>七転び八起き、はあるいは雑草根性とも言う。それはハングリー精神にも似通って、事実、響きだけならお偉い格言に違いない。
青。二十歳を手前にして(とはいっても、本当の年齢は分らない)(物心ついたときから数えて、多分、そんなところ)、その先人の残した精神を見習って、今日もこうして酒樽の中でじっと堪えて生きていた。
人生がいくつかの章で分けられているとして、その晴れやかなる新たな章の幕開けは、自身では選ぶ事も、待ち受ける事もできない。彼女自身が運命論を信じているわけではないけれど、そのある程度の決められたレールの行く末、というのは割と納得している。
そのレールの分岐器は、まさしく列車にでも生まれない限り、「もの」かもしれないし「ひと」かもしれないわけで。青の場合それは、あろうことか、「海賊」だった。
よし、これから新しい門出だ!(その日は、彼女が隣町でまともな就職にこぎつけた日だった)という時になって、すずめの涙ほどしかなかった有り金を、すべて、その海賊が引き起こした乱闘だか戦闘だかで失ってしまった。それだけなら、まだ良かったかもしれないが。そのうえ、持っていた紹介状を、火を起こせる人間に燃やされてしまったのだ。その未来が文字通り、消し炭になったのを、青は今でも涙無しには思い出せない。当然、紹介状もなしに就職につける様な育ちでもなかった彼女は、とうとう、やけくそになって賞金稼ぎになった。合言葉は「海賊はみな消し炭に」。あの日の、灰になって風に流された心を、その言葉が唯一癒してくれていた。
と、どんなに固く拳を握り締めて言っても、賞金稼ぎとしての実績は未だにない。
身寄りのない孤児として生まれた青は、ただひとつ、転んでもひたすら起き上がる精神力だけを頼りに、逃げて逃げて逃げまくる生活ばかりしていたからだ。つまり、戦える力など、あるはずもなく。トラブルに巻き込まれやすく、頼まれるとどうにも「No」と言えない性格に、生まれてこのかたまともに貰い受けなかった「情」にほだされやすい事もあって、寧ろ、どうしてここまで生きてこれたのかが謎な程。
(とにもかくにも。そんなわたしが、どうして樽の中に入っているのかというと)
あんまりにも狭い樽の中が暇で、随分横道にそれた物思いにふけっていた彼女は、首を振った。そして、樽の隙間に小さく開けた穴から、もう一度外の様子を伺う。
海兵の数がやたらと多いのは、当然、青がいるせいではなく。とある海賊の情報を嗅ぎつけたから、だろう。本来なら逃げも隠れもしなくて良いはずの彼女だったが、とある不幸が重なって、海賊に間違われ、半分追われるような状況にあった。その上更に不幸な事に、彼女が海に出るための小さくとも頼りがいのある船は、丁度、大きすぎる軍艦の陰になってその向こうで彼女の帰りを待っている。海軍の視線をかいくぐらなければならず。そのうえ、無事に出航できるように船に傷を負わせるわけにもいかず。海軍が追っている海賊と接触する事は「今度こそ」避けたい。
さて、どうやってここを抜け出すか。そもそも、突然集まりだした海軍の視線から、どうやって目立たずに樽の中から動くか。
痛む頭を抑えつつ、青が固く閉じた目を開いた、時。
驚きで言葉をなくす、とはまさに。覗き穴から見えるはずの景色は、たった一つの大きな瞳に摩り替わっていた。激しく脈打つ心臓に、彼女は一瞬「見つかった」と背筋が凍る。その目は間違いなく海軍のもので、もう、どうやっても逃げ切れそうにない、と思ったからだった。
「あ」
その目は、喋った。
正確には、その目の持ち主が。そして遠くから、別の声が聞こえる。
「麦藁だ!!」「麦藁がいるぞ!」
麦藁だって?彼女は、その狭い樽の中で、滑稽にも身構えた。海軍の次に、「今度こそ」会いたくない海賊とはまさしく、麦藁だった。
「やべ、見つかった!」
その目はまた、喋った。
青がその脳みそで答えを導き出すのと、樽が持ち上がる感覚がしたのは殆ど同時。がたごと、口を開けば下を噛みそうなそんな状況で、彼女は堪えきれずに声を張った。
「下ろっし、してください、麦藁さん!」
「にっしっし!」
団子虫の様な体勢で、樽の中で体中をあちこち痛めつつ、やはり彼女は一番痛む眉間に冷えた指先を当てた。余談だが、青は末端冷え性である。
***
話が遡るのはご愛嬌。それは、二つほど前の島での事だ。
その島は、近くに大きな島国があるのを理由に、リゾート地として人気だった。そんな島でも、ログポースが行き先を選ぶことに理由はない。
青が偶然物入りに立ち寄った店で、食っては飲みを繰り返していた集団が、麦藁海賊団。自身の力量への理解もさることながら、常に大きな噂や事件の渦中にいるような海賊を相手にする気など、サラサラなく。彼女が店を変えようと踵を返した時。件の海賊団の一人が偶然、トマトソースのパスタらしいものを、人間の器官で出来る事かと目を疑うくらいの驚きの吸引力で吸い上げたのを見てしまった。そして同時に、その男と目が合った。
それだけなの、だが。
「つれてきた」
相変わらず、にっこにこと笑いながら、あの時の男が言った。麦藁海賊団の船長にして、噂では赤髪の息がかかった男。モンキー・D・ルフィ、懸賞金三億だったか。
忌々しさを含めて、青はその船の甲板で正座をしていた。トータルパウンティで、残りの人生遊んで暮らせるような面々が、彼女を取り囲んでいるのだ。萎縮、あるいは居た堪れなくて当然だった。
「へェ、あんたがねぇ」
麦藁の航海士、泥棒猫ナミが、青をじろじろと見て意味深に呟く。
「何でしょうか」
こうも、好奇の目に晒されては、堪らない。青は意を決して、強気に顔を上げた。
「なんていうのかしら。素朴な子ね」
直後。考古学者のニコ・ロビンの言葉が、脳天に金たらいを落とすほどの威力で降り注ぐ。青自身、殆ど(この船の女性人に比べればなおの事)ありもしない胸の間を傷めて、心で嘆いた。
つまり、パッとしない人間ということだ。特別な要素を見込めるわけでもなく、実際にそれを持ってるわけでもない事はよくよく自覚している。それでいいんだから。大事なのは、明日を生きていく事で、誰かにスポットライトを当ててもらう事でも、生まれ持った才能を開花させる事でも、ましてや、ちやほやされる美貌を持つ事でもない。でもない、ことは分っていても。そこを割り切れるはずもなく。あーあー、それはそれは綺麗で華やかなあなた方のような人たちと比べればね。という、気持ちが青をふてくさせた。
「用件を、お願い、します」
努めて事務的に、再びそう言いなおす。
「だってよ、ルフィ」
そう船長へと流す長鼻の人物、恐らく手配書のそげキングだな、と青は見当をつけた。
「用件、……ようけん、なぁ?」
「どうとでも言えば良いだろ。お前らしくもない」
頬をかいて首を傾げる船長と、それを小突いたのは、黒足のサンジ(以外に当てはまりそうな人がいない)。
「まぁまぁ、皆さん。こういうことは急いではいけません。ね、青さん」
「えっ」
なぜこっちに振る。
「とりあえず。パンツ、見せてもらってもよろしいでしょうか」
「え……」
絶句する青の目の前から、神速で蹴り飛ばされた骨格標本が飛んでいく。視界の隅で、黒足から踏み潰されている骨がやっぱり喋ったような気もしたが、青は何も見ていないと思い込んでやり過ごした。
ともかく、青の心配事は、これから彼らの巻き起こす厄介ごとに引き込まれるのかもしれない、ということが一つ。そうなっては堪ったものではない、と船長を鋭く見詰め直した。
「じゃあ、あとはルフィに任せるわ。ロビン、お茶の続きでもどう?」「いいわね」
女二人がその場を離れたのを切欠に、どんどんとそれぞれが用事を思い出したようにいなくなる。
「オレは薬の調合の続き、っと」
50ベリーのマスコットが喋ったときは、いくら真剣だった青も目を見開いて、その小さな足取りを凝視したが。サイボーグがいるくらいなんだから、とは思っていても、この海賊団が話題に事欠かない理由を再確認した。
とうとう、最後まで重い腰であぐらをかいていた、海賊狩りのロロノアが立ち上がった。その上「運がなかったな」という、最悪の一言を残し去って行く。
さようならわたしの、明るい海の旅生活。
零れそうになる涙を押さえ、青は薄い瞳で空を見上げた。奇しくも今日は、雲ひとつない快晴。リゾート地であるこの一帯の海ほどに、鮮やかなブルーが広がっていた。
「面白れェやつらだろ」
麦藁のルフィがそう言うので、彼女は頭を戻してその顔を見る。どうやら頷いても良いような雰囲気に、素直に首を動かした。面白い、なんていう次元ではない。もはや、これだけの面々を、良くぞ集められたな、という驚きすらあった。
青が頷いた事に満足したのか、ルフィは更に口を動かす。
「サンジの飯はうめェしな。ナミはどこにでも連れてってくれんだ。チョッパーは医者で、治せねェ病気なんてねーし。ウソップは、うそつきだな。そんで、ロビンは色んなことをしってて、フランキーは何でも作ってくれる。この船も、あいつが作ってくれたんだぞ。ブルックは、音楽家でぇー、ゾロは、ゾロだな」
最後、面倒になってませんか。と、思いつつも、青は苦笑した。要するに、仲間自慢をされたらしい、と気付くのに時間はかからなかった。
海賊だけに油断できないが、この船の面々で、一番他人を騙せそうにないのが麦藁なのは直感でも分る。青は、変に張っていた肩の力を抜いてしまった。未だに連れて来られた真意は分らずとも、だんだんと諦めに近い心境だって生まれてくる。
そんなことを知るはずもない麦藁は、身振り手振り、懸命にいろいろな話をした。麦藁帽子の男の、その旅はとうとう、世間を騒がせているばかりだったけれど。それがどんなに楽しいものなのか、をその口は下手な喋りで語って聞かせる。
「それから、アラバスタのときにはな」
「おい、ルフィ」
いつまでも続くかと思う話を打ち切ったのは、美味しそうな紅茶の香りと、黒足の一言だった。
「みんな、痺れを切らしてるぞ」
黒足のいう「みんな」に、青は見える範囲で周りを伺う。すると、ちらほら、とこちらを見る目と視線が合った。それはどこか、微笑ましくすらあって。
「わ、わかってる!」
麦藁は今まで崩していた足を、しっかりと正座させた。
「えー、と。つまり、だな」
麦藁が正座したのを見て、青はぼんやりと、自分が正座したままだった事を思い出した。
「オレは海賊王に、なる!だから、よ―――――」
一度気になりだすと、足の痺れからくる痛みっていうやつは、なかなか「気のせいでした」なんて事にはできない。真剣そうな面持ちの麦藁の話を、なんとか頭で繋げつつ、早く終わらないかな、なんてことを青は思う。
あれ、最後なんて言ったっけ。
「おまえ、聞いてんのか!」
聞いてはいたが、なにせ、意識をそらしたら引きつって笑ってしまいそうなほど、足が痺れてしまっている。現に、今この瞬間だって。けれど声を荒げた麦藁は、それどころではなくて、と言い訳させてくれそうな剣幕でもない。
「え、と」
「……わかった」
わかった。一体、何が?そう、彼女が聞き返す間なんてなかった。
「ナミ!ログ溜まってんだよな!」
「ええ。出航ならいつでもどうぞ、キャプテン」
「よし。なら今すぐ、出航だ!」
鶴の一声よろしく、各自その準備を進める。その中で一人、痺れなんて忘れて「ぽかん」とするしかない青は、それでも慌てて立ち上がろうとして、こけた。痺れた足にはついに、感覚なんて残っちゃいなかったせいだ。じわじわと広がる、くすぐったさを伴う痛みを足に爪を立てて我慢している間にも、船は波を掴み始めている。
なんだこれは、どういうことだ。を顔中に貼り付けて、青がその白黒させた目を麦藁に向けた。
「なんだよ、逃げねェのか?」
足を崩したルフィは、にやにや、その草履の指の先で青の靴をつついた。当然彼女からすれば、そんな刺激は溜まったもんじゃない。やめろ、というようにキッと麦藁を睨んで問い詰める。
「な、何がしたいの!」
一介の、名も売れていないような、タダの賞金首を捕まえて。と、彼女はダメもとで主張する。
「さっき言ってやったのに、聞いてないお前が悪いんだ」
「だから、でも、意味が分りません!」
「だからよー。オレ、お前を仲間にした」
麦藁は、歩けない青をひょいと抱き上げると、そのまま彼女をキッチンのある船室へと閉じ込めてしまった。
後日、話の出来る仲間が口々に、裏話を語っては面白がった。
麦藁の、仲間自慢の回りくどいお話は、つまり遠まわしの勧誘だったこと。海軍に見つかるようにして彼女を連れ去った理由も、彼女の船を裏で保護するためだったとか。前の前の島で目が合ったときから、仲間になる事が決められていたことだとか。つまり青は、やっとその時、ロロノアの言葉の意味を理解して、何度目かになる分岐器にぶち当たっていた事を知った。逃げ出そうにも、麦藁に丸め込まれてしまう始末。
ただ一つだけ、面白がるだけで答えを教えてもらえない事がある。あの時、うっかり聞き逃してしまった麦藁の言葉。てっきり、「仲間になれ」だと思っていた彼女が聞くには、そうではないらしい。
そして、聞き逃した本当の理由は、いづれまた彼が告げる日まで。
……………20140117
「ジョージ」様へ提出。
素直になれない/「それでは誘惑の準備を」
DODO