>[ヘ]
種明かしをすると、こういうことだ。
おそ松は、青がしっかりと予測していたように、ちゃっかりおごられる算段をつけていた。しかし、そこは考えが似ていると意気投合する長子同士だからなのか、青はなによりもまず「ワリカン」という釘をしっかりと刺してしまった。こうなると、計算違いはおそ松の方で、それでもあれほど飲みにいこうと誘った手前、それなら別にいい、とは言えなかったのだ。付け加えるなら、青という気持ちよく飲めそうな相手と飲む機会を失うのも惜しかった。
ところが、どれだけ財布を覗いても入っていないものは入っていない。わざわざ時間を遅らせ店で直接会う約束をしたのは、金の工面をつけるためだった。どうすれば工面できるか、その方法はただひとつ。自分の代わりにお金を立て替えてくれそうな人間を、一緒の席に誘うのだ。
それが、松野家三男。松野チョロ松だった。
「ないならない、と素直に言えばいいもんを……」
青は、元々お酒を飲んでいたのもあって、最初から日本酒を飲んで管を巻き始めていた。最初の突き出し以外、特につまみもなく水を飲むようにおちょこを仰ぐ。
それを横目に見ながら、松野チョロ松は兄の到着をひたすら祈っていた。彼にとって、女性と二人きりの簡易な個室は、ただ高いお酒を飲むより、高級料理を食べるよりハードルが高いのだ。しかも、そんなときに限って、当の兄は突然の用事が入ったので遅れるという。
「青さんは、十四松の友達なんですよね?」
「友達…。うーん、そう、なんですかね?たぶん?」
チョロ松が青本人を認識して驚いたのにはわけがある。
狂人と家族のうちでも名高い十四松が、いつ振りになるだろうか、その口である日「友達ができた」と言ったのだ。それより以前に、野球をしてのどが渇いたところにお茶をくれた、と聞いていた。その相手と(話から推測するに)とんでもない場所で再会し、そして夜中に徘徊していたところを救助され(あの玄関で眠っていた日のことらしい)、更にはその日のうちに一緒に食事をした(おでんだったが)という機会が重なり、とうとう連絡先を交換したという報告を受けた時には十四松の中で青という相手は「友人」になっていた。
女性だ、ということは知っていた。
また、おそ松の話からぱっと見る限りでは、トド松が知り合うような女性らしい女性という人ではないということも聞いていた。ところが、その弟のこととなると時々変に過保護にする兄が、意外にもその女性のことを気のいい人だと思っている、ということにチョロ松はいち早く気づいた。だからいつか、会う日が来るかもしれない、とは思っていた。
(今日だとは聞いてませんけど?!)
チョロ松は、ちびちび、青と比べるとかなり遅いピッチでビールを飲む。
なぜか、彼女と会いたいと思っているトド松やカラ松でさえ、いざ、彼女と会えるかもしれないというタイミングになると都合がつかなくなる。それは別段特別なことじゃない、と今でもチョロ松はそう思っているが、兄のおそ松はそうでもないらいしく。「不思議だ。不思議だ」と、首をかしげていた。
「えーと、あの、……青さんはお酒お好きなんですね。よく飲まれるんですか?」
「ああ。好き、というか。そうですね。でも、そんな。多少は依存してますが、他人に迷惑をかけるような飲み方はしませんから。安心していいですよ」
青が滑らかにそう言い訳をするのを聞いて、お酒が入っているからなのか、もともと口数が多い人なのか、チョロ松にはわからなかった。ただ、最後の一言だけには首をかしげる。
「え?」
「心配してるんですよね?兄弟が友達っていう相手がこうじゃ、無理もないと思いますけど」
「い、いやいや!そんな!」
どきり、とした。
質問の意図のほとんどは場を繋げるための話題だったが、青が指摘したところが心配でなかったかといわれれば、はっきりとは否定できなかった。なんて勘の鋭いひとなんだ、とチョロ松は背筋が伸びる。
そんなチョロ松の様子を見て、青も内心深くため息をついた。おそ松のようにフレンドリーな相手ならともかく、チョロ松のようにどちらかといえば彼女自身と似た性質の人間とすぐに仲良くできるはずがない。青は色々な打開策を考えて、全て諦めた。面倒だったのもあったが、そもそもおそ松が悪いのだ、と今後の展開に気を使うことを放棄したのだ。
「チョロ松さんは何番目の六つ子さんなんですか?」
そうなると、青の独擅場である。意味のない、とりとめのない話は得意なのだ。おおよそ、初めて会った十四松ともこうして間をつないだし、そもそもなんとなく親しみやすいおそ松には端からこの態度だった。
「あ、え?三番目です」
「わたし、五人兄弟の一番上なんですけどね。真ん中の兄弟にはいつも迷惑をかけてばかりなんです。六つ子さんって、どんな感じなんでしょう?」
「同じようなもんですよ。いや、もしかするとはっきりした順番がわかりにくい分、ずっと面倒かもしれませんが」
チョロ松は、ため息をつきながらビールをすぐに空にした。青は、これは長くなりそうだな〜、とのんびり思いながら話を聞く姿勢に徹することにした。
「便宜上ね、便宜上ある順番なんです。長男なんか、昔のまんま、ぜんっぜん成長してない男ですから、僕がしっかりしなきゃなってなるんですよ。いや、次男もあれで普通にしてれば頼れる男なんですが、普通にしてればね。でもね。いや、僕もこんな言い方したくないんですが、そもそも同じDNAでできた生き物ですよ。ちょっと違いがあるだけで、長男六人いるようなもんですから。ただでさえご近所からは六つ子ってことで注目を集めてきましたが、この年にもなれば視線も冷え切ってきてね。ここまでクズだともう笑えるっていうか。あ、ビールもう一杯追加していいです?ああ、ボタン押してもらっちゃってすみません」
うんうん。と、チョロ松の話を聞きながら、青はお酒を飲むピッチを下げた。それに反対するようにチョロ松の飲みの勢いが早くなってきたからだ。
(話を聞くのは嫌いじゃないけど、この人たぶん潰れちゃうな……)
青はそんなことをぼんやり思いながら、机の上においてあったチョロ松の携帯が光ったのに気づいた。そっ、と何気なくその画面を見ると、おそ松からのラインの内容が写っている。
(おそ松……。あんた、ぜったいこの借りは返してもらうからな)
ラインには軽快な顔をしたデフォルトのキャラクターの顔と、「ごめん、別のところで飲んだから行けないわ」という目を疑うような内容が青の位置からもはっきりと読めた。
***
以前、話したことがあっただろうか。
わたしは、このあたりに最近引っ越してきたばかりの新参者だ。それでも、自分自身が住んでいる町の一帯と、その周辺は大体行きつくしている。どこに何があって、どの場所の隣に何があるか、それを覚えておくと助かることが多い。
でもそれは、もちろん大雑把な内容で、特別記憶力がいいわけでもないわたしは、地図のように町中を把握してるわけじゃない。つまり、地理のわからない場所に入るとてんで帰り道を見失ってしまう。
あれから、案の定酔いつぶれてしまったチョロ松さんを背に(成人男性を背負う女として、さぞ滑稽に思われただろう)、彼の家に向かっていた。送る義理はなかったが、放っておくこともできず、更に会話の流れから明日外せない用事があることを聞いてしまっていたので、見捨てることができなくなってしまっていた。苦労話を聞きすぎて、同情心が沸いていなかったといったら嘘になる。
それでも、わたしはそれを分かっていても、もしも昼間のことを少しでも覚えていたら、彼を店に置きざりにしただろう。
何度、角を曲がったか分からない。とにかく、ただでさえ重いのにすっかり意識をなくした鉛のような体を背負いながら走れたのは本当に少しの間だけだった。疲労骨折でもしてしまったのか、わたしの両足はあちこちが痛くて仕方がない。それでも、かなり奮闘した方だ。昼間の「あれ」に見つかったことに気づいて、更に、背中に人を背負っているところを見られたとなれば、チョロ松さんをその辺において逃げることもできなかった。一緒に巻き込んでしまうことも怖かったが、なにより、目の届かないところで「あれ」に巻き込んでしまうことの方が怖かった。
とうとうわたしは一歩もまともに歩けなくなり、恥をしのいでどこかの物置のような場所にチョロ松さんを押し込み、私自身もねじはいった。相変わらず気配は追いかけてきたが、間一髪見失ってくれたらしい。このあたりをうろうろと動いてはいるが、物置の戸に気づきそうにはない。
酔いなんてとっくに醒めていたが、同時にすっかり酔って夢でも見てるんじゃないかとすら思えてくる。かろうじて現実味があるとすれば、目の前の暢気に寝ている一人松のおかげだろう。とにかく、わたしは自分自身の震えや、我慢しようのない恐怖から来る涙を拭くよりもまず、ポケットからお守りを取り出した。少し考えたが、それをそのままチョロ松さんの首にかける。
それから、祈るようにチョロ松さんの携帯を取り出して、たった一人、この状況を解決できそうな人にラインをつないだ。なんて切り出そう。とにかく、震える手で『緊急!気づいたら返事ください』と、打った。
『なに?』
すぐに、反応が返ってくる。
『十四松さん、青です。道に迷ってしまって困っています、GPSで探して見つけてくれませんか』
まったく、本当のことを説明できないとはいえ、自分でもあんまりな内容のメッセージに涙がこぼれるのを抑えられない。こんな内容でも、迎えに来てくれると信じるしかない。
『地図見れば?チョロ松も一緒?』
分かってる。地図を見ればいい。でも、自分の居場所なんてわかっても意味がない。ここから出られないのだ。
『ごめんなさい、道に明るくなくてさっぱりなんです。チョロ松さんも一緒ですが、寝ています』
『電話していい?』
それだけは!
『電話はなしで!』
『わかった。待ってて』
ちょろまつさんの首にかけたお守りを見ながら、わたしは電話を握り締めていた。間違えても音が鳴らないようにマナーモードにして、それでも不安でスピーカーの部分を必死で押さえながら。
十四松さんはきてくれるだろうか。
「あれ」の気配が近づくたびに身を凍らせて、時々、こちらを見ているような気すらしながらも、体中冷え切っているのを実感していた。どれほど待ったか、もうこれはやっぱり全部夢で、ずっと夜さえ明けないと諦めかけたころ。スッ、と「あれ」の気配が遠ざかったのが分かった。そして、死んだみたいに物音のしなかった外から、ばたばた、と走る音が聞こえる。
「おかしくない?」
がたん、と戸が開いた。でも、そこにいたのは十四松さんではなかった。
「……何松さんですか」
「おそ松だよ!!おかしいだろ!なんでこんなところにいるんだよ?!どんだけ探させるんだっつーか、かくれんぼかよ?!」
「……じゅ、十四松さんは…?」
「そうじゃないから!ちょ、てか、号泣?!なんなの?わけわかんないんだけど」
「十四松さん、いないの」
「おまえ、どんだけ十四松がよかったんだよ……。混乱するから、質問に答えろって」
十四松さんがよかった、という意味がなかったわけではないけど、そうではない。「あれ」がいなくなるのに、十四松さんじゃなければだめだと思っていたからだ。
でも、この六つ子は、ことごとく色々な予想を裏切ってくるし、今回もそのうちのひとつかもしれない。
「なんか、おまえ昼間も変だったよな。変なのに追いかけられたか?」
そうなんだよ!と、叫びたかったが口を閉じた。ああいうものは、言葉でも伝染する。
「なんでもないんです。酔い過ぎちゃったかな……」
「おい」
「中にチョロ松さんいるんで、運んであげてください。わたし、帰りますね」
「おい!」
まともな人間と一緒にいると、スッと頭が冴えるようだった。わたしはやっぱり頭のおかしい人間で、あの気配というのも錯覚で、そんな頭のおかしい茶番にこの人たちを付き合わせたのだという事実だけがこの場にあるのが分かるからだ。
十四松さんがよかった。彼はきっと、私がどんな様子でも、何も聞かなかっただろう。聞かないで、へらへら笑って「またね」と言ってくれただろうから。
「一通り見て回ったけど、変なのいなかったよ」
ぞく、っと背筋が凍った。
私たちのいる小道と、ほかの小道をつなぐその場所に、その人が立っていた。すぐにわかった。「あれ」は、この他人を避けたのだ。
「わるい、一松。チョロ松背負って帰っててくんね?おれ、こいつ送るわ」
「は?……いいけど」
一松、と呼ばれた彼はてくてくと私の隣を通り過ぎた。わたしは、目をあわさないようにひたすら自分の靴の先を見ていた。
「青?おまえ、送ってくから」
「あ」
おそ松に腕をつかまれて、心配そうに覗き込むその顔を見る。心配してくれる気持ちが嬉しいのは本当だ。でも、「あれ」がまたどこで出てくるか分からない以上、わたしはその気持ちに甘えるわけにはいかなかった。
「だ、大丈夫。ほんと、家こっから遠くないし」
「いや、大丈夫じゃないだろ。つーか、迷ってて呼んだんじゃないのかよ」
「ほんと、大丈夫だから。ありがとう、心配してくれて」
「……じゃあさ、なんであそこに入ってたか説明しろよ」
「……」
「説明聞いて納得したら、おれも安心するし帰せるだろ?」
な?と、優しく、根気強く、おそ松さんはわたしの返事を待ってくれている。
わたしの小さな脳みそは、フル回転していた。どうしたら、ここで分かれられるだろう。
「あのさ」
ふと、後ろから声がかかって、おそ松さんが振り返った。
「らち明かないし。ていうか、大丈夫だって言ってるし、とりあえず大通りまで送ったら帰してあげれば?」
一松さんだろう。淡々と、そう言う。
「いや、だってこいつこんなだし」
「おそ松兄さんが送り狼にならないかシンパイダナー」
「なんだその棒読みは!ならないから!」
「いーから。さっさと進んで。通れない」
狭い通りだ。確かに、このまま二人で固まっていても仕方がない。四人でとぼとぼ歩きながら、ほどなく大きな通りに出た。
「ほんと、大丈夫だな?」
「うん。あ、これチョロ松さんの携帯」
「……そういえば、青さ。十四松としか連絡先交換してないだろ」
「うん」
「一応言うけど、あの携帯おれのなんで。あなた、十四松とも連絡先交換してないですけど……」
なんだって?!
ぽかん、と一松さんの方を見ると、マスクで隠れた表情がじっとこちらを見返して、すぐにそらされる。そういえば、一松さんからさっきほどの雰囲気がなくなったことに気づく。いつ変わったんだろう。
「とにかく、おれ連絡こっちから入れるから、帰り着いたら絶対反応しろよ」
おそ松さんに釘を刺されて、わたしはとりあえずその日は何事もなく家に帰り着いたのだった。
……20151116