>今は快晴。ほんの数時間先のことは分らないが、きっと今日は大荒れにならないだろう。そんな日。彼女の乗るしがない商船は、いつも大体(海賊よけの時以外)同じ航路を辿る。穏やかな日を送るはずだった甲板で、その騒ぎは突然起きた。
「誰だ、お前!」
バタバタ、と喧しくなったっせいで、彼女はすぐに目を覚ました。長い間に染み付いた癖で、物音には敏感に反応できる。開いた本を日よけ代わりに顔に乗せていたが、身じろいだときに落ちてしまった。その本のページを、風がぱらぱらとさらう。
「ちょっと待ってくれ。青ってやつを探してんだ」
自分の名前を聞いてすぐに、彼女は跳ね起きた。船尾の休憩所から船頭へ走る。その声を忘れるわけがない。いや、少し低くなっただろうか。彼女はそんなことを考えながら、その人影の手を掴んだ。
久しぶりに見た顔は、愛嬌のある明るい笑顔だった。
***
わたしは、―――という名前で、まだやっと読み書きが出来る子供。大丈夫、ちゃんと思い出せる。頭がどうかしちゃってる訳じゃなさそうだった。
気がつくと、いくらかの荷物と一緒にその海岸に打ち上げられていた。どうしてこんな場所にいるのか、ちゃんと覚えている。嵐にやられたのだ。お父さんとお母さんと、手が離れたことを覚えていた。海に投げ出されたときにとっさにしがみ付いたものが良かったのか、運よく生きている。
お父さんとお母さんにはもう、二度と会えないかもしれない。船で旅をする生活をしていたから、それがよく分っていた。
砂まみれになった体を起こせば、体のどこにも上手く力が入らなかった。首まである服が気持ち悪い。ふらふら、やっと立ち上がったわたしの傍に、そいつはいた。
「おまえ、なんだ?」
しゃがみこんだ姿勢のままわたしを見上げる、子供。大きい麦藁帽子が、その頭に乗っていた。
「おれ、ルフィ」
にかっ、と満面の笑顔を向けられる。害はなさそうだったので、しばらく目を合わせたまま時間が過ぎた。そうしていても仕方がない、と体中の砂を払う。それからもう一度そいつを見ると、今度は小首を傾げながらわたしの方を見ていた。
構う必要もないか、と結論して周りに落ちている荷物から使えそうなものを集める。この場所がどんなところでも、これからは一人でやっていかなければいけない。その方法は、お父さんにしっかり叩き込まれてきた。
「なぁ、他のものいらねぇのか?」
いるもいらないも、わたしのものではなかったので首だけ振って答える。すると、その子は一層嬉しそうにして、ちょうど岩場になっているほうを勢いよく振り返った。
「だってよ、エース!サボ!」
そこからひょっこり顔を出すのは、二人。
「ルフィてめぇ!偵察の意味分ってんのかァ!」
怒鳴る男の子と、その隣で「やっぱりな」と笑う男の子。兄弟だろうか。それにしては似ていないし、何より三人ともあちこちボロボロだった。
バレてしまっては仕方ない、とでも言いたいように岩陰から出てきた二人は、わたしの目の前に立って全く同時に、全く違うことを聞いてきた。
「よかった。大丈夫そうで」
「お前どっから来たんだよ?」
どっちの質問から答えよう、と考えていた。それから、やっぱり答える必要なんてないんじゃないか、とも思っていた。
わたしがあんまり何も喋らないもんだから、黒髪の方が首の布を引っ張って怒鳴る。
「聞いてんのかよ!」
エース、やめろよ。と、シルクハットのような帽子をかぶった男の子が止めに入ってくれた。黒髪の男の子が、押さえられながらフーッ、フーッと威嚇する姿があんまり面白くて、わたしはフッと笑ってしまった。それがさらに、その子を怒らせてしまったらしい。顔が真っ赤だ。
「ぜってぇ、殴る!離せ、サボ!」
ぎゃあ、ぎゃあと言い争う二人と、麦藁帽子の子にとうとう笑いが止まらないわたし。ひゅーひゅー、という音に三人がじっとわたしを見詰めていた。
それに気付いてから、なんとか笑いを治める。そして、首まである服の襟を下げて、言い訳をした。
(わたし、こえが、でないの)
口をパクパクさせること、わたしができる話す手段はそれだけだった。
***
両親は宝飾職人で、イーストブルーの島々の鉱石や金属を集めては、きらびやかな装飾を作って売る。そんな仕事をしていた。政府や天竜人なんていう凄い人脈のおかげか、大抵の場合はちゃんと護衛がついていたが、もちろんそうでないときもあった。そんな時、子供のわたしが狙われないわけがなかったのだ。脅しの為に喉に当てられたナイフが、ざっくりとわたしの喉に刻まれたのは運が悪かったとしか言いようがなかった。
父は、そんなわたしを少しでも守れるようにと、わたしを強くすることも含めて良くしてくれたと思う。
余談だけれど、わたしはその後、父と母との再会を果たしている。今は、二人がどこにいるのかも把握しているし、わたしはわたしで慣れ親しんだ旅の生活や、護衛の仕事をしている、というわけだ。
あの幼い日々から随分と過ぎた。わたしは15になると、ルフィとエースに黙って国を出たので、その後の二人のことは知らなかった。ただ、後からエースの手配書が出ているのを知って、安心したのは覚えている。
それでも、この海はグランドライン。もう二度と会うことは無いと思っていたのに、まさか向こうから会いに来るなんて考えたこともなかった。
向かい合って座ったテーブルの向こうから、エースが手を伸ばしてわたしの喉を撫ぜた。驚きはしない。少し、くすぐったかった。
「喉、痕けっこう薄くなったんだな」
エースが、お酒をあおりながらそう言った。
(まァね)
わたしは頷く。エースは、わたしが言った言葉がちゃんと分った。
あの時の海岸での出会いから、わたしは悪童と名高い三人組とよくつるんだ。悪いことは、人殺し以外一通り経験したと思う。そうやって付き合いを続けていくうちに、エースは読唇術を自然と身に付けてくれたのだ。
サボは、ほんとうに少しの付き合いになってしまったけれど、わたしに手話を教えてくれ、そして彼自身もそれを覚えてくれた。面白いことに、ルフィは、喋らなくてもこちらの意向を理解できたので、どうやら兄二人はそれが悔しかったらしい。
今となってはいい思い出だと、笑えた。
本ばかりがのった小さな机の上。そこに置いたランプが、ぐらぐらと揺れた。商船の護衛をするわたしに当てられた部屋は小さい。エースはその場所でいい、と持ってきた酒とわたしを引きずり込んだのだ。
今頃、甲板は大騒ぎだろう。なにせ、白ひげ海賊団の隊長がやってきたのだ。幸い、全員様子を見ることで手を打ってくれたらしい。この商船は、海軍を呼ぶと不味い商品も乗せているので、当然の判断でもあった。
「お前が黙って出て行ったからよ、おれはもう会いにはこねェつもりだったんだよ」
エースがそう言うので、わたしはやっぱり笑うしかなかった。
意地っ張りなエースらしい。ただ、わたしもその時のことだけは、たくさんの言い訳があった。高町で父と母の手がかりを手に入れたので、その後をすぐにでも追いたかったこと。わたしはあの悪童の兄弟には、とうとうしてもらえなかったこと。そのことが、とても悲しかったこと。わたしがエースを好きになってしまったこと。エースは、海賊になりたかったこと。
(会いにきてくれて、ありがとう)
エースが来てくれなければ、あっという間にグランドラインを駆け上がっていったこの人には二度とほんとうに、会えなかっただろう。そして多分、ルフィにはもう絶対に会えないに違いない。こんな奇跡が、起きたんだから。
エースは少し、ムッとした顔を向けてくる。
「言い訳しねェのは、相変わらずお前らしいが。さすがに、このことばっかりは薄情に感じちまうな」
(ごめんね)
いや、いいさ。と、エースは苦笑した。
わたしは、話すことができないせいで、たくさんのことを伝えるのを諦めてしまう。昔はそれで、エースにも、サボにもよく怒られた。あの中で、危ない目にあうのが一番多かったのは、ルフィに次いでわたしだったからだ。わたしが女だって分ってからは、なおさら世話を焼いてくれたと思う。
父と母以外の世界を、受けた傷のせいで「恐怖」だと思い込んでいた幼い頃。それを、楽しく明るいものへ変えることができた。それは、ルフィとサボ、エースのお陰。
生まれて初めて、できた友人はあの三人だった。秘密基地も作ったし、普通じゃちょっと考えられないくらい危ない遊びもした。食べきれないくらい大きな獲物を仕留めたことも、見たこともない景色を見ることができたのも、あの三人のおかげだった。
感謝は、ほんとうに数え切れないほどした。今だって、あの頃を思い出して元気付けられては、ありがとうを呟く。
わたしは、思い出を巡りながらランプに手をかざして暖をとった。するとエースが、わたしの手を掴んむ。片手だけだ。もう一つの手には、小さなグラスがあった。なんでもないように、もう一度エースはお酒に口を付けた。わたしも同じように、少し流し込む。
「お前にさ、言っておかなきゃならねェと思うことができちまった」
だから、探してた。と、その手のグラスを見たまま話し出す。
「おれと、……おれたちと、一緒にいてくれてありがとうな」
エースの思いは、知っている。なんでもじゃないけど、ひとつだけ、エースにとって大切なものをわたしは知っていた。
悔いは残さない。
(こちらこそ)
堅く結んだわたし達の手のしたには、閉じられた分厚い本が沈黙していた。
***
エースは、一瓶の酒をあけると、すぐに旅立った。最初から、そう決めていたのだろう、と彼女は分った。ただ、エースが予定よりもゆっくりと時間を過ごしていたことは、とうとう彼女の知るところではない。
彼女は、エースの背中を見送りながら、走馬灯の景色を思い出す。
やはり、先に旅立ったことは間違いではなかった。と、あの時の後悔を断ち切ることができた。今だから、別れも、背中を見送ることもできる。
ルフィの思いも、サボの思いも。青は知っていた。
そして青自身も、三人とは違う思いがあった。進めば別れるのは分っていたが、そんなのはずっと先の話だった頃。彼女達は、一緒に何かを成し遂げることを最高の幸せだと思っていた。
(わたしたちの本当の夢はきっと、あの頃にあったんだよね)
ちゃんとした家も、お金も、力もなかったけれど、あの三人がいる場所があるだけでよかった。
あなたもきっとそうだったよね、エース。
.........20150113
四匹の動物達はそこに住み、とうとうブレーメンへは行きませんでした。
彼らは年をとっていましたが、幸せに暮らしました。
企画「Star jewelry/童話企画」様に提出
お題「Town musicians of Bremen.ブレーメンの音楽隊」
DODO