エス様観察日記



 窓から差し込む陽の光を受けてもその肌は焼ける事がないのだろうか。その白皙に掛かる水色の髪は透き通った蒼穹を思わせる。伏せられた睫毛の濃密で長いこと。
 美形、と簡単な二文字に表してしまっては罰が当たるというものだ。筆舌に尽くしがたいこの美麗な王子はまだ十一歳を迎えたばかりの少年だが、幼さ特有の丸みに隠されながらもその美貌は確かに完成されつつあった。

 エストレアに仕えるようになって二年。毎日のように顔を合わせているというのに、視界に入れれば詩的表現が滔々と頭の中に流れ込む。ただ椅子に座って本を読み耽っているだけだというのに、どう見ても鎮座している宝石だ。
 よく飽きもせずに美辞麗句を並べ立てるものだと言うのなら、是非この光景を見てほしい。良い様にあげつらわれた言葉ではない事が明白になるはずだ。
 そんな宝石は自分、アルバを視界におさめては蒼玉を嵌め込んだ瞳を眇める。
 残念なものを見るように。

 何かきつい言葉を投げ付けてくるかと思いきや、本に視線を戻したエストレアはアルバを完全に放置した。
 流石である。敢えて構わない。加虐の最上級ではないか。アルバはそんな事にも慣れている。この王子の態度は軟化こそすれど大体このようなものだ。
 一定の性癖を持つものからすればご褒美とも取れる扱いだが、アルバはそんな性癖を持っていない。ほんの少しくらいは傷付く。
 仕方無いので王子が本を読み終わるまで傍で観察する事にする。

 まるで変わる様子のない無表情のせいで人形のようだ。初見の者に生きているのだと言ったら誰が信じるというのか。
 エストレアは俗に言う『引きこもり』という状態だが、この王子なりに波風立たない最良の手段をとったつもりなのだろう。
 何もエストレアに向けられているものは畏怖や妬み嫉みだけではない。突出した魔力だけではなく、この顔を持っている事が他者を遠ざける。
 龍族は見目の悪い者が少ない種族だがそれでもこの完成度の者はいない。横に並べば王族の出であるアルバとて絶望的だ。
 いつか隣に寄り添う女性が出来たとしたらそれは物いう花のような女性だろうか、そう考え、瞼を閉じては頭を振る。
 この王子には並べて遜色ない煌びやかな美女よりも、笑顔の多い可憐な女性が似合うだろう。表情の多い女性の方がエストレアに生きる喜びを与えられる。
 現状、エストレアが笑う姿は見た事がないが、いつかの未来で満面の笑みを浮かべる日が来るのかもしれない。それまで生きていたいものだが……。

「……百面相か。気持ち悪い」

 本を閉じたエストレアが放った一言は相変わらず辛辣なものだった。此方には目も呉れず、本棚に向かって物色し始める。

「ずっとエス様の事を考えていたもので」
「気持ち悪い」

 重ねて言われると心に来るものがある。
 小さな身体では届かないのか、一番上の棚の本を取って渡すと不機嫌そうに顔を背けられた。これはこれで照れているのだから分かりにくい。ありがとうと言うのは照れる事だから。
 冷たい言葉や態度を選んでいても真実は滲み出る。それを如何様にして掬い上げ、見つけて愛でるかに掛かっているとアルバは思う。

「その本はエス様にはまだ難しいですよ」

 子どもを宥めるような言い方が燗に障ったのか、少し拗ねた様子でエストレアは椅子に腰掛けた。

「分からないものの中にしか、答えはないだろ」
「勤勉なのは良いことですが、人型の恋愛小説ですよ? 人型の男性にも理解し難いと言われています」

 確か、使用人が巷で話題がどうだかと一応本棚に入れていた。平和な本が流行る時もあるものだ。

 この王子が人型について調べようとするのは、国民に何が出来るか考えての事だ。ただの興味や好奇心だけではなく、その若さで先を見据えている。
 八十歳も年下の者に傅いて自尊心は傷付かないのか、とエストレアなりの気遣いをかけられた事がある。
 水色髪を持って生まれたせいで王になる未来しか与えられていない、エストレア自身としての未来を断たれているというのに、この王子はその事実に不満を言った事はない。
 これが王になるものの素質だろうかと、エストレアを知れば知る程頭が下がる。跪かずにはいられない。

 程無くして眉根を寄せたエストレアは、頁を開いて此方に示してくる。

「アルバ、人型は何故、このように無駄な行為をして喜ぶ」

 どんな場面を読んだのかと覗き込めば、そこには嬉し恥ずかしと言った雰囲気で男女の口付けるところが描写されていた。

「ああ、これは人型にとっては特別な行為なんですよ。相手に対して誠実であるなら、大事な異性にしかしないものです」
「よく分からない」
「『好き』も分からない内では無理ですよ」

 まだエストレアの持ちうる情報量や経験値では、上手く翻訳して落とし込めないのだろう。眉間の皺が深まる。

「……したことがあるのか?」

 大きな瞳を此方に向けてきたかと思えば、この王子は思わぬ台詞を口にした。

「え、えっと、そうですね。はい。あります」
「『大事な異性』に?」
「あ、はい、すみません。何人もの女性としてます」
「お前は最低だな」

 完全にゴミを見るような目だ。
 発情期がある以上は仕方ないのだと、いつか分かってくれるといいのだが。それなりに可愛い獲物や当時の番に強請られて、してやらない方がひどいというものだ。龍族の雄など、雌からすれば基本的には最低だ。

「そう言いながらエス様もしますよー。人型の文化ですが、気持ちいいですし」
「うわ」
「い、言い方を変えます! 自分からは大事な異性だけですよ!」

 これは本当だ。龍族ならばそれなりに『好き』を理解し、相手を大事に出来ていないと、自分からしたい等と思うことはない。
 何とかその目をやめてくれたエストレアは、やめたというよりは興味を失ったのか、恋愛小説を置いて窓際に向かった。
 この部屋の窓からは今日も賑わいを見せる城下が見渡せる。

「人型は、龍族なんかよりずっと幸せそうだな」
「そこにエス様のお力も関係していると、俺は思いますけどね」

 アルバはエストレアが何度も王を通しながらも、休戦と話し合いを地龍族に持ち掛けているのを知っていた。
 誰も傷付かずに、全ての種族が平等に、幸せに生きていけるようにと。こんな時代では子どもの戯れ言だと流されてしまうかもしれないが、こんな時代だからこそそんな美しい考えは必要だと、アルバは思う。

「そんなに影響のある事は出来てない」
「いいえ。エス様の御指示は、回り回って誰かを幸せにしています。エス様が思うよりずっと」
「……それならいい」

 話題作と銘打たれた、幸せな恋模様を描く恋愛小説の帯を見ながら、エストレアはふわりと微笑んだ。

 息が止まった。時すらも止まってしまった。

 とても十一の子どもが浮かべられる笑みではない。包み込むように優しく、日向のように暖かく慈愛に満ちたその微笑みは、誰もが理想とする優しく強い王そのものの表情だった。

「エ、エス様、もう一度笑ってください!」
「は?」
「あ、擽ったら笑いますか?」
「調子に乗るな」

 脇腹に手を入れた瞬間、凍らされかけたのは言うまでもない。

 きっとあの笑顔は、いつか大事な誰かを幸せにするに違いない。たった一瞬見ただけで、アルバは確かに幸せを感じた。この小さな王に仕える自分を誇りに思う程に。


 2016/07/24
 いつかの過去の話。


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