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「あっ!カノちゃん!」
トド松に一体どうして青という存在がウケたのかは、本人にはまったくわからないままだ。それでも事実、あの日からよく彼に発見されることが増えた。とはいえ、それはここ二週間ほどの話で、彼にとっては今のところ興味のある対象が自分なんだろう、と結論付けていた。
ちなみに、カノというのは祖母の旧姓を名乗った青に、彼がつけたあだ名だった。青とってそういうのは久しくなって長い。少しも浮かれなかったかと言われれば嘘になる。
「トド松さん、こんなにわたしに遭遇するなんて、本当に働いてないんですね」
呆れるようにそういえば、トド松は少しも恥ずかしがることなく「うん、そう言ったでしょ」と可愛く小首を傾げて見せる。
「ねえ、それよりケイタイ!買った?」
「まだですよ」
「ええ〜?こう言うのもなんだけど、イマドキ無いと不便じゃないの?」
そう言われれば、勿論そうだ。便利か不便かの二択なら、もちろん不便に決まっていた。
「無ければ無いなりに。やりようはいくらでもあるんで」
だからまだ、青はケイタイを、ましてやスマホなんていうお洒落なものを手にする気はなかった。
「そういうもん?」
「まあ、トド松さんには合わないでしょうけど」
手と携帯が繋がっているような人には、あまりお勧めできない生活水準だ。青は下にいる兄弟の一人がまさにそういう男なのでよく知っていた。
無いなら無いなりに生活できる人、と。無ければ無いことで生活できない人、がいることはわかっている。
「でも僕も、スマホ使いすぎたりはできないし。…ああでも、夜とかいつまでもいじっちゃったりするかも。気をつけなきゃ」
「そうですよ」
だから、寄せやすいんですよ。
とは、言わずにおく。トド松が青とのはじめての出会いを覚えていることは、彼女自身には確信の無いことだ。けれど、トド松がその話題を出さない賢明さをかっている。それから青の中では、時々変なものを寄せやすい体質を心配している、ということになっていた。
「ところで、トド松さんはまたなんでここに?」
「うん。もうすぐあがりでしょ?」
ストーカーかよ。
青のそんなジットリとした視線をものともせず、トド松は「この前この時間だったから」と笑った。トド松の目ざとさには、何度も舌を巻いている。なにせ、バイトを始めて程なく居所が見つかってしまったからだ。どこからか情報を入れたのかもしれないし、偶然なのかもしれなかった。それでもトド松という男の食えなさ、を思い知るには十分だった。
青は内心で頭を抱えていた。連絡を取らないようにしていた6つ子とまた、どうやっても繋がりが出来てしまう。そして、それをやっぱり喜んでいる部分があることも、自覚があった。
「悪いですけど、おごれないですよ」
「うん。少しでいいから飲みにいこ」
「おごらないですよ?」
「わかってるって」
それなら、と渋々頷く。
もともと青は人付き合いが得意なほうではない、と自負している。社交性のあるトド松と比べれば、必要最低限のコミュニケーションしか取れない。バイトで入っているお店も個人経営の飲食店で、余計な上下関係はまったく無い。しばらく他人との関わりは遠慮したいと思っている青にとってはもってこいの好条件だ。
時間いっぱいまでバイトをこなし、店長に挨拶をして外に出る。トド松は、可愛い桃色のマフラーに首をうずめて待っていてくれた。

二人で、目的のお店へぽつぽつと歩く。

青ははじめ、トド松が十四松へ自分のことを話すんじゃないか、と心配しかなかった。それどころか、わざとバイト先を嗅ぎつけたつもりでいたからなお更のこと。しかしそれは本当に思い込みで、トド松はとうとう今日になるまで自分自身の兄弟の話すらしていなかった。
だからなんとなく青は、新しい友人ができたように錯覚できたと思う。特に、トド松は物腰が柔らかく、女心というのを理解したいという気持ちに余念が無い。それが面白い、なんて思っていることは秘密にしている。
「あれ?おかしいな」
突然、トド松がそういった。
青はハッとして、ぼんやりしていた頭を持ち上げる。
「こんな道、通るっけ?ごめん、迷ちゃったかも」
トド松は「あれ〜?」なんて呟きながら、スマホを取り出した。たぶん、地図アプリでも見るつもりだったのかもしれない。それをとっさに止めようとした青より早く、その口からため息が出ていた。
「だめだ。充電切れちゃってる」
「そ、っか」
ホッ、と胸をなでおろした青は、こっそり自分自身の腕についているアウトドア用のゴツい腕時計を確認した。時計は、体感時間と然程変わっていない。当然、日付も同じだった。
(油断してたなぁ……)
最後に、誰かとこういう経験をしたのは、もう何年も前の話だ。それはそう、青の祖母が健在だったころ。祖母とは何度となく、こうして一緒に迷ったのだ。そんな時、どうやって道を戻るのか、どの方向に歩けばいいのか、周りの見方、空の見方、それらを幼い子供に何度も何度も刷り込ませてくれた。
それこそが、青が見知らぬ土地へ出かけても、大事にならない一番の理由だった。
「どうしよっか。なんか、人通りもなさそうだし…来た道もどる?」
「いいえ」
青は、道を振り返ろうとしたトド松の腕をグイッと引っ張って、前を向けた。
「こっちですよ。わたし、この辺ならわかりますから。行きましょう」
当然、嘘八百。けれどもトド松は聞き分けよく、一緒に歩き始める。道はまったく見当もつかなかったが、どの方向に行けば帰れるのかはちゃんと分かっていた。
迷ってしまったとき、どこか分からない場所ならなお更、後ろに進んではいけない。というのは、祖母が口酸っぱく言い聞かせたことのひとつだった。青はトド松の手を引きながら、懐かしく思い出す。
どうしてトド松を巻き込んでしまったのか、心当たりもあった。
カフェテラスで初めて会話したあの時、とっさに思いついた本名以外の名前が祖母のものだったからだ。青はそのことにマズさを感じはしたが、本人である祖母はもう既に亡くなっているし、と甘く考えていた。
「カノちゃん、大丈夫?」
「はい。ごめんなさい、なんか…」
青は、トド松への申し訳なさを肩に背負うしかなかった。今までもこういった甘さが、いつだって周りを巻き込んでは、後悔先に立たずの状況を作ると知っている。知っているのに、何度となく繰り返してしまう。
「え〜?なんで謝るの」
「…その、えっと、ほら。わたしが携帯もってたら、少なくとも場所とかもっとちゃんと分かりますし」
「そう?」
でも、知ってる道なんでしょ?じゃあ、べつに一緒くない?
トド松は明るく励ましているようにも見えた。実際、こういうやり取りなら、彼自身は小慣れている。なにせ、青以上に卑屈で、テンションの浮き沈みが激しく、それでいて考えていることの読みづらい兄が一人、もう何年も一緒に生活しているのだ。どうすれば流せるのか、気持ちを持ち上げてやれるのかは分かっている。それにかけてはトド松自身、ちょっとやそっとの精神科医なんかより上手いという自負もある。
「あの、トド松さん」
二人が歩いてどれほどたっただろうか。ほんの三十分ほどの距離だったかもしれない。青は目に見える先に、人通りのあるとおりを確認して、その隣に呼びかけた。
「ん?」
「わたし、嘘ついてることがあるんですけど。今、訂正していいですか?」
それは、青なりに考えて、そうしたほうが良い、という結論だった。祖母の名前を知られたままでいるよりは、全く無関係な名前で、あるいは最悪本名のほうがずっとマシには違いない。そう、考えてのことだ。
「いいけど。それ、ぼくが聞いちゃっても、今までどおり会ってくれる?」
ぴたり、青は足を止めた。
隣を歩いていたトド松も、それにあわせて立ち止まる。じっ、とその十四松に似ている顔を見つめながら、何も言葉が出てこなかった。
「会ってくれなくなるなら、嘘ついたままでいいよ」
「それは……」
「たぶん、僕は君が黙ってることを本当は知ってると思う。でも、まだ知らない振りしてあげられる。だから、友達でいてよ」
青は、ぐっ、と奥歯をかみ締めてうつむいた。泣いてしまいそうだった。
十四松と同じ顔で、また同じように「友達」だと言ってくれる。トド松の優しさが、少し図太いその自信が、泣きそうなほど嬉しかった。そして同時に、胸がつぶれそうなほど苦しくて痛い。傍に来てくれる相手の優しさを、かけがえの無さを思い知るほど、決して自分が馴れ合ってはいけない存在なのだ、と強く自覚するからだ。
青はそんなとき、心の中に天秤を用意する。その片方には相手を乗せて、もう片方には自分を乗せるのだ。重さなどとうに分かりきっている。

「トド松さん、わたし名前は青っていうんです」

トド松が悲しい顔をしたので、青はその優しさに感謝して笑う。その時には、握っていた手をしっかりと離す決心はできていた。

……20160110

DODO