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「あ〜……海だわ〜…広いな大きいなぁ〜」
十四松さんと、文字通りさようならをしたあの日から、面白いくらいに色々あった。まず、本当は何も見えなくなっているはずの私の目に、今までと比べれば相当な「影」が写るようになった。わたしの目がどうにかなってしまった、というよりは恐らく、それだけのものを寄せているんだと思う。それら一つ一つを相手にしていては身がいくつあっても足りないってものだ。ああいうのは、散らすに限る。
というわけで、いわゆるパワースポットなる場所をあっちへフラフラ、こっちへフラフラ。とうとう海辺を通る安い電車に乗っているときは、とある有名なアニメーション映画の一コマかと思うほどシチュエーションだった。目の前に黒い影が座っていたので、なおさら。
最後の影はいつの間にかいなくなっていて、とうとう久しぶりの一人っきりを味わいながら海を眺める。
缶コーヒーはもちろんホットで。なんといっても、手の感覚がなくなるほど寒い。
少し前まで、こんなところへたどり着いては、どうやって死ぬかを考えていたのに、ここ最近の私はちょっとおかしい。現に今、家に帰りたいと思っている。それから、家に戻る途中で、十四松さんと会えないだろうかっていう妄想までしてるんだから救えない。
最後にあの人は「またね」と言ってくれたけど、それはおそらく奇跡でも起こらない限りあり得ないだろう。十四松さんに会いに行く前日、電車に乗って行ったのは祖母のお墓だった。ああいう場所は私みたいなのはやたら行くべきではないんだけれど、端的に言うのなら、祖母に会うために仕方なく行ったのだ。祖母と私が血縁者だからなのか、彼女も私に近い何かがあったのか、たいてい「どこにたどり着くか分からない」わたしも、彼女のお墓に行くときだけは所謂彼岸と呼ばれる場所に近づける。それからしばらくは、死んだ人間のようになるので、誰にも気づかれなくなるのだ。
初めてその事実に気づいたのは、祖母の葬式が終わった直後、家族から行方不明だと騒がれたときだっただろうか。試しに一度、無銭乗車できたときはいよいよ自分ことを生きてるのか疑ったレベルだ。もちろん、その後帳尻あわせに切符を買っておいた。所詮、そんな悪いことをする度胸もないのだ。
ともかく。わたしはそんな説明も理由付けもできない事をして十四松さんとお別れをした。そこまでしようと思ったのには、訳がある。
十四松さんと関わったから、というのがもちろん大きな理由だけど、正確に言うと十四松さんが6つ子だったから、だ。
6つ子は六人で一つ。
だから、誰かが巻き込まれて、万が一があったとき何が起こるか分からない。わたしは最悪の場合まで想定して、真っ青になったのだ。十四松さんもおそ松さんも、チョロ松さんだって気のいい人だ。
でもそんなのが後付の理由だっていうことも、私はよくわかっていた。家族と一緒に生活していたときは当たり前だった「普通」と「普通じゃない」区別が自分でも思ったようにできなくなってしまっていたらしい。わたしは私の事情を誰かに説明できないことを、すっかり忘れてしまっていたし、そしてその説明を何度もしたくてたまらなくなっている自分に気づいていた。
事情の説明、なんて出来るはずがない。否定されればそれで最後、証拠もなければ証明もできないし、くどいようだけど、私自身もわたしのことを信用できていない。
家族にいたっては、変人だった祖母に影響されて私が患っていると思っているほどだ。そして、わたしも少なくとも半分くらいはそんな気さえしている。だけど、そうだったらどうだというんだろう。患っているから病院にでも行けばいいんだろうか?そこで、いったい誰がこんな頭をなおしてくれるっていうんだろう。
「ははっ」
思わず笑えてくる。
だって、おかしい話だ。祖母のお墓に行って、死んだみたいになる?そんな漫画みたいな話があってたまるか。祖母が亡くなった時だって、わたしが動転して本当に家出してたのかもしれない。昔のはなしで記憶もあやふや、確認もできないことだ。それが嘘か本当か確認するのが怖くて、あの6つ子に会わないだろう場所を転々と移動してる。
だけど、事実、自分が幻覚だと思いたいようなものが見えるときがあるし、散歩していると行ったことのないような場所に普通ではありえない時間でたどり着いていたりする。
わたしはわたしが可笑しいものだということを証明したい一方で、可笑しいものだと確認できる瞬間に安心したりもするのだ。祖母が生きていれば、こんなに不安定に思い悩むこともなかったんだろうか。彼女が死んでもう十何年も経つのに、自立できていない精神面にうんざりする。
「帰ろう」
とりあえず、わたしが寝床としている場所には、家族も他人も入ってこれないんだから。
***
十四松兄さんが、今まで以上におかしい。
ぼくは末っ子で、甘え上手なんて言われるほうだけど、だからこそ何にも気付いてないってことはない。むしろ、兄弟で比べるなら、おそ松兄さんの次、あるはその次の次くらいには勘がいいとおもう。何が言いたいかって、そんなぼくが気づくんだから、十四松兄さんがおかしいのだ。
「十四松兄さんおかしくない?」
ぼくは、居間で鏡でサングラスをかけた自分の顔を眺めている、兄弟一ネジの外れている兄に聞いてみた。すると思ったとおり、その兄も頷いて「そうだな」と、いう。
ぼくが、おそ松兄さんの次かあるいはぼくより少し勘がいい、と思っている男はこいつだ。松野カラ松。他の兄弟に言わせれば、それは違和感がある考察かもしれない。けれど、事実、カラ松兄さんは兄弟のことに関しては、どこか恐ろしいくらい聡いのだ。
「どうにかできないの?」
「そうだな……」
カラ松兄さんは考えるそぶりを見せたけど、まったく動く気配がない。そうだな、という口で恐らく「大丈夫だ」とわかっているんだろう。
でもぼくは、少し不安だった。十四松兄さんがおかしくなった原因に心当たりがあるからだ。
「あの女の人、どうすれば会えるか知ってる?」
「おいおい、ブラザー。女性のプライベートを詮索するもんじゃないぜ」
カッコつけようとしてるのか、それともごまかすための手段なのか、カラ松兄さんはどんなときでも自分のスタンスを変えたりしない。それにイラつかされないのは、いつも飄々として掴みどころのないおそ松兄さんか、非常識でさえなければ黙っていられるチョロ松兄さんくらいなもんだ。
「知ってるかって聞いてんの!」
わめくように言えば、サングラスの隙間から黒目が僕のほうだけを見た。それから、また元のように鏡を見つめなおす。
「……しらないな。最も、知ってても今のお前には教える気はない」
「十四松兄さんが心配じゃないの?」
僕だって、カラ松兄さんが全く心配してない、なんて思ってない。でも、それ以外になんて言えばいいか分からなかった。
「冷静になれ、ってことだ。十四松が変わったことが、そんなに取り乱すようなことだとも思えないしな」
案の定、返ってきた返事は想像できる程度のものだったし、僕にはそのことが更に目の前のイタい男に劣ってるように思えてイラつくままに言葉を吐き捨てた。
「あっそう!!!」
どすどす、と居間を出て行くとき、入れ違いで一松兄さんとすれ違う。どうしたのか、という顔を一瞬見た気がしたけど、それはすぐにいつもどおり気だるい顔になっていて確認することもできなかった。カラ松兄さんは元々口数の少ないほうだし、それに絡む一松兄さんも二人のときは大人しくしている。どうせ、居間でどこからか入り込んだ猫でも構うつもりなんだろう。
僕は投げてあった上着を着込んで、玄関で乱暴に靴を履いて外に出た。今の時間なら、十四松兄さんはどこか素振りをしにいってるかもしれない。僕は、十四松兄さんの様子のおかしさを確認するつもりもないので、ポケットに小銭が入ってるのを確認して、どこかでお茶をすることにする。本当は、おしゃれなコーヒーショップにでも入ってみたいところだけど、まあ色々わけあって、一番近くのスタバァにはしばらく顔を出したくない。仕方がないので、顔見知りとは意外と鉢合わない駅まで足を伸ばす。少し、歩いて頭を冷やしたいっていうのも本音だった。
時々携帯をいじりながら道を進めば、体が冷え切ったちょうどいいころに駅に着く。これなら、何を飲んでも美味しく感じるだろう。
駅に集まる人には大抵目的があって、特に駅の中のコーヒーショップは人の出入りが激しい。タイミングよく入れば、わりといい席が空いている。今日の僕は、そのタイミングにあやかった。店の奥に腰掛けているのは、少しボーイッシュにも見える女の人だけで、周りの席はまばらに空いていた。
僕はカフェラテを手に、その女の人の座る隣の小さな丸テーブル、二人がけのそこに壁を背にして座る。携帯をいじりながら、さっきはカラ松兄さんに少し強く当たりすぎたな、なんてことをぼんやりと考えていた。でも別に、謝るつもりもないし、本人もきっと帰るころにはそんなのは忘れてるだろう。カフェラテをすすりながらふと、隣の女の人がぼうっと座ったまま、特に何もしていないことが気になり始めた。カジュアルなバレルバッグを足元に無造作に置いて、今時の女性に珍しく携帯は机の上にすら出していない。一冊の本だけはあったけど、栞の位置からもうとっくに読み終わっているのがわかる。彼女は、ぼうっとどこを見るでもなく、人の出入りする入り口をじっと観察していて、それが少しそら寒く思えたころ。
僕の前、誰も座っていなかったその場所に、誰かが座った。
それが、男なのかそれとも女性なのか、確認しようにも首ひとつ動かすことができない。
(うわあ、なんだこれ。なんだ、この変な感じ)
言葉ではうまく説明できないけど、僕は、自分がとんでもない状況に置かれていることだけははっきり分かっていた。でも、どうすることもできないのだ。
なんなら、どんな好奇な目に晒されたっていい、今すぐ「助けて」と大声で叫びたかったが、声どころか、呼吸もまともにできやしない。とうとう、涙さえ出そうになる。その時、隣に座っている女性を思い出して、僕はとっさにそちらに視線をやった。かろうじて、彼女なら視界に入れることができた。
驚いたことに、彼女は僕の向こう側、目の前に座っている「何か」をじっと見ている。そして、おもむろにカバンを取って小説を片手に立ち上がった。相変わらず動けずにいる僕の目の前を通り過ぎる。
(ああ、彼女がここからいなくなったらどうしよう…!)
不安に押しつぶされそうな気持ちを救い上げるように、彼女は僕の目の前に座る人の隣で立ち止まった。そして、その人の方へ身をかがめて何かをしたようだ。僕にはそれが確認できなかったけど。
気がつけば、彼女も、目の前の人もいなくなっていた。
ぼくは、ドキドキ、と早鐘を打ち続ける心臓を押さえて、目を閉じる。あれは何だったんだろうか。まるで、目の前でたった今起こったことが、携帯の動画サイトで見るような出来事のように感じていた。
……20160106