パパはさすがに違う




 子どもの成長は早いものだと、今頃天に昇っている――かどうかは定かではないが――護衛騎士が言っていた。

 この檻の中で捕らえられて約二年、正直、弟のことを考えれば悪くはない状況だと思っている。
 赤子に何が必要かも分からないエストレアに、仮面の者達は無言で色々と渡してくる。何度見ても気味が悪いが、背に腹は代えられない。有り難く頂戴するしかない。
 弟が産まれてから国が崩壊するまで大した時間が無かったこともあり、さすがに子育ての知識を詰め込むことは出来ていなかった。

 それも二年も経てば手慣れたものだ。
 泣き出せば瞬時に何が不足かを見極めることが出来るようになった。何もなくても泣き出せば暫くはどうしようもないことも分かった。
 元々の体質故、睡眠をそこまで重要としない身体なのか、泣いて起こされても苛つくことはない。苛つくと言えば、最近になってドラゴンの姿を取れるようになったせいでたまにその姿で暴れることだ。
 まだ大きさ的に小さいからいいものの、何度ぶっ飛ばされて檻にぶつけられたことか。思わず殴り飛ばしてやろうと思ったことは何度かある。勿論実行には移していない。大丈夫だ。子育てはまだ間違っていないはずだ。


 あー、だとか、うー、だとか言わなかった弟が最近、時々何か言いたげに大きな蒼い瞳を向けてくる。

 歩けるようになってからは辿々しい足取りで檻の中を走り回っているが、大体は数分以内にこけて泣き出す。
 その危うさに手を貸してやるべきかと何度も手を伸ばしかけたが、成長の為には放っておくべきかと見ているだけにした。

 派手にこけた後、自力で立ち上がる弟の姿は何か胸に迫るものがある。何なのかは分からないが、時たま手をついた場所に罅が入ることの方が気になった。
 前例にないが、怪力持ちの予感がしてならない。

 それだけ先の予感を感じさせているのに、弟は喋らなかった。
 この頃の龍族は人型とは何等変わらない。話し始めるのも一年半も経てばほとんどの子どもが出来ていることではないだろうか。
 だが、そろそろ二歳になる弟は未だに喃語だけを口にし、エストレアに何か伝わらないのが腹立たしいのか壁に体当たりしたりする。
 やめろ。壁に罅が入る。と持ち上げるが、そのまま突き破れば自由かと思わないこともない。

 大きな瞳がこちらを向いている。白い睫毛を瞬かせ、一心にエストレアだけを見つめている。
 話さないのは自分のせいかもしれないと、エストレアは気付き始めていた。何せ、自分があまり話さずにいるから、弟は言葉を理解できないのではないかと。

 しかも、親ではない立場がまた混乱させているのでは。どう説明してやれば、小さな子どもに上手く伝えられるのか、エストレアは頭を悩ませた。

「あー」

 小さな手を伸ばしてくる弟が、水色の髪をぎゅっと掴んできた。まずい。このまま力を込められては間違いなく禿げる。
 その小さな手に指を捩じ込んで開かせようとした時、弟の口から確かに音を持った言葉が出た。

「ぱー?」
「…………さすがに違う」

 何とか髪を引き抜いた時には指を掴まれていた。

「俺は、兄だ。お前の兄」
「にー?」

 やはり、兄という立場が難しいのだろう。小首を傾げたまま発音しようとしている。

「あ」
「あー」
「に」
「にー……にーちゃ?」

 なかなか賢いのではないだろうか。
 柔らかな白髪を撫でてやると、弟は嬉しそうに「にーちゃ」を連呼していた。
 意味が分かっているかは別として、親ではないことはもう何となく分かっているように思う。

 これだけ話し始めるのが遅かった弟が、数年後憎たらしい程饒舌になるのをエストレアはまだ知らない。


 2016/09/04


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