>海賊になった経緯、は長ったらしくなる上にとても詰まらない話なので割愛する。
同じ海の上の戦士なら、海軍でもよかったのかもしれないが、生憎素性もはっきりと証明できないような私には、その選択肢はなかった。そのうえ、別に海の戦士になりたいわけじゃなかった。
必要に迫られて、というやつである。
体を売るような度胸もなく、働くにも、住む家を見つけるにもあてがなく。気がついたら海賊船に乗り込んでいて、まあ、色々あったことは否定できないにせよ。今はこうして、立派にその一員なのだから、結果オーライじゃないか。
最初の頃こそ病気や怪我が絶えなかったとはいえ、それにも直ぐに慣れた。
丈夫な体を持って生まれた事を、これほど感謝した事はない。自分を強く持つ、というのはまずは肉体あってこその精神論だという事を嫌というほど思い知らされたのだ。
「よーう」
さて、我らが海賊団の船長を紹介しよう。たった今、海を眺めるわたしの傍にやってきた男。
聞いて驚くなかれ、四皇と謳われる大海賊がその一人、赤髪のシャンクス、とはまさしくこの船の船長である。
へらへら、と笑いながら、がぶがぶ、酒を飲むどうしようもない人間で、しかし、そんな人間にだって人徳がある、という世の廃人から尊望のまなざしを貰い受けるだろう。
「なぁ?」
もちろん、下っ端の私に彼との関わりはあまりない。
いい男、といわれ女が言い寄ってくる理由もよく分るので、この船に乗ってる私も例外なく、彼に対しては所謂恋心というものもあるだろう。しかしまあ、その一線を越えられるほどに愛情深く求めたいか、といわれれば否なのである。
適度に距離を保ちつつ、この船に乗せていただいている恩を返しつつ、いつか時が来れば道は別れるだろうその日まで。
わたしはいちクルーであり、あの片腕の男は船長だ。
「おい、てめぇ!聞こえてんだろ!」
「聞こえてますよ!」
どういうわけか、女性クルーが今までいなかったこの船に、私が乗り込むことが出来たのは多々理由がある。
そのお陰で散々な目に会いもしたけれど、今となっては、信頼を得る事が出来るための道のりだったような気もして、まんざらでもない。
「何してるんですか、船長。この島のお酒を買いに行くって、張り切ってたのに」
たった一人の女、というと聞こえはいいが、その扱いは至ってぞんざいなものだ。私はそのほうが気が楽でいいし、男所帯にいて女と強く認識されるよりはマシだろう。
この船の進む先で、これからも、自分が弊害にならないように勤める事が私の義務だ。
「いや、なんとなく。遠めにお前が見えたんでな」
「酒飲みのお誘いなら、結構ですよ。何度も言ってますけど」
「ちぇ」
おかしら、としては私と親睦を深めたい。と、いう気持ちがあることを聞いたのは、少し前の話だ。
私が距離を置いて、世話になっている姿勢、を崩さない事をよく見抜いているんだと思う。自分でも、それじゃあまるで客人だと思うこともあるけれど、客人ならモップは持たないだろうし、掃除もしないだろう。戦闘に加わる事もないだろうし、冗談を交し合う事もない。随分と、この船のスタンスに慣れてきて、あの副船長の目すら誤魔化せてきているはずなのに。だ。
さすが、一個団体の頭、とでも言うべきか。実際、難攻不落の壁は、船長である赤髪ただ一人だった、という話だ。
「俺の船に乗ってるのは、楽しいか?」
「もちろん」
それに対する答えなら、即答できた。
もう、あの船に乗って短くない。積み重ねてきた時間が、これから積み重なっていく時間が、嬉しくてしょうがない。その気持ちは、強い。
「そうか」
と返ってきた返事に、しかしその表情は腑に落ちていない様子だった。
でも別に、それを気にする必要は無いのだ。相手が「そうか」といったのだから、その表情を慮って深読みなんてしなくていい。
「そういえば、長くここにいますがこうやって話をしたのは初めてかもしれませんね」
「そうかもな。俺をあれだけ避けておけば」
避けていたわけじゃない。私がただの下っ端で、話をする必要がなかっただけだ。
「所詮、次の穴倉まで。なんて、考えてんだったら、さっさとそりゃ捨てるといい」
いや、でも。もしかするるとわたしは、ひっそりと彼のことを避けていたのかもしれない。彼や、彼を主に取り巻く重鎮達。鋭い目を持った、誤魔化せそうにない人たち。
「……なんのことですかね」
「それが本心なら、構わんが」
肩をすくめる船長に、わたしは一瞥を送るだけだ。
「どの道もう、お前も賞金首だろう」
それは今朝の朝刊の中。
今まで息を潜めて生きてきた私の、恐らく命のカウントダウンが始まった瞬間。
わたしは晴れて、犯罪者になった。生きるも殺すも金になるような、賞金首に。
「それで、船長自ら祝杯でも?だから、お酒を飲みに誘おうと?」
「いや、違うな」
苦笑する彼には、私がどう見えているんだろう。
狢に見えるだろうか?そんなことだって、もうどうでもよかった。
「この世の終わり、って顔してるって聞いたんでね」
慰めに来た。と、言う。
「船長が?そりゃ、贅沢だ。私には、明日の命があれば、それでいいんですよ」
「面白いやつだな。もっと、はじめから話しあっときゃよかった」
「そんなのは気のせいです。面白い人間は、楽しく生きられる」
苦境を笑い飛ばすことだって、できる。
私には、そこまでの気持ちはない。いつだって、孤独の旅をする。どこかいつか折れてしまいそうな心を持って、果てない明日を「またか」と生きる。
楽しい事なんて、ない。同時に、辛い事も、ない。
「そうだな。少なくとも、そんな顔はしない」
船長はわたしの顔に片手を添えた。
当然驚いたわたしは身を引いたけれど、そんなのはなんの抵抗にもならないほど、強い力。
たかだか片腕だというのに、わたしはどうする事もできない。
「な、んですか」
「いっちょ前に動揺はするんだな。惚れたか?」
私の体中に、かぁっと血が上る。
されなれていないことを、言われなれていないことを、平気な顔して聞流せるほど腐ってない事だけは実証された。
「これで何の反応もなかったらどうしようかと思った」
「どういう、意味ですか」
「まあ、こーいうことだ」
キスだった。
しかも、避けようと思えば避けられる、ずるい方の。ああ、これだから嫌なのだ。と、わたしは思った。海賊なんて、海賊といわれるようなやつなんて、と。
ああ、そういえば私も海賊になってしまったのだ。だから、キスを避けられなかったのか。
「避けなかったな。返事だと思っていいか?」
「それは、少し都合良過ぎでしょう。そもそも、あなたがこんな事をした理由も、返事がどういう意味なのかも、私には分らないのに」
「鈍いな。好きだって言ってるんだ」
「嘘」
嘘だ、そんなのは。冷静に考えれば、わかる。
目の前にいるのは、少なくとも、小娘なんかでは手に負えないほどの人間だという事も、小娘なんかでは満足できない人間だという事も。
そもそも、今まで接点なんてなかった相手だ。好きだといわれて、そうですか、なんて返事が出来るはずもなかった。
なかった、のに。私の目はどうかしてしまったんだろうか。目の前にいるのは、確かに、酷く傷ついた表情をした男が一人だけ。
「嘘って、それはあんまりなんじゃないか」
「でも船長、だって。今まで、まともに話した事もないのに?」
それでも、そうであっても。
わたしは、目の前のその表情すら、嘘じゃないかと思えてしまうような人間なのだ。そんな女に、もしも本当に惚れているのだとしたら、これで目を覚ましたほうがいい。わたしは、そんなことも言った。
「相当手ごわいな」
船長は、ため息混じりに笑う。
「いいさ。惚れたほうが負けなんだ。いくらでも、付き合おう」
「いや、だから……」
そもそも、その、付き合うという行為自体が、同意の下で行われるのだというのを、この人はちゃんと分っているんだろうか。
「今までお前は、いつでもこの船を下りるつもりだった。俺たちも、……オレは、それを傍から見てたんだ。そうなってもいいように、放っておいたつもりだ」
そもそも、女が船に乗るなんて。そう思っていたのだ、という。
「それも、今日からお前は一層追われる身になった。オレはもう、お前が死ぬかもしれないと分って、船を下ろす気はない。そもそも、他所にやれないくらいには惚れてるんだ。……何度でも言ってやる。好きだ。だから、オレの女になれ」
「そんなの」
そんなの。それから、なんと繋げたかったんだろう。私にはもう、混乱する頭の中で、答えが出ていることに驚くしかない。
それは確かな言葉ではなかったけれど、早鐘を打つ心臓は、何かの答えなんじゃないだろうか。初めて味わう、紐で絞られるような胸の痛みは、きっとそこに言葉を当てはめていないだけなのだ。
「諦めてくれ。好きなんだ」
いい男、っていうのがどれだけズルいのか。
わたしは今、身をもって知った。もとより、この船をうだうだと下りることができなかったのは、この男に惚れていたからだ。そこには今みたいな、恋愛のような感情がなかったとしても。
この人しかいない、と思って付いてきたのだから。
「……とにかく、返事は…とにかく。もっと色々、お話しましょう?わたしはどうやら、この船を下りることが出来ないみたいですし」
破顔した表情に、わたしはまた胸を痛くした。
もうきっとだめなんだろう。と、思い知らされる。だからこれは、精一杯の抵抗なのかもしれない。
………………20130113/20130706
DODO