>たかが、おっさんである。髪が赤かろうが、片目に勇ましい傷跡があろうが、隻腕だろうが、海賊だろうが。
どんな条件を付けたところで、その実中身は、たかがオヤジなのだ。
下らないギャグを飛ばすし、下ネタだってお手の物。酒場の女には、セクハラを笑って許される。でもそれは、あれがオヤジであること以前に、女にとって四皇のレッテルを貼られた男だからだ。
中身を知る私にとって、四皇という文字が、オヤジというそれよりも濃くなることはない。
勿論、見た目よりあれが若いことも、一端の船員である私のよく知っているところ。でも、人間ってやつは、時として見た目年齢や実年齢に相応しないのである。
偉そうなことを言いたくはないけれど、要するに、経験とかそういうものは内面を若くも、老もさせるわけだ。
閑話休題。
男が男に惚れる、そんな世界を、女である私は想像から慮るしかない。
あの人の人間性に惚れた、と口々に言うのを聞いても。「ああ、そう」の一言である。私がこの船に乗る理由は、その成り行き云々を除けば、少し別なのだ。
女が男に惚れる、そんな世界からこの船にいる。
それは、あるいは船を沈めるほどの事態かもしれない。その昔、女が船に乗ることが許されなかったのも、そういう世界を越えて、海賊になることが極めて困難だからに違いない。そこを否定できる女は、そうそういないだろう。
所詮人間は動物であり、動物は生殖によって個体を遺す生き物であり、生き物とは死ぬのだ。
そして、その死までの間。男はその遺伝子を何人の女に与えられるが、女が残せるそれは僅かに限られる。
つまり。
何が言いたいのか、というと。
私があの男に惚れている以上、他の男とセックスをすることはない。と、いうことだ。それは、優勢な遺伝子を残したいという、私の本能でもあるし。惚れた男に抱かれたい、という愚鈍な脳ミソの産物でもある。

けれど、それを求めない時間に、意味を見出だせるのか?

答えは、イエス。
あの男の恋人になれなくとも、一夜限りを過ごせずとも、それに意味がないことはない。
それがようやく分かってきたのは、もう船員として何年もこの船に乗ってからの話だけれど。頭のよろしくない私にしては、ようよう答えが出せたものだ、と関心しきりだ。
夢とは、叶わずして、夢なのだ。
私の夢が、この船の頭としてあり続ける限り、喜びと希望が潰えることはない。それを幸福と呼ばずして、なんというのだろうか?
そのどちらも持たず、まるで亡霊のように生きていたあの頃、私はこんなにも海を眺めることが好きだった記憶がない。
見るだけで締め付けられる程の笑顔があることも、知らなかった。
孤独で耐えきれない夜に、酒を飲む仲間がいることが、話を聞いてくれる耳があることが、どれほどに贅沢かなんて、知らなかったのだ。

悔しいかな、それら凡てを与えてなお余りあるあれは、どこからどう見ても、ただのおっさんであるのに。

..........20130310
あぁ、もしかして。
これが男が男に惚れる、その一端であるかもしれないなぁ。
DODO