>赤いもの。林檎。無花果。チェリー。トマト、パプリカ。あ、そうそう。苺も。他にもたぶん、沢山。
私の中の赤って、今までこうだった。きっとこれからもそうだって、思ってた。
日本で見たら、その髪色はちょっと奇抜だったと思う。けど、ブロンドが当然の国にいて、それどころかもっと鮮やかな色に髪を染める事を個性と言える国にいて、その髪色が特別に映った訳じゃない。そのうえ、どんなに欧米で体格が良くても、日本人を見慣れた私には外国にいる人はみんな随分と体格が大きかった。そして、そんな人が当然だと思い慣れてた。瞳の色だって、大して珍しくもない。なにせこの大国には、光の色によって虹彩の色が変わってしまう人だっているんだから。
この国で人を好きになることはない。それは、恋愛対象として。
私の知る「人」とは大きく基準がずれていたし、美しいのレベルも違った。その上言葉も、習慣も違うんだから。当たり前、といえば当たり前だろう。歩み寄ることはできても、一生を分かち合えるほどの理解をしあえるとは、そんな努力をするだけの気力があるとは、私自身が思ってなかったからだ。
だから、そのバーに入ってまず思ったことは、その客の
目立つ筈の真っ赤なレザーコートを不思議がることでも、そのハスキーな声に聞き惚れることでも、ましてやその整端な顔を覗き込むもうと考えることでもなく。喉が渇いたので、とにかく何か飲みたい、の一心だった。
そうでなくても、私は回りのことにはとかく鈍い方だったし、目についたバーカウンターに腰掛けた時にやっと、隣にもお客が座っているのに気付いたし、その人が着ているものが真っ赤なあまり趣味のいいとは言えないレザーコートだったのに気づいた。
それだって、一杯のミネラルウォーターを飲み干してから、だなんてことは未だに明かしてない事実だ。
とにかく。
私がその隣の人物にやっと気がついて、人が込み合っていない店内では、それはまずいと思ったのだ。女がわざわざその場所へ腰かけるのだから、なんと思われても仕方がない。そのうえ、ここの辺りは一層治安が悪いと聞いていた。自意識過剰な考え方な位が身の安全に繋がると、この国で生きていれば嫌でも学ぶ。
けれど、そこには座ったばかりだった。席をわざわざ変えるような真似をするのは(この国の人にとってはどうかわからないけど)、逆に礼に反するし、相手の気に触るかもしれない。
そんな風に悩んでる暇はなかった。どんなに疲れていても、どんなに隣の男の人が優しそうに見えても(見えなかったけど)、たった一杯のミネラルウォーターしか飲んでいなくても、この店を早々に立ち去るのが賢明に思えた。
たぶん、その考え方は間違ってなかったと今でも思う。
「ありがとう」
と、ミネラルウォーターのお金をカウンターに出して、私は席を立ち上がった。
そのとき、初めて私はその隣の男の顔を見たのだ。強いて言えば、こちらを振り向いたその青い(けれどあのときの店内は暗くて、グレーに見えた)瞳と私のそれがかち合った。
ほんの数秒だったと思う。その間に私はその整った顔をしっかりと目に焼き付けたし(それでもやっぱり、外国人のお顔、という覚え方だったけれど)、その人は私に笑いかけてこんなことまでいう暇があった。
「俺の隣じゃ不服だったか?お嬢さん」
そんな訳ではなかったけれど、当たらずとも遠からず。返答に困っている私に、その人は無精髭のある顎をさすってわざとらしく続けた。
「まあ、一緒に飲んでみないか。もしかすると、お嬢さんの考えてるよりいいおじさんかも知れないぜ?」
そして、その言葉に私は二度目の絶句を味わう。
なんと返せば正解なのか、足りないおつむとコミュニケーション能力では二の句が告げないのだ。
そんな私の様子を見て、最初に吹き出したのは、バーカウンターに立つ、バーテンさんだった。
「そうだよ、お客さん。一杯だけでもやってきな。大丈夫、この男がなにかしそうになったら警察呼んでやるからよ」
そのバーテンさんの言葉に一息吐いて、私はやっとぎこちなく笑顔を返した。
「じゃあ、一杯だけ」
それが、ダンテと私のファーストコンタクトだったのだ。
とにかく、それから紆余曲折を(これでもかというほど)経て、私たちはお互いを「親友」と呼べるまでに親しくなった。
彼の変わった友人とも知り合いになり、私は常に暗雲と共にあった海外での人生を、少しは晴れやかにする方法を知ったのだ。
悪魔のお友だちを作りなさい。
「あ、ダンテ」
「どうしたんだ、お前。こんなとこで」
久しぶりの休日。私は大切な用事で外出をしていた。ダンテとは、その道すがらばったりと会ったのだ。当然、彼とも久しぶりに口をきいた。
「ちょっとね。まさか、ダンテに会うなんて思ってなかったなぁ」
「なんだなんだ。こっちは暫く顔見ないから心配してたってのに。随分だな」
悪い意味はないよ、と笑う私の頭を乱暴になぜる手が心地いい。ダンテは、少し乱暴で雑な奴だが、そのなかに少しだけでも優しさがある。それが私は好きだ。じゃなきゃ付き合いきれないって事も相当味わったけど。
「ダンテ」
「ん?」
「もしかして、暇ある?」
「ま、ぶらぶら散歩する位になら暇なんじゃないか?どうした?」
その返事を聞いてほくそ笑んだわたしは、ダンテに恭しく頭を下げて訪ねてみる。
「どうでしょう、素敵なおじさま。私とデートでも」
「悪くない」
口角を上げて笑うダンテは、私の手を強引に引くと、わざわざ抱き寄せて耳元で囁く。私はそれにぎょっとして、思わず体が強ばった。
「で?どんなイイとこに連れてってくれんだ?」
「たんまたんまたんま!」
自分から誘っておいてなんだが、断じてやましい気持ちなんてなかったし、明確に健全な目的だってあった。ダンテは私よりほんの十ほど歳上なのをいいことに、人をからかうことに余念がないわけだ。で、私はというと、それがどうにも恥ずかしい。
でもそれが、どうにも嬉しいのは、私がだらしない女だからでしょうか?という質問は、未だ誰にも聞けずにいる。
「なんだ。ほんといい加減これくらいのスキンシップは慣れてくれよ」
「ばかやろう!ほんと、ばかやろう!」
日本ではそれをスキンシップとは言いません。愛のある抱擁と言うのです。なんて、ぱっと返せる程の英語力が、私にはまだ、ない。そして、言えたとしても言えないだろう。それってつまり、私がそれに愛を感じちゃってるって言うようなもんだ。その通りなのが、癪に触る。
とにかく、と私は今度こそダンテの手をしっかりと「お友だち」のように繋ぎなおして、道をずんずんと進んでいく。
「お前今までどこにいたんだ?」
「仕事だよ。ちょっと遠くまで、用があったの。どこって言われても、あっちこち走り回ってたからなぁ…」
私の仕事はあまり収入も宜しくないし、生活するためには働かなくてはならない。と、いうのは良い子ちゃん過ぎる。
私がやりたいことが、偶然収入があまり見込めなくて、たまたま忙しいってだけだ。好きでやってる。それは、胸を張れる。
「通りで。どうせ食事もまともにしてないな。一回り小さくなった」
「そう見えるだけだよ。変わってない」
確かめてないけど、私はそう言い切った。確かめなくても、ダンテが私のことにそんなに聡い筈がない。ご挨拶みたいな、言葉のキャッチボールだ。嘘だろうが本当だろうが、それに意味なんかなくていい。
「ほんとだ。ちゃんと食え。ぶっ倒れんだろ」
「わかったわかった」
心配してくれているのがどうにも可笑しくて、私は「わはは」声を漏らした。
すると、ごちん、と拳骨が降ってくる。思わず息を飲んだけど、それほど痛くはなかった。ダンテがただこれをするだけに、酷く神経を使うほど力加減をしていたという話を聞いたのは、最近ある事件に巻き込まれてからだ。
「笑うな」
「はいはい。そんな他人のことはともかく、ダンテ。あんたこそ、ちゃんと食べてる?勿論、ピザ以外のまともなものって意味で」
「耳がいたいな」
「メタボリックになってしまえ」
あんな酷い食生活を続けてよく生きていられるもんだ。これだから、こいつらは。
小言の二、三、いい足りなかったけど、目的地に着いてしまったのでわざと言わないでおいた。本当にメタボリックになってしまえばいいのに!
「ここ!」
私が、そのアンティークな扉を開けて中に入れば、ダンテも大人しくついてくる。
最近見つけた、骨董品やそのアクセサリーを扱うちょっと敷居の高いお店だった。
「へぇ、いいな」
狙い通り、こういうものに目がないダンテはうろうろと店のなかを見始める。
私はその様子に、しめしめ、と笑みを浮かべた。
ダンテはきっと忘れてしまっているだろうけど、明日は私にとってわりと特別な日だ。その特別な日に、特別な相手に贈り物をしようと考えるのは、不思議なことじゃないだろう。明日は、私の誕生日だった。
「こんなとこ、よく見つけたな」
「偶然ね。運がよかった」
「…ほんとにな」
ダンテの返事は段々と上の空で、私はそれを棚の隙間からそっと覗いていた。
彼が手に取るものを覚えておいて、それから何か選ぼう。と。まぁ。ありきたりな方法をとることにしたのだ。
(欲しいものが特にないしなぁ…)
私は私の生活に、特別なプレゼントを送るつもりはなかったし、こちらに来てから誕生日なんて一度だって祝ったことがなかった。
けれど、今年の私は。去年よりほんのすこしだけ、わがままだった。
要するに、誕生日に少しだけダンテに会う口実が出来て、少しだけ彼の笑顔が見たくなったわけだ。認めたくないけど、誰かを好きになることで手にはいる視界は、盲目と言っても過言じゃない。私が保障しよう。
「なにか気に入ったのでもあった?」
店のなかですれ違うふりをして、ダンテにこそっと話しかけてみる。
こういう店内では、静かな声色になってしまうのも面白い。ダンテもそれにつられるように、かすれた小声を返してきた。
「あっても、見てるだけさ。相変わらず、金にはモテないんでね」
「さすが、ダンテさま」
からかい混じりにそう反せば、頬をつねられた。これは、痛い。
「お前は?」
そうくると思った質問に、私は用意してた答えを返す。
「この前見つけて、ダンテが好きそうな店だと思って入っただけ。でも、やっぱり見てると欲しくなるね。私もこういうの好きだからさ」
嘘は言ってない。
けど、ほんとのことも言わなかった。
「それって、俺のためだって?」
「そう聞こえたなら、そうなんじゃない?」
どうせプレゼントのことも本気で隠すつもりもない。明日会えればいいと思っていたら、今日会えた。だから、明日だろうが今日だろうが実はどうでもいいのだ。
そのうえ、ダンテからはもう、プレゼントを貰ったようなものだった。
「少しは素直になればいいだろ」
よくいうよ。
と、今度ばかりはわたしは鼻で笑ってやる。
このおじさまは、私に親愛を求めるのだ。そのくせ、私から歩み寄るのはよしとしない。もしかすると、ただの鈍感なのかもしれない。ともかく、そんな男の口説き文句や甘言が、私に響く筈もなく。
なにより、そんな男だといくら理解したところで、わたしがこれを好きであることには変化がないんだから、やってられないわけで。
「なぁ、じゃあここはもういいだろ。久しぶりのデートなんだ。もっと色々回ろうぜ」
「いいけど…?ほんとに、なんも用事なかったの?」
ダンテという男のずぼらさは彼の回りの人間なら誰だって知っている。特に用事がないのに、わざわざ外出するような男じゃない。
「ああ。実はあるにはあったんだか、無くなったのさ。ちょうど暇してるところにお前と会ったわけだ」
「なら、いいか」
あははっ、と声を出して笑う私に、ダンテは不思議そうな視線を向ける。
「なんだ?」
「嬉しいんだってことにしててよ」
その返事に「ふぅん」と軽く返して、ダンテは店を出てしまう。当然、わたしはそのあとを追いかけた。
「で、どっか行きたいとこでもあるの?」
「いや。そうだな…。取り敢えずランチにするか」
「おっ!奢りですか?男前っ!」
「まぁ、たまにはいいかな」
どうせ返ってくる返事に期待をしてなかった私は、目を丸くしてダンテをまじまじと見つめた。
「なんだよ、その顔は」
「これは、悪い予兆か…あるいは、何かの前ぶれか…」
「やっぱり、お前自分で払えよ」
先をいく、すっかり機嫌を損ねたダンテの後ろを追いかけて、私は必死で謝らなくちゃいけなかった。
「ね、ごめんなさい!せっかくだから、お願い!わたしもちゃんとお返しするから」
「へぇ?お返し?」
「そうそう」
ダンテは立ち止まると、ニヤリと笑って振り向いた。
「じゃあ、明日オレの店に来いよ」
「え?」
それって、お返し、とはちょっと違うんじゃないだろうか?少なくとも、わたしの考えるお返し、とは違った。
それに、明日って。
「なんだ、先約でもあるのか?」
「…えっ?」
「お前、分かっててその反応してるだろ」
ダンテは不機嫌そうに、そうじゃなければ照れたように、ぶっきらぼうに言った。
分かっていたけど、それを信じられない気持ちの方が大きかった。明日は、だって。
でも、そんな話をしたことなんて記憶にない。でも。
「わ、分かった。明日は、会いに行くね」
素直になっておこう。
「…ん」
気まぐれ屋で気分屋で、どうしようもない友人の、どうしようもなく好きな貴方の、その優しさが嬉しいから。
そして、それに恋しなさい。
…………………201305264D
この恋は赤い。
DODO