最後の希望





 敵味方無差別に血の雨が降り注ぐことにもいい加減慣れてきたところだ。大量に流れ出た血を使った氷属性魔法は世にも恐ろしい。赤い石英となって死体を貫きながら地面に突き出る様はまさに地獄絵図だった。
 足が動かないと思えば、瀕死でありながらまだ戦う気力のあった敵の騎士が足首を掴んで、片方しか開いていない目で自分を見上げてきていた。ベルクはその者の命を一撃で奪い散らす。個体で向かい合えば、攻撃力は地龍族が勝る。しかし、空間全体を相手にされるとこちらは一溜まりもない。

 もうすぐ、この戦争も終わるはずだ。この地は、もう駄目になるかもしれないが。疲労を感じて瞼を下す度に、氷龍族の頭を狩った時の記憶が反芻される。
 王を攻撃した時、真っ先に飛び出してきたのは王妃だった。降伏するなら女子どもはさすがに殺すつもりはなかったというのに、守るべきであるはずの王を守ろうとしたのは王妃だけだった。どうも城内が手薄だとは思っていたが、ただの罠だろうと構うことなく押し入った。それが、まさか罠でも何でもなく王を守る者がいないとは思わなかった。

 会合を重ねる毎に氷龍族の内部分裂をはっきりと感じていた。そうだとしても王についている者達も多くいたはずだ。なのに、この王は何故立った一頭で待っていたのか。
 逃げようともせず、ただ慈しむように冷たくなった王妃の頬を撫でる王の首を狙った時、ベルクは悟った。まさか、全て二頭の王子に回したのか、と。

 この戦況ではどちらかが負ける以外に終わりはなかった。だから、氷龍族は早々に見切りをつけたというのか。勝ったはずなのに、王の穏やかな死に顔が心の中に何かを燻ぶらせる。
 靄が晴れないまま自国に帰還したが、不思議なことにまだ氷龍族の騎士は動いていた。
 司令塔を討てば統制は崩れるはずだというのに、相も変わらず無駄な動きをすることなく戦い続けている。ただ、数は少ない。ここを立つ前はもう少しいた。死体を適当に数えてみても数が合わない。明らかに派遣されている数が減っている。
 これは、まさか……。まるで、まだ司令塔が生きているようだ。

 風を切る音がしたかと思えば、誰かが自分の名前を叫んだ。
 振り返った先では、いつの間にか灰色髪の死体が積み重なっている。それも全て、剣による物理的な傷のみで。
 瞬時にそんなことを理解している場合ではなかった。
 一陣の風を感じたと思えば、重い衝撃と襲い掛かる激痛。理解が追い付かず、視線で痛みを追えば、腕が骨まで断たれて皮一枚で繋がっている。無意識に身体をずらして回避しようとした結果にしても、状態が悪すぎる。
 ほんの少しでも反応が遅れたならば、こうなっていたのは胴体だ。命は無い。

「あー、惜しい……あなたがここの頭でお間違いないですか?」

 耳元で死神の声がした。腕を治癒させながら距離を取ると、蒼い髪に氷龍族には珍しい焦げ茶色の瞳をした騎士が立っていた。

「氷龍族騎士団第一部隊隊長、アルバと申します。お声を掛けさせて頂くのは今回が初めてにも関わらず、ここであなたの首を取る無礼をお許しください」

 第一部隊隊長。先程、名前を叫んできた者が何故そうしたのかが分かった。一頭桁違いの者が混じっていたのか。優し気な笑みを湛えている割に、纏う空気が冷え切っている。
 死地に赴いて尚冷静を保っていられるのは大したものだと思うが、違った意味での焦りが見える。勝つこと以外に何か理由があってたった一頭で乗り込んできたのではないかと。

「負けるのは貴様の方だな。私は、貴様より強い」
「重々承知の上です。ですが俺は、生きて帰ってこいと、我が王から命ぜられているので、無理でも勝たなければなりません」

 動き出したのはどちらが先か。どこまでが本来の刃かも分からなくなった美しい結晶の魔法剣に対し、地属性魔法で盾を作っては防ぎ、樹属性で捕らえようとするが、逃げる動きの方が早い。
 いくつの蔦を伸ばしても凍結させられ、雪として華麗に散らされる。複雑に結晶を纏った剣の前ではどれだけ岩を生み出しても斬り崩される。魔法攻撃では防御にすらならない。これでは埒が明かない。
 焦りは未だ顕在だが、表情自体は活き活きしているものだから不思議な男だ。魔法を打ち消し、剣を構え直した時には、既に男に対する純粋な興味が湧いていた。

「貴様は何故笑っていられる」
「そちらには失礼になりますが、初めて頂いた命令を遂行するのが楽しくて」

 放っておけば鼻歌でも歌い出しそうな顔で剣を振るう。あれだけの数を一頭で片づけて楽しいとは、聞く者が聞けば気が触れているのかと疑うような返答だ。だが、今の内容でこの者が口にした『我が王』がこの手に掛けた者とは別だということは分かった。
 会合で見た顔だが、どこにいたかと記憶を掘り起こす。確か、そうだ、第一王子の側に控えていたのがこの男だった。

「……第一王子か」

 大きく開かれた瞳のせいで男の顔がますます幼く見える。
 完全に第一王子のことを失念していた。だとすれば、今の司令塔はあの子どもだ。俄かに信じがたい話だが、あの年で王亡き今の混乱を一心に受け止め、その上食い止めようとしているのか。
 水色髪を見れば今後に注意を払うべきだとは思っていたが、既にその領域にあるとは計算外だった。

「今、あの方を脅威だと思われましたか? 残念ながらはずれです。あの方は、最後の希望です」

 重い一撃を弾き返し、間髪入れずにその脇腹を斬り付けながらも首を傾げる。蒼い騎士服を自身の血で黒く染め、ほんの少しだけ動きを鈍らせた男が顎に流れる血を乱雑に拭う。
 どう考えても脅威でしかない者を、『希望』などとあまりにも綺麗な言葉に落とし込んでしまうのは戯言か。
 第一王子に関する話は大なり小なりこちらにも伝わってはいるが、如何せん引きこもりが過ぎる為か詳細は不明のままだ。十二年何一つ掴めていない子どものことを希望と呼ぶのは、どんな理由からか。

 あと一歩情報を掴みたいと思っていたところ、横槍が入れられた。不意討ちを防げなかった男は腹に穴を開けられ、足元を大量の血で満たしながら膝を着く。肩から噴きだす血に、白い頬を染め、蒼い髪を黒く濡らしている。
 普段であれば援護は嬉しい。いくら男が強いのだとしても、この数に四方八方から攻められては逃げられないだろう。
 刃を三本も腹から生やせば、剣を持つ腕を何ヶ所も斬り付けられれば、強い騎士であってもどうにかできるものではない。龍族であっても治癒が間に合わずに死ぬ。

「待て、その者は――!」

 話していたのを苦戦していると捉えてしまったらしい仲間たちは、更にその剣を男に突き立てる。
 剣を引き抜かれた男の身体が地面に落ちる前に思わず抱え込んだ。出血量を見れば即死ではないのが奇跡に近い。
 死体の重さになった男は、息も絶え絶えに何か話そうとしている。喜び合う仲間を尻目に、男の言葉を拾うことに努めた。

「……破壊には、必ず、救済が、付属しております。もし、あの方に会われたら、希望を捨てないよう、お願い申し上げます」
*
 冷たい塊になった男を地面に下ろす。地に伏せる深海の騎士達は、国に帰せばただ土に還らされるだけだろう。共に埋葬すると口にした時は、仲間達は驚いてはいたものの、ベルクの意思を尊重した。

 結果的に地龍族は戦争に勝ったが、氷龍族を殲滅することは出来なかった。
 強大な魔力と綻びのない編成、気が付けば、生き残っていた年長の龍はベルクだけだった。

 緑の美しかった国は干上がった砂地になり、仲間ももう戻らない。勝利して得られたものなど何一つ存在しなかった。
 まだ小さな従者を手元に置き、ただただ疲弊した僅かな心を癒す時間を設けた。癒えるはずのない傷なのだから、出来ることならずっと悲しみに浸っていたかった。
 年月が経つ毎に憎しみは薄れていく。間違いなく憎しみだった感情が跡形もなく消えてしまっても、憎まなければ壊れてしまいそうだった。

 あの男が口にした『最後の希望』とやらに会えば、会うことが出来れば何か変わるのか。あの血を引いた者を憎めるか。憎む対象が明確になれば楽になれるのか。
 全ては違った。何もかもが違った。『最後の希望』は『女神』と共に現れ、子ども騙しのような方法で全てを解決に導いた。
 気付くのに数年の年月を経る程頭が凝り固まっていた。ただ、全てを失って寂しかった。もう戻らないのだから悲しんでいたいと拗ねていた。

 あの男の墓に紫陽花を添えようと、ベルクは樹属性魔法を身に纏う。
 全てが安寧に導かれた後、あの者にそこが教えられたらいい。
 龍族は変わったのだと、共に伝えられたらそれでいい。



  2016/10/02
 アルバ VS ベルク。最後の死闘。最終章のネタバレを軽く含む。




ALICE+