>エースとは、オレが両親の都合で引っ越す前からの知り合いだった。オレの引っ越し先に、後からエースがやってきたときは幼心ながらによく理解したもんだった。おれ達は、いわゆる腐れ縁という間柄になるんだってことを。そして、それからしばらくもしないうちに、その縁にルフィも紛れ込んでくる。

その女の子と初めて会ったのは、小学三年だったか、四年だったか。そいつの最初の頃の印象を言えば、間違いなくいい方じゃなかった。
特に出来るわけでもないくせに、他人の前へ出たがる姿が、子供心ながらにウザったいと思ってた気がする。そんなやつなのに、いつの間にかエースの傍をちょろちょろとし始める。
男同士の子供の時の友情ってやつは複雑で、おれはそれを許してるエースにイライラしてたもんだった。女と喋って仲良くするなんて、と。
余談だけど、オレの母親も父親もろくでもない奴で、オレはだから、女に対してあんまりいい印象がない。

『できるよ』

あの日。オレ達がきんちょが遊び場にしていたその場所に、高学年の小学生がやってきたことがあった。
当然、あんまりいい空気にはならなくなって、終いにはそいつらと勝負をすることになっていた。その勝負の内容が、今思っても肝を冷やすようなもので、負けん気の強いルフィやエースも、その勝負を受けようとしなかった。
木の上を飛び移って公園の端までいく、なんて、正気の沙汰じゃない。
でも、そいつは。青は、はーい、と学校の先生の出した質問に答えるように、一の位の掛け算を言うように、何ともない風で手を上げてスルスルと木の上に登っていく。
木の上に登るくらい、確かにあの頃一緒に遊んでいた男子たちには、誰にとっても訳もなかったが、女でそれが出来るのは青だけだった。
今でもその公園を通ることがあって、その度にあの木の高さに息をのむ。


「できるよ」


ぷしゅっ、と小気味いい音を立てて、ビン入りの炭酸ジュースが開けられた。固いから、とマルコさんが言ったのを横から手を出して取り上げたのは、青。ハンドタオルを出すと、それを滑り止めにすんなりと開けた。
運転席にはエース、助手席にはルフィ。
てっきり、助手席に座りたがると思っていた青は、当たり前のように後部座席に座った。ファミリーカーの後部座席は二列で、一番後ろにオレと、急に参加してきたサッチ。その前に、マルコと青が座っていた。
「はっくぶっつかーん!」
ルフィは、車に流れているドライブミュージックに合わせて、そんなことを歌う。直前まであんなに興味が無さそうだったのに、どうやってあんな風にテンションを上げたのかは、さっぱり分からなかった。
なんてったって、一昨日の夜の前までのメールでは、博物館に行く途中のドライブスルーの方が楽しみだと打ってあったのに。
「で、なんだってあんなにルフィは楽しそうなんだ?」
それは、マルコさんも気になっていたらしい。聞かれたのは、青だった。
「クジラの骨があるって教えたら、あんな風に」
「クジラ、ねぇ?」
マルコさんは、それでも不思議そうに相槌を打っていた。
「それから、今、特設展示で白亜紀とジュラ紀の化石も展示してあるし」
「そりゃあ、お前の興味だろ」
思わずツッコみを入れたのは、サッチだったが。オレもおんなじ気持だった。
「海が好きだって、前から言ってたから」
そう言って青が出した分厚いファイルには、いろんな海の生き物の写真がはさんであった。
「その標本もあるんだよな!」
ぐいっと助手席から身を乗り出して、ルフィがファイルを指さした。歯を見せて笑って、青に「なっ」と投げかける。それに笑って返事をした青は、ルフィに一枚のポストカードを渡した。
「あ!これ!」
「ルフィが内緒で持ってる分には、大丈夫」
多分、どっからか落としてきた写真を印刷したものなんだろう。そこには、リュウグウノツカイの絵があった。
「ほんとに作ってくれたんだな!ありがとう!」
「いえいえ」
マルコさんは青のファイルを横からめくって、「へぇ」とかなんとか、意外にも真剣に眺めていた。
「青ちゃん!オレにもみせて」
サッチがそう言って受け取ったファイルの中身を、オレも横から覗き込んだ。それは、ネットからコピーしたものだったり、図書館の本のコピーだったり、図鑑のだったり、とにかく色んなものがはさんであった。
こいつは昔っから、こういうやつだ。
良くも悪くも、他人から線を引かれるようなことばっかりをする。でもまあ、それを疎ましく思ってたのは、昔の話だ。もうオレも、そんなに子供じゃない。
「まめだよな…」
ぼそっと、オレがそう言えば、青はただ軽く笑って返事をするだけだった。それは、ルフィにして見せた笑いじゃない事くらい、見なくたって分かった。
今でこそ、また一つの縁のある子なんだと思えてるが、昔はそりゃもうイジメ倒したのだ。未だに苦手に思われてても、不思議じゃない。もしかすると、嫌われてるかもしれなかった。
でも、昔っから。オレは、青のこういうところだけは、真似が出来ないと思っていた。何でもかんでも知りたがって、それを一つ一つ調べて、答えが出るまでその場でずっと考え込む。それだけは、本当にすごい奴で、オレは半端に勉強も出来たから。今思えば、それが妬ましかったのかもしれない。青は勉強の楽しさを知っていたけど、オレはその頃それがちっとも分からなかったから。


博物館を、こんなにゆっくり見て回ったのは、産まれて初めてかもしれない。
やっと半分回った頃には、もう二時間も経っていて、丁度一時を時計の針が指していた。青は最初から、自分はゆっくり見て回りたいから、と言って亀の歩みだったし。面白い事に、ルフィもそれに付き合ってか、同じように展示を見て回っていた。
ときどき、ルフィは青に生き物の名前やうんちくを求めて、それを嫌がる風もなく青は答えを差し出していた。
オレはそんな二人を変に勘ぐるよりも、もっと大事なことに気が付く。それを確認しようかと、マルコさんに目線をやれば、それに帰ってきた無言の返事はひたすら肯定的だった。

ランチを食べて、少し疲れたから、と骨格標本が立ち並ぶ展示室のソファに青は腰を下ろしていた。

「隣、いい?」

返事なんて聞かずに、隣に座ったのはまずかったかもしれない。青はビクッと驚いたみたいだった。
「サボ、さん」
「今日はオレも急に混じって悪かったね」
「…いえ、べつに」
それから暫くお互いに何も言わなかったけど、我慢できなくなったのはオレの方だった。
「エースと喧嘩した?」
勿論、そんな訳がないと分かっていたけど、まずそう切り出した。「まさか」と、案の定な返事が返ってくる。
「でも、全然喋ってないでしょ」
「そんなこと」
青は、そうだとも、そうじゃない、とも言えない様子だった。それが何よりの答えに思えて、それにはその気持ちが少しも推し量れないことが残念だった。
「エースに告白した、わけでもなさそうだね」
青は黙って、俯いたままだった。
「ルフィに鞍替えでもするつもり?」
それは、オレにとって冗談のつもりだった。いつもみたいに、少しは威嚇するような口ぶりに戻ってくれれば、と。
でも、オレが言葉を間違えたことは、すぐに分かった。
ぽたんっ。と、小さな音がした。ギュッと膝の上に握られた手の甲、その上に滴が落ちていた。
「え゛!!!」
心臓が潰れる程驚いたオレは、半分パニックしていた。
そんなにひどい事を言ったつもりも無かったし、青ってやつが滅多に泣かない奴だからでもあった。
そんなオレを笑ったのか、それとも何か別の物を笑ったのか。息を引きつらせながら、青はくつくつ、と笑い声をもらした。
「エースくんには、何も言わない」
ぼたぼた、とそれが涙なのか、鼻水なのか。髪の毛に隠れてちゃ、分かるはずもない。
「わたしは、ルフィを友達だと思ってる」
ルフィも、そう思ってくれてる。そう、なんとか絞り出して言った。
「サボさんが私を嫌いのは知ってる」
そうじゃない、とは否定できなかった。そうかもしれない、と思わせるだけの語気がある声。
いや、きっと。そうだという気持ちがあったから、そう感じ取れたのかもしれなかった。
「わたしも、わたしのことなんて、きらいだから」
だから、あなたの気持ちもよく分かりますよ。と、まるでそう続けたかったみたいに。
「わたしも、わたしなんて、きらいだ」
とうとう塞ぎこんでしまった青の頭を、オレはとにかく撫ぜるしかできなかった。それから、オレは、なんて言っただろう。
「オレは…。昔はともかく、いまは。おまえの事嫌いじゃないから」
とにかく、これだけは確かに言ったと思う。
「ごめん、泣かせたかったわけじゃないんだ」
とも、言ったはずだ。
遠くからこっちへ向かってくるマルコさんを見て、オレはあの人に殴られるかもしれない、とそれも考えていたと思う。


『できるよ』


「何言ってんだ!青!!下りてこい!」
エースが叫ぶように、木の枝に立つ青に言った。喧嘩を吹っかけてきた相手は、もう及び腰で相手にもなりそうにない。
「ねぇ!出来るってば!早くあがってきて。ゴールは、あの端っこの木にしよう」
青はエースの声なんて聞こえない、という風に相手に呼びかけた。
けれど相手はそれに「うん」とも応える間もなく、そそくさとその公園を走って逃げて行った。
「なんだ」
その声を、オレは今でも覚えてる。
いやにはっきりと、耳に残るその声は、冷たくてあっさりしていて、とても忘れられたようなモノじゃなかった。
「青!もういいだろ!下りてこい!あぶねぇ!」
これは、ルフィだったか、オレだったか。
そんな下から不安そうに見上げるおれ達に、青は肩をすくめて呆れた素振りを見せた。
「位置について」
当然、そんな掛け声は木の上の本人の口以外から出るはずもない。
「よーい、」
オレの周りが「やめろ!」だとか「あぶない!」だとか、泣き声でとにかくうるさかったが。
「どんっ!」
その一言を皮切りに、赤いシャツがヒラヒラと木から木を飛び移っていく。その間が、やけに静かでしょうがなかった。
最後の一本の木の下に、隻腕の、一人の男が立っていて、青はその胸に飛び込んだ。赤い髪の、男。そいつは青の父親で、その体に勢いのついた小さな体を、何ともない様に受け止める。

「ほらねー!できた!」

あの男は、にやり、と笑っていたように思う。

………………20130409

DODO