、ルフィはホッとした表情で椅子に深く腰掛け直す。
良かった。そうだよな!もちろん、そうに決まってるよな!うんうん、と頷く仕草がまだまだあどけなかった。
「青が悩んでたんだ」
どうしてそんなことを聞きに来たのか、オレは大体の想像がついている癖にルフィに聞いてみた。
想像通りの答えなんて、当然期待しちゃいなかった。
「あいつが?」
ルフィの口から聞かされたのは、普段の青がおくびにも出さない不安の言葉だ。
学校の教師まで辞めることになって、わたしはあの人の迷惑になってばっかりだ。とか、もしかすると嫌われてしまってても仕方ない。とか。
「だいじょーぶ。心配すんな!あんまりうじうじしてるんで、オレが代わりに怒っといてやった。泣かせちまったけど」
「……泣かせ、…いや。そうか。アイツがお前にそんな話を」
おい!泣かせたのか!と、詰め寄るのを寸で止めた。オレも似たようなもんだ。棚にあげてちゃ、切りがない。
代わりに、ルフィに言いたかった事を伝えることにした。
「ルフィ、青といるのは疲れるか?」
「そうだったら、遊んだりしゃべったりしねーよ!楽しいぞ」
だろうな。と、オレは頷いた。お前はそんなやつだよな。
「……オレは暫くここを離れるが、青のことよろしく頼む」
「なんだよ、急にかしこまって。第一、エースに頼んだ方が、青も嬉しいんじゃねーか?」
ルフィは、何でもないように言った。
あぁ、やっぱりまだあの「お兄ちゃん」が好きなのか。アイツは確かに礼儀正しくてイイヤツだが、父親としては微妙な気分だ。
「ルフィ。お前は今、アイツにとっておそらく、一番の友達なんだ」
父親に話せない悩みを、このすっからかんで元気だけが取り柄の、異性に話すのだ。
その存在の、青の中での重要さは言葉にするまでもないだろう。
「特別なことをして欲しいんじゃないんだ。お前が思うように、いままで通り接してやってくれ」
「ふうん…。ま、よくわかんねーけど。わかった」
頷くルフィに、情けないほど安心させられた。その一言が、心強かった。
もしかすると、娘も。ルフィのこういうところが憎からず思えるのかもしれない。
「一つ、約束してくれ」
オレは、なんてズルい大人だろうか。
「あいつ…青と、お前が付き合いきれない、と思うようになったら」
ルフィの答えなんて、分かってる。それなのに、わざわざ言葉約束にしておきたいのは。嫌な大人になったオレの、エゴだと分かっていた。
「その時は、あいつを振り切ってくれ。嘘の付き合いなんてしなくていいからな」
一瞬、きょとん、としたルフィは、少し考える様子を見せて、それから笑った。ししし、と歯を見せる。
「おう、わかった!」
つられて口角をあげるオレに、ルフィは魔法の言葉をかける。
「でも、そんなことは絶対にないから、心配すんな」
絶対、という言葉を、ルフィは当たり前のように使った。
「オレは、あいつの友達だからな!」
その一言が、魔法のように。今でも、青を守っている。
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