一国の小さな王と小さな護衛




 ふと背後から風が吹き荒んだようだった。先程まで目の前でにこやかに笑っていたはずの男の首が飛ぶ。
 勢いよく飛び出した血が弧を描いて宙を舞い、その赤にただただ目を見開いていることしか出来なかったユビテルの足元に男の骸が崩れ落ちた。
 異様にゆっくりと流れているように感じる時間の中、息をするのも忘れてユビテルは足元を見下ろす。その手に握られている鋭利な刃物は、どう考えてもつい今し方自分に向けられていたはずのものだった。

「……フルミネ、また手を煩わせたね」
「何寝言言ってやがんだ。何の為に俺が控えてるか考えろ」

 斜め後ろに控えていたはずの護衛騎士――フルミネはちょうど右手前に立っている。剣に纏わりつく血を軽く払い、鞘に納めながらめんどくさそうに溜め息を吐き出した。
 自分よりも背の低い、まだ小さな身体の護衛は、その身体に相応の幼い顔立ちをしているにも関わらず、自分よりもずっと覚悟が出来ているように見える。そして、ずっと大人であるようにも見えた。

「湿気た面してんじゃねーよ。これが何人目の裏切りだろうと、お前が悪いんじゃない」

 例えその言葉通りだとしても、自分が何かしら失敗をし、命を狙われるようなことがあれば、その度にフルミネが手を汚すことになる。まだ、フルミネは十三になったばかりの子どもだと言うのに。

「あーうぜー。お前はいつも通りヘラヘラ笑って構えてりゃいいんだ。それだけで救われる民がどれだけいると思ってんだよ」

王族に生まれたと言っても矜持も何もまだまだ備わっていないと言える自分に、ここまで良く出来た護衛騎士が付いたのはフルミネと従兄弟であり幼馴染であったからこそだ。ユビテルにとっては幸運だが、自分と親しい間柄であった為に『一国の王の護衛騎士』などという重責をその小さな身に背負わされたフルミネは堪ったものではないだろう。
 ユビテルはそれに対し困ったように笑うことしか出来なかった。この感情を何と呼ぶかは後々知ることになるのだが、とにかくやるせなかった。

 自分達『龍族』という種族が今まで築き上げてきた歴史は並大抵の努力では壊せない。
 他の種族――国民に遺伝子の領域まで根付いてしまっている自分達への恐怖心は、たった十六の小さな王が「仲良く平和にやっていきましょう」と笑顔で手を差し伸べたところで払拭出来るような簡単なものではない。
 ユビテルはその事実を理解していながら理解出来てはいなかった。だからこそまたこうして新たに死体を目にしている。こちらの話を全て信じて受け入れた、そんな笑顔を浮かべながら、今か今かと龍族を始末しようとする輩は後を立たない。
 残念ながらユビテルにはまだ大人の嘘を見抜く程の力量は備わっていなかった。どこまでも甘かった。
 悔しさを押し殺し、それを悟られないように穏やかな笑みを携える。この顔立ちであって良かったと、心無い無表情に生まれていたらどれだけの苦労を重ねることになるかと、ユビテルはその不出来な笑顔で、沸き上がる不完全な感情を塗り潰した。


 その努力は時が立てば実るものだった。誰もがユビテルの笑顔を本物だと疑わず、怜悧な頭脳から繰り出される案という案を信じるようになった。
 勿論ユビテルの笑顔は嘘偽りのないものだ。それが作り笑顔の延長から生まれた表情なのだとしても、ここまでくれば最早本物だった。

 この度の相手は随分と用心深い。この流れであれば不意を突かれるのも時間の問題だろう。現在の国情に鑑みていながら、なかなか殊勝なものだとユビテルは優しげな笑みを崩さなかった。
 何度も何度も、助かる道は用意したが、相手はそのどれも気に召さなかったらしい。
 隣を風が駆け抜けて雷音が響いた後、焼け焦げた肉の匂いと血飛沫が飛ぶ頃と同じくして、聞き慣れた怒声が耳に届いた。

「ユビテル!! ちっとは自衛しようっつー気はねーのか!」

 確かに今の場面は少々危なかったかもしれない。後僅かの時間、フルミネが動かなかったならばこの身は抉られていたのだから。
 それでもユビテルは信じていた。だからこそ何をする素振りを相手に見せなかった。例え、この身に触れた瞬間に相手が今よりも惨い死に様を迎えていたとしても。フルミネは慈悲深い男だ。

「フルミネがやっつけてくれるのが分かっていたからね」

 あはは、と暢気に笑えば目の前の護衛は額に青筋を立てる。そんなに力むと血管が切れるのではないか。過去にそう言った的外れな心配をすれば、浮き上がる血管は首にまで広がったことがある。あれは思い出すだに愉快だった。
 分かっている。この男がこうしてどこのチンピラかと見紛う勢いで怒るのは、嘗てユビテルの側に控えると誓った日から想いが変わっていないからだ。
 見る目を養った後はなかなか仕事をやれず、あからさまに拗ねてしまった護衛だが、家出をしてもいつも見つけて連れ帰るのはユビテルが必要としているからだと本人も分かっているはずだ。
 斜め後ろはフルミネでなければならない。
 何処かでそれが伝わっているからこそ、今日も気怠げな空気を纏いつつも仕事をこなすのだろう。

「いつもありがとう」

 御礼を口にすれば、フルミネは不気味なものでも見たかのように顔を歪ませ、汚いものから距離を取るようにして大袈裟に離れていった。照れなくてもいいと追い討ちをかければ逃げ出してしまう。
 これはまた、数日戻ってこないだろうか。


 2017/02/02
 国王になったばかりのユビテルと護衛のお話。
 人気投票全体3位、サブ1位。御参加ありがとうございました。



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