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町に戻ってはや一週間。
そろそろ仕事を探して両親に連絡くらいはいれないと、と長子らしく悩んでた。部屋の天井を見ながら。
青は相も変わらず、お酒をジュースの変わりに飲むような怠惰な生活を送っていた。幸い、経歴には書けば困るようなものはないので、履歴書を書くことに後ろめたさはない。とりあえずバイトだけでも探せばそれなりにあるだろう。もともと働くことは嫌いではないのだ。
隣町にはあれから一度も足を運ばなかった。
だた、一度だけ。町に戻ってきたその日に、駅構内の喫茶店で十四松ではない誰松と隣り合った。しかも、その人が寄せた「何か」を最後の縁だ、と引き離したが。それだけだった。
もう会うことはない。
寂しいことだったが、青の決意の固さは本物だ。それだけの経験があったから、というのもある。既に、十四松(正確には一松だが)と連絡を取ることのできる、いわゆるガラパゴス携帯は、解約済みだった。
外に出れば顔を捜してしまいそうだから、とダラダラ言い訳を続けていたが、そろそろ早朝か深夜の外出だけでは問題がある。青は、その日、一大決心をするようにいつものラフな格好で外へ出た。足りない日用品や、食料を買い込むつもりだ。どこへ行っても顔見知りに会う心配がないこの町は、彼女にとって居心地がいい。
(まずは薬局、それからスーパー……)
買うものを頭の中でリストアップしながら、更に中でも買い忘れては困るものへハイライトする。近くの薬局でもよかったが、少し離れたところまで足を伸ばすのが、青の散歩コースでもあった。そのうえ、離れた薬局のほうが少しだけお得だ。帰りはそこから少し足を伸ばしたところにあるスーパーへ。久しぶりに、温かいものが食べたい気分だな。なんて、考えていた。
薬局へ行くための道は、何の変哲もない人通りのある道だった。大きな交差点を二つほどこえていくが、その一つ目の信号に立っているとき。
(あれ…)
おかしいな。とか、しまった。なんてことを青は一切思わなかった。
特に言葉を考えたわけでもなかったが、いうなれば「またか」という感覚だった。
確かにたった今、交差点にいたはずだった彼女の体は、どこだかもわからない道路の脇に放り出されていた。確かに昼間だったはずの辺りの様子は、すかり夕方へと様変わりしていた。いつものことだった。
しばらくその場に立ち尽くしていたが、なんとなく、場所に見覚えがあるような気がしていた。それから更にしばらくして、その場所が隣町の大通りだということに気がつく。そして同時に、目の前の喫茶店、そのカフェテラスで携帯をいじっている人が目に付いた。
それはたぶん、青が町へ戻ってきたあの日、最後に彼女が会った誰松だった。それだけなら、彼女はきびすを返しただろう。隣町から、家に帰ればいい。けれど、彼女の足は当たり前のようにその誰松のほうへ向かっていた。しかも、足早に。
カフェには、逃げ出したくなるほどお洒落な雰囲気が漂っている。おそらく近づけばわかるだろうお酒の匂いをさせた女が来るような場所じゃない。それでも青には、そんなことを気にする余裕はなかった。手短にホットでカフェラテを頼んで、それを受けとる。急いでカフェテラスへ向かうと、その席をもう一度確認した。
十四松の兄弟、青はまだ名前もしらないその男の傍に、何かがいる。
それは、手のようなものを伸ばして、何度も何度も男の前の席へ座ろうと試していた。座ることができないのは、椅子がしっかりと引かれていないからだ。もう少し分の隙間があれば、それはその前に座るように見えた。それはそのために、少しずつ、そうやって椅子を動かしているのだが、男が椅子に気付くはずがない。
青は一切迷うことなく、その目の前の椅子を引きすばやくその前に座った。席を奪われたそれは、一瞬恨めしそうにも感じるほど揺らいで、それからスッと消えていく。青はそれに胸をなでおろし、しつこい相手じゃなくてよかった、と息をついた。

「あの…?」

***
そのカフェテラスに座ったのは、偶然だった。よく使うカフェが今日に限って休みだったこと、やっと見つけたこのカフェも寒さで室内が満席だったこと、最近知り合った女の子からの緊急ラインが入ってすぐに返事をしたかったこと。だから僕は、まばらにしか利用されてなかったカフェテラスへ移動して、甘いカフェメニューを飲みながら、スマホをいじっていた。
やっと話に一区切りがついたころ、ふと見渡せばカフェテラスにはだれもいなくなっていて、日が赤く傾いていた。少しずつ飲んでいたカップの中身は、もうとっくになくなっている。そろそろ家に帰ろうか、と腰を上げようとしたとき。目の前の椅子に、何かがかすったように見えた。だからとっさに、上げた腰を落ち着かせて、もう一度しっかり目の前の椅子背を見た。でも、当然何も見えない。
僕の中では、不思議な体験をしたあの日から、少し怖いもの見たさの好奇心が育っていた。駅中のカフェで体験したことを、どこか別の場所で証明したい、と考えてるのかもしれない。あるいはSNSの話題になる、なんて思っていた。

突然、目の前の椅子が引かれた。

一度、立つタイミングを逃して、僕はまたSNSをいじっていた。そんな時のことだったから、心臓はガツンと跳ね上がったし、目は白黒していたと思う。ただ、その人が誰なのかすぐに分かったのもあって、動悸はすぐに納まった。
その人は、僕の横を見ているようだったけど、そういう不思議なところがあることは知っていた。僕があの日、カフェで出会った女性が今、どうしてか目の前に座っている。
「あの」
「えっ。あ、はい。すみません、前いいですか?」
化粧っ気のない顔だな、と思った。この時点で僕なら、「減点」と内心跳ね除けてたと思う。けれど、彼女は少しそういうものとは違っていた。
来ている服だって、僕がいつもちやほやしてる女の子とはまったく違う。僕が今まで付き合ったことのないようなひと。
魅力的だな、って思った。
それは、女性として、というよりは人として。そして、ちょっとだけ、一松兄さんに似ている気がする。どこが、というのはうまくいえないけど。ちょっとだけ、だ。
「この前も、会いましたよね?」
僕は、駄目もとで、おそるおそるそう聞いてみる。
目の前のその人は、少し言いつぐんで、それから「そうですね」と言った。細くい指先がカップの取っ手を持つ。仕草がきれいな人だ。言葉使いも、僕にはかなり好印象だった。
「もしかして……」
気分のよくなった僕は、この人に「何かまたいたんですか?」なんて、聞いてしまいそうになって口を閉じた。
それは言ってはいけない、僕の中で誰かがそう言った。その誰か、は十四松兄さんの姿をしていた。とにかく、それを言ってしまったら、彼女とは、もう二度と会えなくなるような気がした。
「もしかして、逆ナン?」
何を聞こうとしていたのか、少しでも悟られないように、いつも女の子にそうするように少し優しく声にしてみる。すると、彼女は少し面食らって、でも口元だけ笑って「そういうわけじゃないんですけど」と言った。
(うわぁ、もう。なんだろう、この人)
できれば、もう、今すぐにでもオトモダチになりたい。そう、思わせるものがあった。
「でも、わざわざここに座ってくれたでしょ?」
「ちょっと外で飲みたくて。でも、外で一人は寂しいので」
「そっか」
もっともらしい言い訳が、実に小気味よかった。思わず、「そうなんだ」と素直に頷いてしまいたくなる。けれど、僕はこう見えても他人の機微には敏感な方だ。上手な嘘くらい、しかもそれが女の子のものなら、よく分かってるつもりだ。
「ねぇ、じゃあさ。せっかくだし名前、教えてよ。僕はね、トド松。松野トド松っていうんだ。よろしくね?」
目の前の彼女は、口を開くのにたっぷりと時間をとった。その間、困ったように眉が下がるから、僕は化粧っ気もないのに、ちゃんと手入れされているその眉を感心しながら眺めることができた。
彼女が教えてくれる名前が、嘘でも本当でも、次に会う約束だけは取り付けるつもりだ。

……20160109

DODO